辺野古・高江と安保法制―沖縄平和営報告
2015年9月19日から22日まで、平和の島連帯主催の「沖縄ピースキャンプ」に行って来ました。台湾から15名ほどの参加者が同行し、済州島、沖縄現地の参加者を合わせて65名ほどの大所帯(右写真)での催し物となりました。
今年の2月にEaphetで、済州島と沖縄からの参加者を迎えて行った《【蠱惑的假面】不要!分裂中的台灣‧沖繩‧濟州》活動の続きです。来年夏には、さらに台湾での「台湾ピースキャンプ」の開催が予定されていますが、それについては本稿の最後に報告します。
キャンプは、実質三日間、辺野古(キャンプ・シュワブのゲート前)での抗議活動を中心に、辺野古での海上抗議、高江での抗議活動などに参加しながら二度の公開シンポジウムを行って済州島、台湾、沖縄、そしてアジア太平洋地域の軍事化の現状について意見交換を行うという、盛りだくさんな内容。
最終日には参加者全員で宣言文を練り上げて発表した。その主な内容は、①軍事演習の停止、②人工島の建設の停止、③江汀村海軍基地建設の停止、④高江のヘリパッドの建設の中止、⑤与那国島レーダー基地建設の中止、⑥石垣島、宮古島、奄美大島の基地建設計画の停止、そして⑦辺野古新基地建設の中止を求めるものでした(宣言の最終版はまだ確定していないので、以上は暫定版に基づいています)。
東京で安全保障法制が強行採決(議事録もなく採決ですらないわけですが)された直後、早朝のゲート前での抗議活動で、私たちのキャンプの参加者が逮捕されるアクシデントが起きました。翌日の予定をすべて変更して、キャンプは名護警察署前で、逮捕された人の即時釈放を求めて座り込みました。逮捕後48時間が経過したところで10日間の拘留延長となり、最終的に釈放されたのはキャンプ終了後の10月2日でした。
以下、キャンプの内容を、私個人の立場からではありますが、簡単にご案内します。
1.事前準備
2月の「蠱惑的假面」イベントの際に、沖縄ピースキャンプの日程が9月のシルバーウィークになると聞き、その日程では台湾の学生の参加はむずかしいのではないかと心配しました。しかし、蓋をあけてみると、社会学系の学生を含め、318ひまわり学生運動にいろいろな形で参加した学生たちを中心に、次つぎと参加申し込みがあり、Eaphetとしてはうれしい誤算となりました。過去(のツアー)最大の参加者数でした。夏の江汀平和行進に参加し、現地で済州島と沖縄の面々と打ち合わせをして台湾に戻ってきた上前万由子さんを中心に参加者募集、沖縄チームとの連絡をとり、象仔書屋を借りて事前の勉強会を何度か行いました。困ったのは中文で沖縄の基地問題について書かれたよいものを見つけることができなかったことです。象仔書屋にも適当なものを見つけられず、ネットで読めるものをみんなで捜しました。
2. 沖縄へ:県庁前で琉球SEALDsに出逢う
9月19日の早朝のLCCで多くの台湾参加者は沖縄に向かいました。すでに現地入りしていた上前万由子さんと合流し、大部分の参加者はそのまま南部戦跡と平和祈念資料館へとバスで。すでにそこは経験ずみの一部の人は、県庁前広場で琉球SEALDs(シールズ)の企画する安保法制抗議集会に参加。私もそちらに合流しましたが、その日の未明に強行採決がなされたにもかかわらず、集まった人たちは30人前後で決して多くはありませんでした。通りを隔てた向こう側では安保法制を支持する人たち2, 3人が街頭示威行動をしていました。そちらも極めて小規模でしたが、数十人を集めたシールズの側で話を聞きました。途中でEaphetの仲間、琉球新報の呉麗君記者も合流。
琉球シールズの人たちの話を聞いていると、沖縄をあくまで日本国の一部として認識したい人たちと、そこをあえて明確にしない人たちがいました。沖縄独立という立場を明確にしたスピーカーは(少なくともシールズ関係者には)皆無でした。沖縄のことは沖縄が決める・・・標語にはそうあるのですが、沖縄の位置は全体としてはっきりしなかった。自分たちの生活に大きく影響することについて、自分たちの考えや利害ではなく、「私はあなたたちよりもっとずっと大きく、正義なんだぞ」と主張する《何か、誰か》の考えや利害によって決められていくとき、その《何か・誰か》を自分たちもその一部であるものととらえるか、あるいは自分たちとは別のものであるととらえるか。琉球SEALDsの全体としての声は、この《何か・誰か》の主体は横に置いておいて、その「正義」の質を問うことに終始していたという印象です。東京での問いの問い方と、沖縄での問いの問い方の間にあるべきなのではないかと思う差が見失われているようにも思いましたが、それが意図的なのかどうかは分かりませんでした。
3. 辺野古:海とゲート前
