8月1日を前にして:原住民族転型正義?
謝罪
新総統、蔡英文が原住民族に対して謝罪する意思を表明したのは、就任前の1月26日、台東訪問中の出来事だった。はたして就任後の5月26日、蔡総統の下に組閣した行政院の陳美伶秘書長が「総統が8月1日、原住民族の日に、原住民族に対して謝罪する」と発表。行政院はまた「原住民族転型正義委員会」を設置する意向も表明し、同委員会は7月26日に設置された。
(どうせ)形式的な(ものになるに決まっている)謝罪など拒否する、具体的な立法を持って来いという反発もあるにはあるが、原住民族伝統領域(土地への権利)回復のための《転型正義促進条例草案》と《歴史的正義・権利回復法草案》の審議が非公式ながらすでに始まっていることを念頭に置けば、謝罪が単に言葉に終わるとは思えず、原住民族の期待は高まっている。
原住民族の伝統領域への権利と自治権についての具体的な期待は、2000年に陳水扁(祭英文と同じく民進党)が総統に就任したときの「原住民族との新パートナーシップ」宣言によって高まった。(原住民族自治は、その後、2005年に制定された《原住民族基本法》の中に謳われることになるのだが、今までそれを具体化する法整備がなされてこなかった。)陳総統の宣言は、しかし、実質的な内容を伴うものにはならなかった。その最大の原因は、議会の多数を国民党が占める中で陳総統の強引な四原発建設停止命令をめぐって政府機能が停止する事態に陥ったことだったと思う。結局、陳総統が建設工事の続行を認め、その見返りに国民党も一定程度陳総統の行政院(内閣)に協力するということで手打ちとなったが、この一件のために陳総統は国民党の顔色を見ながら政策を推し進める感じになった。
彼にできたのは原住民族の「正名」促進と、原住民族自治法案に端緒をつけることだけだった。(正名とは、日本時代に一方的に行われた原住民族の分類-9民族-を見なおし、政府が新たな民族認定を行うことを指す。正名運動は2002年5月11日に開始されたため「511正名運動」とも呼ばれる。)細かいところを省略して言うなら、陳総統時代に行政院(内閣)が作った自治法案は原住民族が要求したものからは相当後退したものだったが、立法院(議会)でさらに骨抜きにされ、原住民族側がこれを拒否し、馬政権下で審議は進まなくなった。その後、原住民族自治法は実質的な進展のないまま今日に至っている。
蔡総統が謝罪するというのは、次に見るような日本植民地時代から継続した(国民党時代に悪化したとも言われる)原住民族の生活圏である土地の収奪と、人権の侵害、社会的な差別を制度が作り出してきたことに対してだと考えられる。もちろん、彼女が具体的に何を言うつもりなのかは、この段階では分からない。
「還我土地(土地を返せ)」運動と伝統領域
1988年に第一回の「還我土地(土地を返せ)」運動が組織され、89年、93年と三回にわたって還我土地運動は大きくうねった。その後も折に触れて運動は展開されてきたわけだが、最初の大きなうねりほどの影響も注目も集めなかったという印象が私にはある。政府は原住民族が伝統的に使用してきた土地を「山地保留地」と名付け、原住民族にその使用を一定の範囲で認めるものの、所有権、抵当権などを認めなかった。土地の管理は政府が行い、政府と癒着した企業などが公益と称して原住民族の土地を領有したり、政府が原住民族の土地を承諾なく国立公園に指定して、結果的に原住民族を追い払うなどということが繰り返し行われてきた。
2012年10月19日、いくつもの土地訴訟の中で、初めて原住民側が全面勝訴した。花蓮のアジア・セメント訴訟だ。訴訟は、政府がアジア・セメントに原住民族の土地の使用を許可したことの違法性をめぐって数十年にわたって争われてきた。私も原告の訴訟資料の一部を見せてもらったことがある。原住民たちがアジア・セメントによる土地の使用を承諾したとする書類を見ると、住民たちの署名が同一人物によって書かれていること、筆跡がどれも同じだということが一目瞭然のずさんな書類だった。2012年になって行政裁判所は、こうした明白な事実に逆らえず、ついに原告勝訴を言い渡した。
この勝訴が弾みとなって、一連の土地裁判が、同様に政府側・企業側敗訴に流れる可能性があるとしたら、国と企業にとっては原住民族の伝統領域への権利を「新たに」認めて仕切りなおしたほうが損害が少ない―そんな流れもどこかにあるのかもしれない。
伝統領域問題を理解するためには、日本時代に執拗に繰り返された強制移住の歴史についても確認しておかなくてはならない。特に1930年の霧社事件以降、総督府の原住民族政策が大きく変化し、高地の部落のほとんどすべてが管理しやすい平地へと降ろされた。狭い平野部に降ろされたため、異なる民族がひとつの部落に詰め込まれたりもしてきた。そして没収された高地の土地の多くは、総督府の財産(国有地)となった。それ以前から部落間の共有の狩場など、無主の地と規定されたものは総督府が国有化していた。国民党が台湾を接収した後、この国有地は「日産接収」と同時に、今度は中華民国の国有地とされた。
