日本人が感じた、安心と不安

最近、電車内にある週刊誌の広告はタレントのスキャンダルか、東アジアの中傷で出来上がっているように感じる。この広告やインターネットの2チャンネル、ヘイトスピーチなど自分が日本に住む人間として恥ずかしい思いになる。彼らは、歴史認識という糸口から無理矢理入り、文化に優劣をつけ傲慢な主張を繰り返しているにすぎない。この傲慢さは都会のみに収まらず政治の中心である、国会の中へも浸透している。安部総理大臣を筆頭に、日本の議員すらも罵りの言葉や差別的発言を昨今では繰り返している。私は日本に住む人間として、日本政治に対し批判的な意見を持っていることは事実だ。しかし、日本の中から見ているでけではあまりにも狭すぎると危機感を覚え、出来る限り多面的な視野で日本をみたいと思ったのだ。そこで、台湾というフィルターを通し日本を見つめ直す。これが、今回の旅に出るきっかけになった理由だ。

ここでは、台湾に行き感じた安心感と不信感の話をしたい。はじめに安心感とは、母国語がいたるところに溢れていてホッとした気持ちになったのだ。台北の街には、日本語表記・日本製品が見受けられた。とくに『の』という、ひらがなを見つけた。化粧品やお菓子、ジュースなども日本のコンビニの棚に置かれているものが、多くあり食品チェーンに関しては、寿司はもちろん、うどんやラーメンが人気をはくしていた。先進国といわれる日本の海外進出を目の当たりにし、安心感と複雑さが私の胸を襲った。母国語が棚の上に乗っかっている安心と、同時に台湾の伝統や文化が、海外進出により狭まり削られていく矛盾をひしひしと一人ゲストハウスで感じていた。

驚いたこととして、日本アニメなどサブカルチャーの認知度の高さがあげられる。コミックでは、ワンピースやドラゴンボール、ドラえもんなど台湾の学生の多くが知っていて読んでいることが常識化されていた。台湾はバイクを移動手段として使ってる人が多く、そのヘルメットには排気ガスに覆われたキティーちゃんも見ることができた。余談になるが、日本ではアンダーグラウンドな漫画「深夜食堂」を台湾の本屋さんでは大きな広告で宣伝していたのだが、果たして台湾ではポプュラーなものなのだろうか?ぜひ、次に台湾に行く機会があったら聞いてみたい。つまり安心感とは、日本にいると日本語表記が当たり前であるがゆえに政治などの面に関して反発し、日本という国を好きになれないのだが一歩、言葉が通じない国に行くと、母国語の歌や商品をみて「日本と同じ」ということに安心している自分がいることに気がついたのだ。

次に安心感とは対照的な不信感についてだ。日本の外交では比較的に東アジアの中では台湾と、親交的な付き合いをしているように伺える。一括りで語るのは難しいが、日本政府は中国に対し領土や歴史認識を理由とし、親中とは言いがたい態度を見せている。一方、台湾の中でも、中国に対して「台湾独立」を唱う人もいる。このことからわかるように、日本と台湾は反中という面で共通し、評価しあっていることが考えられる。そのため、台湾で出会った学生に日本の政治に関してイメージを問うと「綺麗・しっかりしている」などがあげられた。これらを通し、中国に対し共感できる部分だけをクローズアップしているに過ぎないと私は感じた。が同時にこの思いは、鏡となり自分が他国を考える上でこの様に意見があっている部分だけを見て、評価していたことを思い出し改める必要性を考えるきっかけにもなった。永田町で行われている、日本の外交政策のようなものをこれほどまでに自分が体感するとは正直、想像していなかった。これらの経験から、自分・日本人・相手(台湾人)の間でズレがあり、またこれは先程述べた「日本と同じ」ことで安心している自分とは異なる意見を持った。同じ敵を持ち評価の対象にしているその姿勢は、不信感や不安感を募った。

この安心感と不信感は自分を日本人として認識させ、同時に外交的な付き合いを目の当たりにしたことから、改めて日本政治に対して主体的に介入していく必要性を感じた。まさに安心と不安の間に、宙づりにされた。これだけでも、台湾に渡航した意味見いだすことが出来た。ここで得た自分は宙づりにされているのだという感覚を、今後忘れずに持ち続けることでより自分が住む日本という共同体に内在する問題と向き合い、思考することが出来るだろう。19歳でこんなにも、大きな視点というプレゼントを貰えたことに感謝します。(日本大学法学部1年 白石鹿乃子)

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