一夜明けて、翌朝、一行は辺野古の海へと向かいました。私が海岸のテント村を訪れるのはほぼ10年ぶり(沖国にヘリが墜落したとき以来)でしたが、その変わらない様子にほっとしたというか、どう感じていいか分からなかったというか…。
実は、私たちの中で、テント村で話を聞く一団と、海上行動の真似というか練習のためカヤック(カヌー)に乗る一団とに分かれていました。私はテント村に行きましたが、カヌーの方は初めて乗る人もいて、なかなか大変だったようです。一行は昼に合流してゲート前へと移動しました。
今日のゲート前は「ミスターゲート前」山城博治さんが退院してゲート前に復帰する日で、糸数慶子さんらも山城さんを待ちうけていました。登場した山城さんはまだ体力が回復していないことが動きや発声から分かりましたが、話すうちに元気が湧いてきているようでした。化学療法で髪の毛が抜けおちた頭にハンチングをかぶった彼のスピーチは前日の安保法制強行採決に触れ「もしあの強行採決のときのように東京の装甲車では足りず大阪から、神奈川から100台以上の装甲車を並べて私たちをもし(ゲート前から)シャットアウトすることがあるとすれば、笑ってやりましょう。そんな装甲車で俺たちの前に壁を作ることはできない!」と檄を飛ばしました。まだまったく本調子ではない山城さん、身体を大事にしてほしいがゲート前の闘いが彼の生きる力なのだろうとも思いました。
この前の日(私たちが沖縄に降り立った19日)ゲート前の座り込みのテントに酔っぱらった右翼が殴りこんだそうです。その現場では見ているだけで何もしなかった沖縄県警ですが、その後、この右翼を逮捕したと聞きました(翌21日の話)。私たち一行も、沖縄のおじちゃん、おばちゃん、お母さん、子どもたちの中に混じって坐り、お弁当を食べました。
午後は宜野座の公民館でシンポジウムをやりました(上写真)。生態系中心の討議で、済州島チームからはヒョンジン(いるか)さん、台湾チームからは恩恩さんが発表。辺野古の海を潜り続けている牧志治さんのスライドと発表が圧巻でした。沖縄の人たちも聞きにきてくれたのですが、会場が広すぎたのでしょう、あまり活発な議論にはなりませんでした。内容的には、しかし、あまり馴染みのない海の中の生態系の話にみな聞き入り、辺野古と大浦湾の海に何が起きているのか、多少なりと理解することができました。台湾の話は直接これと関連しなかったのですが、島全体の環境汚染とこれに対する島民の闘いの様子が伝わったと思います。
4. 高江と汀間公民館
翌21日は、早朝のゲート前抗議の後、高江へと向かいました。N4テント。途中の道が寸断されているところがあって迂回の必要に迫られ、右往左往した後、何とか高江のテントに到着。説明の途中で大雨になり、テントの中も足元を水が川のように流れる状態。お名前を失念しましたが説明してくれた男性が最初にちょっと英語であいさつした後「ここは日本だから日本語で話しましょうね」と言ったのが私の耳に刺さって、なかなか抜けてくれないのですが、お話の内容は(通訳にてこずりましたが)充実したものだったと思います。同時にテント訪問だけでは高江の現状も人々の暮らしも分からない、ということもよく分かりました。天候があやしく、時間もない中での高江訪問だったので、これをしかたのないことでした。私たちは急いで汀間(てぃーま)の公民館へと向かいました。
汀間の公民館では汀間の区長さんも出迎えてくれて、シンポジウムの会場いっぱいに沖縄の人たちがきてくれました。台湾チームからはLeoさんの発表、済州島からはチェ・ソンヒさん、沖縄から高里鈴代さん、そしてハワイからクーハン・パイクさんが話しました。聴衆の中に馴染みの顔(例えば知花昌一さん)を発見しつつも、私自身、慣れない通訳に追われて挨拶もできない状態でした。汀間区は基地と引き換えの振興予算などもらわずとも豊かな未来が思い描けるのだと宣言した地元の人の言葉に何かきりっとしたものを感じました。
クーハンさんの発表を聞いて最近になってやたらめったら軍事演習が増えていること、それも軍事同盟上は敵と味方になるにもかかわらず行われる合同演習が急増しており、演習の場が武器の見本市と化していて、実際に武器商売のために演習を行っているようにも見えること、さらに軍事演習がいかに海を傷つけているか、について再認識しました。
ここでも中日韓英の通訳作業は大変でしたが、みなさんの不屈の精神だけで乗り切った、という感じでした。
5. 名護警察署と満月祭り
翌日、22日の早朝のゲート前抗議でキャンプ参加者の一人が逮捕されるというアクシデントが起きました。警察の方もこの日はなぜか人数も多く、殺気立っていたようです。私自身は寝過して朝の抗議活動には参加していなかったので実際に何が起きたのかは、別の人が現場で撮ったビデオなどから推測するしかないのですが、逮捕された参加者は「警官を足で蹴っ」て公務執行妨害現行犯逮捕になったと説明されました。