伝統領域という場合に意味されるのは原住民族が日本時代後期に居住したり使用したりしていた土地ではなく、それ以前に居住・使用していた土地のことだ。この項の冒頭に「山地保留地」と書いたが、それには国民党時代の国有地は含まれていない。今でも政府は高地の大きな部分を所有しており、一部は国立公園に、一部は軍事施設に、また一部は国民党の老兵に払い下げになったりしている。
こうした状況の下で、伝統領域の確認、そして線引き、原住民族にその権利を認めるという場合の権利の内容など、具体的につめていくためには相当大変な利害の調整作業が必要となり、その過程は新たな抗争の種を蒔く可能性もあり、困難を極める試みとなるだろう。
先住民の土地問題への取り組みにおいては台湾に先行しているカナダでは、土地請求権問題に二種類を区別している。それは、
A 包括的請求権=インディアン条約などに規定されていない土地について、先祖代々住みついて使ってきたという事実に基づいて所有権を主張する包括的な土地要求。
B 個別的請求権=インディアン条約が守られていない、あるいはインディアンの土地その他の財産管理について行政に不手際があったという個別の要求。
の二種類だ。前述のアジア・セメント訴訟などはBに関係し、伝統領域問題は全体としてAにあたる。蔡英文が謝罪しようという内容がBにとどまることなく、Aにまで及んでいることは伝統領域への言及からも明らかだ。こうした困難な作業に着手したとして蔡総統時代に完了することは不可能だろう。政府が相当の覚悟をもって挑まなくてはならない。
転型正義(Transitional Justice)
日本語では「移行期の正義」と訳されることもあるが、蔡は(これは蔡のオリジナルではなく台湾では以前から)「転型正義」という言葉を使っている。とりあえずの定義としては、
『過去の大規模な人権侵害が遺したものと折り合いをつけようという社会の試みに関するプロセスとメカニズムの総体』(紛争および紛争後社会における法の支配と移行期正義に関する国連事務総長報告』The United Nations’ Report of the Secretary General on the Rule of Law and Transitional Justice in Conflict and Post-Conflict Societies)
というのが広義の定義だろうか。これ以外にも「紛争後の社会が、紛争時の不正、人権侵害を認知し、記憶し、自らを癒すこと」を転型正義の説明とする場合も多い。この「プロセスとメカニズムの総体」として、これもよく言われるのは、
刑事訴追
真実委員会または公聴会
補償
制度改革
公的謝罪
記念物、追悼集会、博物館
という六つの行為だが、歴史記憶のためにはこれに教育を加える必要があろう。
蔡英文が転型正義を言い出した背景には、国民党一党支配下で行われた「白色テロ」の清算ということも、国民党が不正に蓄積した党の財産の解明ということも、原住民族問題に加えて―あるいは先んじて―あった。
たとえば228事件については、すでに李登輝が1997年に公式謝罪を行って記念館を設置し、そして被害者申請に伴って賠償金を支払っている(2004年にその申請が締め切られた)が、遺族の中には被害申請が間に合わなかった人々もいる。記念館の展示の内容にも、いくつもの問題点が指摘されている。「真実和解委員会」は設けられてこなかった。抜本的な制度の改革も行われてはいない。228事件さえも、その意味で、蔡の転型正義の埒外にはない。国民党は「民進党はいつまで228をATMとして使うつもりか!」と反撃している。(ATM=いつでもそこから金を引き出せる装置、という意味。)
白色テロ時代の不正、人権侵害行為は多岐にわたり、その多くは闇から闇に葬られてきた。証言や残存する書類によって真相に迫れるものもあれば、もう不可能なものもある。加害者が今の社会で重要な地位にあり、財界、政界で巨大な権力をもつ人間である場合も少なくないだろう。すべての真相が明らかになれば、蔡政権の内側にだって加害者は出てくるかもしれない。パンドラの函を開けることになるかもしれない。悪事はいつでも国民党というわけにはいかないだろう。
悲観的に見るなら、政府が行うものである限り、転型正義などと掲げてみても、どこでお茶を濁すか、どこでオチをつけるかという政治的な戦略にすぎないようにも見える。南コリアでは李明博政権になって転型正義の試みは一気に失速した。朴政権下ではその欠片も見えない。フィリピンについては紙を改めて書きたいと思う。日本、中国においては試みすらなされたことがない。
台湾がこの試みにいくらかでも成功するなら、それは東アジア全体の進むべき路を示すことになるかもしれない。とりあえず8月1日を待とう。(アウイ・カズオ)

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