Seediq Bale近日公開
| 台北西門町の巨大看板 |
先日台灣ツアーを終えたが、その中で脈絡は忘れたけれど私が“Sediq Balay”について触れたら、台灣からの参加者の中に「Sediq BalayじゃなくてSeediq Baleでしょ!」と訂正してくれる人がいた。映画のタイトルはTkdaya語だから、この訂正は間違っていない。でも、「Sediq BalayじゃなくてSeediq Baleでしょ!」という言い方がある映画の題名としてではなく、山の言葉として”正しい“ということになると、恐れていたことが現実になりそうだ。霧社事件の英雄はTkdayaであり、Tkdayaこそが霧社原住民だ、という国民党が作り出した物語を臆面もなく再生産することになるかどうかは分からないけれど。ちなみに“Sediq Balay”は今の霧社のマジョリティであるTodaの言葉。Seediq / Sediq は「人、人間」、Bale / Balay は「本当に、本当の」といった意味。つまり映画のタイトルは「本当の人」という意味になる。
そのSeediq Bale、ヴェネチア映画祭では中国台灣(China, Taiwan)作品とされたそうで、台湾で文句言っている人がいるそうだ。つまり、あれ(霧社事件)は私たち台灣の物語なのに、なぜ中国という冠(かんむり)がつくのか!と怒っているらしい。「私たちのものだ」意識をここまで赤裸々に見せられると、落ち着かない。アイヌは「日本のもの」、北アメリカ先住民は「カナダとアメリカ合衆国のもの」―。
そのSeediq Bale、ヴェネチア映画祭では中国台灣(China, Taiwan)作品とされたそうで、台湾で文句言っている人がいるそうだ。つまり、あれ(霧社事件)は私たち台灣の物語なのに、なぜ中国という冠(かんむり)がつくのか!と怒っているらしい。「私たちのものだ」意識をここまで赤裸々に見せられると、落ち着かない。アイヌは「日本のもの」、北アメリカ先住民は「カナダとアメリカ合衆国のもの」―。
| 台北、MRT駅にも宣伝が |
『私のお父さんはモナと戦ったのに、娘の私がオビン・タダオの母親役やってるんだから、おかしいよね』、昨日、Bさんはそう言って笑った。オビン・タダオを演じたのはビビアン・スー。Bさんは今のサクラ(その昔、霧社事件で蜂起したホーゴ社が、Todaに払い下げになってサクラ社になった)から映画に出演した二人のうちの一人。『でも、首吊って死ぬ場面とりながら、自然と泣けてきた。そのときの人の気持ちが乗り移ってきたのかね。歌うたって泣いて、また歌うたって泣いて、最後に首吊るの。』Bさん、いまや“売れっ子”だ。映画だけでなく、政府が大陸から招いたお客さん相手に“山の織物”を教授もする。『身体、きついよ。大学生たちが遊覧バスで毎日やってくるし、政府は客が来るから教えに来いっていうし・・』こういうことが、山の人達がSeediq Baleに期待していた経済効果なのかもしれない。Bさんが売れる一方で、しかし、一般のTodaの人達に今のところ何の経済効果も見られない。封切り後、どんな変化がもたらされるのか見守るしかない。(Awil Kazuo)

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