シカゴのたたかい:企業化する学校
シカゴで教職員のストライキが続いている。エイミー・ガットマン(Democracy Now)らの報道をみると、背景にチャーター・スクール(Charter School)の拡大があるようです。そもそもは公立学校の質の低下を救うというような触れこみで登場したチャーター・スクールがなぜ公立学校、いや学校教育そのものへの脅威のように論じられるようになったのだろう。
Wikiではチャーター・スクールを「保護者、地域住民、教師、市民活動家などが、その地域で新しいタイプの学校の設立を希望し、その運営のための教員やスタッフを集め、その学校の特徴や設立数年後の到達目標を定めて設立の申請を行う。認可された場合、公的な資金の援助を受けて学校が設立される。運営は設立申請を行った民間のグループが担当する。その意味では、公設民間運営校である。ただし、所定の年限の内に目標の達成や就学児童が集まらない事態に陥った時には学校は閉校になり、その場合の負債は運営者たちが負うことになる。」と説明している。
ごちゃごちゃしていて分かりにくいのですが、ポイントの一つは《到達目標》という部分です。到達目標は種々の統一テスト(standardized tests)によって測られる。チャーター・スクールは公立学校のように規制のカリキュラムに縛られず自由な教育ができる、と謳われる一方で、その存続は統一テストによって決定されるわけです。チャーター・スクールに対して「企業の収支決算モデルを教育に持ち込んだもの」という批判が生じる理由はここにあるのだろうと思います。
シカゴの教職員組合は、チャーター・スクールと同じように、統一テストが公立学校の教育を縛り、職員の勤務状態の査定にも使われることになる事態を懸念している。シカゴ市の教育委員会の長は市長であり、その市長はオバマ政権の教育顧問も務めているそうですが、彼が新たに教職員の査定に、子供たちの統一テストの結果を使うシステムの導入を強行しようとしている。
ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」の冒頭に、ハリケーン(2005年夏)に襲われて壊滅状態になったニューオリンズ市で、まだ瓦礫も取り除かれず、(貧民層の)避難民が避難所生活を強いられていたその時期に、どのようにチャーター・スクールが(雨後のタケノコのように)設立され、結果的に公立学校とその教師たちを抹殺していったか、という話があります。教育関係者が何十年もやろうとしてできなかったことを、ハリケーンが瞬時にして達成してくれた!と喜ぶ人たちがいる一方で、公民権運動以来少しずつ確実に達成してきた人種平等教育の成果が瞬時にして瓦礫と化した、と受け止める人もいます。
チャーター・スクールはいわゆる私立学校とは違って公的な資金援助を得られます。同時に、(統一テストで目標点数を達成できれば)教師もカリキュラムも相当自由に選ぶことができます。運営は私企業的に行って、資金面では公的資金を使えるわけです。その運営モデルは、多くの指摘があるように、企業モデルです。つまり、教育の新自由主義化を象徴する学校形態ということです。
これは最近どこでもよく聞く話。入口と出口での点数の伸び、それが教育成果なんだ、と。私は、「テストでは測れないものがあるじゃないか」とか、「学習意欲とか社会性とか、“人間力”とかそういうのもテストで測れますみたいなのは気に食わないとか」そういうことを言いたくてこれを書いているのではないです。
テストで優良成績を上げた学校に公的資金を投入し、目標を達成できなかった学校は即資金カットする、というシステムは、ちょうど投資家が優良企業に投資し、低迷する企業から投資を引き揚げるというシステム(?)と同じように機能するわけです。従来の公的な学校とは根本的に違ってきます。各チャーター・スクールの宣伝を見ると、誰でも入学できますみたいなことが書いてあるけれど、みえみえの嘘っぱちですね。だって、ほんとに誰でも入学できちゃったら、その企業(学校)はどうやって自由競争に生き残れますか?無理です。だから子供を選ぶし、テスト結果を引き下げるような子供は排除される。
シカゴのストライキが争点とすることがらは、公教育の(民営化という言葉が適切かどうかわからないので)新自由主義化ですが、これを押しとどめることは相当にむずかしいと思います。でも、この戦いから、WTOの提唱するサービスと教育の自由化というものが将来的にどういう結果をもたらすのか、台湾でもまじめに考えないと・・・。(阿川)