糸数慶子さんが弁護士とともに署長に談判に入りましたが本人には会えず、容疑を知らされただけでした。結局この日はまったく進展がなく、私たちは前から予定されていた大浦湾での音楽祭「満月祭り」へと向かうしかありませんでした。この音楽祭で沖縄ピースキャンプの共同宣言文を読み上げることになっていました。
ところが肝心の宣言文(四言語)がまだ未完成。読み上げる部分を重要な部分だけにしても、まだ四言語で出来上がっていない状態だったのです。私自身は、英文担当のNan Kimさんが急いで次つぎに仕上げてくる英文の日文相当版の作成に駆り出され、これまでの人生でこんなに集中したことがないというほど集中して使いなれないラップ・トップを膝に、不安定な砂浜に椅子の足を食いこませながら作業。最終的にどうにかこうにか四言語間に合ったのはまさに奇跡でした。
次頁上の写真は、宣言文の作成に奮闘する面々です。 音楽祭に来た一般の人たちには、突然の「平和キャンプ宣言文」を唐突に感じ、何のこっちゃという人たちもいたに違いありませんが暖かい拍手をもらいました。
そういうわけで音楽祭の大半を見ることができずにいたわけですが、最後に南コリアからきたサムルノリの表演だけは見ることができました。ここ二日間、ずっと宿も一緒だったのにどういう人たちかわからないままだったんですが、ここで初めて分かりました。ああ、彼らはこのために来てたんだ、というわけです。
6. 台湾ピースキャンプのこと、台湾に戻って
9月21日の夜に、来年のピースキャンプを台湾で行うことが決まりました。今回の沖縄ピースキャンプに参加した台湾チームが中心となって企画・実行することになりました。これも「満月祭り」で発表しておきたかったので前日の夜に決定しておいたわけです。
台湾に戻ってから今日(11月12日)までにすでに三回の会合をもち、台湾ピースキャンプについて話し合っています。もっとも一回目はまだ沖縄で逮捕された参加者が釈放される前だったので、その話が主で、キャンプの計画について突っ込んだ話はできませんでした。第二回目から実質的な相談に入りました。
ここでは、今私たちが考えていることをアウイなりにまとめて報告に替えたいと思います。ネット上には「台灣島際和平營」というタイトルで最新情報を載せていますのでご参照ください。
① 台湾ピースキャンプを実施する母体として『和平之海聯盟台湾分部』を立ち上げ、Eaphetはそれに参加する。緑色公民行動聯盟の洪先生、台東廢核反核廢聯盟の郭さん、國家人權博物館籌備處の蔡先生などが参加してくれることになっている。(まだ関係者に連絡が取りきれておらず、参加者リストは今後増えていくことになるだろうと期待している)。
② 台湾には(済州島や沖縄と違って)米軍基地がなく、軍事基地をめぐる大きな抗争もなく、平和運動そのものの様相が他の二つの島とは異なっている。そこで共通点を見つけていく必要があるが、1】済州島、沖縄、グアム、ハワイ等で展開されている米軍を中心とする軍事化とその社会、自然環境への影響は、台湾にとって対岸の火事ではなく、その影響をもろに被るものであると認識し、2】来年の総統選挙でも民進党の躍進がほぼ確実視されており、その民進党は安倍政権の安保政策を歓迎しているようなので、台湾住民としてこのことが台湾のどのような急激な軍事化に繋がっていくか警戒しなくてはならない局面を迎えている、と認識し、3】それゆえ、環太平洋および東アジアで進行中の軍事化について台湾でも人々の関心を喚起し、情報を交換していくことの価値は大きい、という三つの共通認識に立脚して考えていきたい。これは、これまで過去の戦禍と白色テロに焦点を当てがちだった台湾の平和運動に新たな局面を開くものとなる可能性がある。
③ キャンプの実施時期は2016年8月後半から9月初旬までの間のどこか、全5日間の日程とし、内容と場所については検討中。南コリア、沖縄、台湾から40名前後の参加を予想。助成金についても検討中。
④ キャンプ実施前に、北部、中部、南部、東部で小規模のフォーラム的な催し物および読書会(勉強会)を行い、議論を深めていく。北部については洪先生等北部在住者が詳細を詰めていく。中部、南部、東部についても同様。例として南コリアの問題を扱ったドキュメンタリー(例えば「グロンビの風」)を上映し、江汀村の誰かにスカイプで現状報告をしてもらい、参加者で討議する、など。12月に初回が開催できることを期待している。
まだ計画を始めたばかりなので、とりあえず合意したのは以上だろうかと思います。詳しいことが決まり、計画が立ちましたら、その時点でみなさまにお知らせしたいと思います。この文章を読んでくださった方々、ぜひご協力いただければ幸いです。(アウイ・カズオ)






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