自民圧勝後の原発

 民主党野田政権は2012年の9月、「2030年代に原発ゼロ」を掲げ(革新的エネルギー・環境戦略)「原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」とぶちあげた。そのために①「40年廃炉」の厳格適用②原子力規制委員会が安全を確認したもののみ再稼働③新増設はしない――という3原則を出し、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの発電量を30年までに3倍にするなど、具体性には欠けるけれど方針は打ち出した。

ところが12月の衆院選で自民党が圧勝すると、その十日後には新政権の経済産業大臣が原発再開は政府の判断でやるのでシモジモは黙っておれ、と発表。同じ記者会見で、▽野田の掲げた「2030年代に原発ゼロ」は白紙に戻すこと、▽使用済み核燃料の再処理も継続すること、を宣言した。30日、安部総裁はTBSの番組で原発増設も考えると公言。―民主党の「2030年代に原発ゼロ」なんて、無責任なホラ話にすぎない。あたしゃあもっと責任あるエネルギー政策をすすめるから見てろ、と。確かにゼロにするにはその行程を具体的に考えて実行していかなくちゃいけないから骨が折れる。今まで通りにやってくんだったら、官僚も現場も慣れてるから交渉も運営も楽なもんだ。財界の受けもいい。確かに産業界と財界と官僚界(?)に対しては「責任ある」行動。

アメリカ合衆国でカーターの後に就任した企業代表レーガンが、カーターのやった原子力産業暴走への歯止め政策をことごとく「無責任」としてぶち壊していったのに似ている。
 使用済み核燃料の再処理、その目玉でもあった高速増殖炉「もんじゅ」は、つい先だって(128日)設置許可を無効とする行政訴訟判決が出た(国側は当然上訴したのでまだ裁判は続くらしい)。どちらにせよ「もんじゅ」は問題多発で運転できる状態じゃない。だから国は今年度予算にその維持費、174億円だけを計上して運転費用は計上していない。1995年のナトリウム漏れ事故以来、年間百何十億という維持費だけを17年間かけ続けてきたのだ。 
 ところで、そんな自民党を支持した選挙民は(投票率は記録的に低かったそうだが)何を考えているんだろう。原発事故で酷い目にあった福島でも自民が圧勝した。事故後の処理と対策という面で、民主党じゃだめよねえという気持ちが出てくるのは分かるけど、原発推進派の自民にしよう、というのは飛躍がありすぎないか。

最近の世論調査によると安部内閣の支持率は68%ほどだという(TBS112日。ちなみに鳩山内閣成立時には75%という記録を出した)。これはすごくじゃないけど、相当にいい。いろんなサイトではデフレ対策とアルジェリア人質事件への対応などをその理由として挙げている。アルジェリア人質事件で私などに見えたのは、政治屋と官僚の天下り企業として名高く、日本企業が海外で「エコノミック・アニマル」という栄誉ある俗称を戴いた時代から先頭を切ってきた『日揮』と自民党の深ーいつながりだった。加えて、海外に出ている経済先兵を軍事力で守ることができない(自衛隊をそういう風に派兵できない)ことを嘆いてみせた安部君。―満州でもフィリピンでも、そのようにして日本軍は現地の日本人を守ったじゃないか。アメリカ合衆国だって、そのようにして南アメリカのアメリカ合衆国企業を守ったじゃないか。なんで今の日本にはそれができないの?というわけだ。だから憲法変えなきゃ、という風に繋がっていく。これは利用できるお話だからイラク人質事件のときのように会社にも犠牲になった社員にも「自己責任」なんて言わなかった。でも、日本国の選挙民にはそうは見えてないんだろう。テロに対して毅然と、迅速に対応した―なんて言われちゃう。

国際金融市場にとっては、これを機会に日本国がますますの規制緩和をしてくれて、市場開放してくれればチャンスが広がるわけだから歓迎だ。自民優勢と聞いた瞬間に株価は上昇し円が買われたくらいだ。そうした、特に金融の自由市場化が、長い目で見たときに富裕層と貧困層の断絶を拡大することは歴史が証明している(北アメリカ、ラテンアメリカ、ロシア、中国、インドネシア、タイ、ベトナム、南コリア…枚挙にいとまなし)。それを歓迎するのは「勝ち組」と「勝ち組になりたい/なれると思ってしまっている人たち」だけだと思うのだけど、つまりは後者が膨大な数存在するっていうことなんだろう。選挙は前者の金と、膨大な後者の票によって左右されたんだろう。


 原発ゼロ方針は撤回された。原発増設への布石が打たれた。地元の反対をよそに核融合炉の実験が始まった(茨城県日本原子力研究開発機構那珂核融合研究所、1月28日)。アメリカ合衆国でも増設が決まった(フェルミ3、1月13日)。増設で儲かるのは日立だ。日立が「襲撃」されたときには日本軍が出ていくための布石も打たれようとしている。(阿川)

コメント

古川ちかし さんのコメント…
この話題でとても気になっていることがあります。それは当時も少し議論になりましたが、昨年6月の原子力規制委員会設置の際に作られた同委員会設置法です。委員会の目的を同法は「原子力規制委員会を設置し、もって国民の生命、健康および財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に質することを目的とする」と規定し、同時に、1955年に制定された原子力基本法第二条の規定をこれに合わせて”改正”しました。1977年の改訂の際に追加された”安全の確保”(平和目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下、…」)が”我が国の安全保障”になり、その中身として”国民の生命、健康および財産…”が追加された。政府原案では「国民の生命…」ではなく「人の生命…」だったものが三党修正協議で「国民」に変わったのだそうです。
 さて”気になること”ですが、第一に「国の安全保障」と「平和利用」とはどのように矛盾せず両立するかということ。平和利用という言い方は、兵器に使用しないということを言っていないですから、もし軍隊が”平和のための軍隊”であり、戦争が”平和のための戦争・武力行使”であれば、核を兵器として使用してもそれは平和利用ということになるのでしょうか。もちろん、”日本の文脈”で考えれば、これは詭弁でしかないわけですが、論理的でないとは言えません。
 第二に「国民」ですが、憲法制定の際にもGHQ草案のpeopleがいつの間にか「国民」にすり替えられたことを思い出します。基本法も規制法も、日本国国民だけを守ると宣言したわけですが、国の被爆者支援が長期にわたって非日本国籍保持者をないがしろにしてきた経緯を思うと、それが繰り返されるのではないかと考えさせられます。
 安部政権に変わってからの原子力政策について考えるときに、昨年6月の法改正の意味を忘れずに吟味していく必要があると思いました。
村山 さんのコメント…
野田政権が反原発を掲げた、という印象ですが、それは間違いだと思います。はっきり言って野田さんには原発なんかどうでもよかったのだと思います。彼はとにかく消費税増税一本やり。どうでもよかった原発問題で経団連や官僚機構の逆鱗に触れたくなかったので大飯原発再稼働やベトナム等への原発売り込みもせっせとやったのではないでしょうか。野田さんはすでに今の自民党路線でした。