Wikiではチャーター・スクールを「保護者、地域住民、教師、市民活動家などが、その地域で新しいタイプの学校の設立を希望し、その運営のための教員やスタッフを集め、その学校の特徴や設立数年後の到達目標を定めて設立の申請を行う。認可された場合、公的な資金の援助を受けて学校が設立される。運営は設立申請を行った民間のグループが担当する。その意味では、公設民間運営校である。ただし、所定の年限の内に目標の達成や就学児童が集まらない事態に陥った時には学校は閉校になり、その場合の負債は運営者たちが負うことになる。」と説明している。
ごちゃごちゃしていて分かりにくいのですが、ポイントの一つは《到達目標》という部分です。到達目標は種々の統一テスト(standardized tests)によって測られる。チャーター・スクールは公立学校のように規制のカリキュラムに縛られず自由な教育ができる、と謳われる一方で、その存続は統一テストによって決定されるわけです。チャーター・スクールに対して「企業の収支決算モデルを教育に持ち込んだもの」という批判が生じる理由はここにあるのだろうと思います。
シカゴの教職員組合は、チャーター・スクールと同じように、統一テストが公立学校の教育を縛り、職員の勤務状態の査定にも使われることになる事態を懸念している。シカゴ市の教育委員会の長は市長であり、その市長はオバマ政権の教育顧問も務めているそうですが、彼が新たに教職員の査定に、子供たちの統一テストの結果を使うシステムの導入を強行しようとしている。
ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」の冒頭に、ハリケーン(2005年夏)に襲われて壊滅状態になったニューオリンズ市で、まだ瓦礫も取り除かれず、(貧民層の)避難民が避難所生活を強いられていたその時期に、どのようにチャーター・スクールが(雨後のタケノコのように)設立され、結果的に公立学校とその教師たちを抹殺していったか、という話があります。教育関係者が何十年もやろうとしてできなかったことを、ハリケーンが瞬時にして達成してくれた!と喜ぶ人たちがいる一方で、公民権運動以来少しずつ確実に達成してきた人種平等教育の成果が瞬時にして瓦礫と化した、と受け止める人もいます。
チャーター・スクールはいわゆる私立学校とは違って公的な資金援助を得られます。同時に、(統一テストで目標点数を達成できれば)教師もカリキュラムも相当自由に選ぶことができます。運営は私企業的に行って、資金面では公的資金を使えるわけです。その運営モデルは、多くの指摘があるように、企業モデルです。つまり、教育の新自由主義化を象徴する学校形態ということです。
これは最近どこでもよく聞く話。入口と出口での点数の伸び、それが教育成果なんだ、と。私は、「テストでは測れないものがあるじゃないか」とか、「学習意欲とか社会性とか、“人間力”とかそういうのもテストで測れますみたいなのは気に食わないとか」そういうことを言いたくてこれを書いているのではないです。
テストで優良成績を上げた学校に公的資金を投入し、目標を達成できなかった学校は即資金カットする、というシステムは、ちょうど投資家が優良企業に投資し、低迷する企業から投資を引き揚げるというシステム(?)と同じように機能するわけです。従来の公的な学校とは根本的に違ってきます。各チャーター・スクールの宣伝を見ると、誰でも入学できますみたいなことが書いてあるけれど、みえみえの嘘っぱちですね。だって、ほんとに誰でも入学できちゃったら、その企業(学校)はどうやって自由競争に生き残れますか?無理です。だから子供を選ぶし、テスト結果を引き下げるような子供は排除される。
シカゴのストライキが争点とすることがらは、公教育の(民営化という言葉が適切かどうかわからないので)新自由主義化ですが、これを押しとどめることは相当にむずかしいと思います。でも、この戦いから、WTOの提唱するサービスと教育の自由化というものが将来的にどういう結果をもたらすのか、台湾でもまじめに考えないと・・・。(阿川)

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