1%の傲慢:オリンピックと原発
9月7日夜、IOC総会で2020年夏のオリンピック開催地として東京が選定された。日本のテレビでは1つのチャンネルを除いてすべてがプレゼンの様子を映し出し、招致を“祝った”。IOC(国際オリンピック委員会)が原発事故矮小化(downplay)に一役買った。大丈夫ですよ、問題ありませんよ、という「日本側」のプレゼンテーションを受け入れた。日本国内に対しては“国際社会”も原発問題はたいしたことない、大丈夫なんだと言ってるよ、という大きな説得材料として働いた。
情報隠ぺいする日本政府から送り込まれたIAEAの天野会長さえ、一時の批判をかわして1%の“国際社会”から支持されている感も出てきた(これも一時的なもので、いずれ更迭されるに違いないのだけれど)。1%が推進する矮小化は東京オリンピック誘致決定でモメンタムをつけた。
IOC、このNGOは世界の劣悪な企業体、Cola Cola、ダウ・ケミカル、Atos、マクドナルドなどの献金を受け賄賂と不健全な収支(免税されているにも関わらず収支決算をどこにも報告しない)でつとに有名。それが「オリンピックという“夢”」を“世界に”与えると宣伝されている。スポーツをする人たち(子供たち)の「夢」は『有名になって企業スポンサーがつく』ことなのだそうだ。サマランチ前会長が民営化とプロ選手の出場を成し遂げたとき、アマチュアリズムはスポーツ界の差別構造を助長するものであり、貧困層からも優秀な選手が輩出されるためには市場原理が必要なのだと、商業化/民営化の“善”が喧伝された。新自由主義の申し子として誕生したサマランチ・オリンピックがその自己正当化の論理を維持できなくなったことは、北京でもロンドンでもはっきり見えた。五輪で喜んだのは(普段なら買えない武器や監視設備、盗聴装置などをふんだんに買うことができた)警察と軍隊、ゼネコン、不動産業界、そして(無税の何億ドルかを手中にした)IOC。英国オリンピック委員会にもいくばくかのおこぼれはまわっただろう。スポンサー企業に割り当てられた観客席はガラガラ。開発で家やコミュニティを追われた人々のことなど、知っていても語られない。
「ニッポンの強さを世界に伝えよう。それが世界の勇気になるはずだから。(左)」日本はこれだけ放射能にさらされても元気なんだから、その日本がまき散らした放射能にさらされた“世界”もがんばれよ、とも読めてしまう。国内外の放射能にさらされた人々を一人でも多く助け、海や大気や人の移動や物の移動(輸出、特に食品の輸出)によって拡散していく放射性物質の流れを止めることが必要なときに、(山下先生のように)元気に笑っている人には放射能は来ませんよ的に読めてしまう。コピーを書いた人にそんな意図はありませんよ、曲解もはなはだしい…と怒られそうだが、このコピーの持つ意味は、書き手の意図だけで決定されるものではない。さまざまな立場の受け手がいるのだ。
1%の人々(one percenters)が勝ち組になることに対してあれだけ異議申し立ての声を上げた“世界”は、決してオリンピックの“夢”に騙されることもなければ放射能汚染の矮小化にも騙されない。1%にできることは反対の声を力で押さえつけることだけだ。押しつぶしはすでに始まっている。オリンピックはちょっとねえ、放射能が心配よねえ、と人前で言いにくい状態が作られている。人前で言いにくい人は心の中で言おう。衝突、交渉できる人はそうしよう。言わなくなったら、そこでゲームセット。
汚染地の子供たちの甲状腺異常が多発しても「これまでも、これからも放射能による健康被害はない」と主張する日本。汚染水が海洋に漏れているにも関わらず「完全にブロックされています」と主張する日本。「絶対安全です」と、福島直後だったら日本のマスコミでさえグッと引いてしまうセリフを堂々と吐いた日本の首相。それを嘘だと知りつつ、オリンピックが来るんだったらまあいいやと喜んで拍手する人々もいるのだろうけれど、どこかに奇妙さ、不気味さが残るはずだ。
原発賛成とか反対とか、もうどちらでもいい。賛成だからといって、事故で汚染が続いている地域の人たち、汚染が飛び火している地域の人たち(アメリカ大陸でも甲状腺異常が2,3倍になった地域があるという)の問題を矮小化するべきではないし、事故そのものを矮小化するべきではない。ここまで公然と嘘をつかれると、1%の傲慢に対する反撃もまた今まで以上のモメンタムが必要になる。(村山さたね)


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