阿嬤家- 和平與女性人權館 見学

AMAの家入口でガイドさんと
 41日、大学院生たちに混じって台北の阿- 和平與女性人權館を見学した。レトロな建物にお土産屋さんやカフェなどが並ぶ迪化街の一角に「家」はある。正面はAmaカフェで、カフェを通り抜け、奥に行くと、「- 和平與女性人權館」に入ることができる。14時からのガイド案内に合わせ、13時半にAmaカフェ前集合。「外から見てここが何なのか全然わからない。何でわからなくしてるんだろうね」というミニ討論から始まり、ガイドの方とともに中を見学した。

ソウルの博物館で(2017)
 これまで、日本のWAM、韓国の大邸、ナヌムの家、ソウルで慰安婦関係の展示を見てきた。WAMは違うのだが、韓国の展示も台北の展示もどちらもハルモニ、が作った作品があったり、来訪者がメッセージを書く紙が置いてあったり、似ているところがあると感じた。そして、特にソウルで感じた、お金をかけてきれいに作られた感が、この家」でも感じた。韓国の「悪いのは日本」という語り口に比べ、あまりメッセージ性が感じられない。そんな展示の内容と、なんか妙にきれいでおしゃれな感じの内装や展示方法に、私はいたたまれず、悲しくさえ思えた。

慰安婦問題はどのような問題なのか
 慰安婦問題は語りにくい。慰安婦が話題になると身構えてしまうというか、相手を間違えて話すととんでもないことになってしまうのではないかと心配になったり、何をどう話したらあまり角が立たないで話すことができるのか…などと考えてしまう。そう思うのは、恐らく私だけのことではないと思う。この語りにくさは何なのか。どうしたらいいのか。そのことを私はここ数年、時々、ぼんやりと考えている。

 なぜそんなことを考えているのか。原因は二つ。一つ目は、EAPHETのスタディーツアーで行ったソウルで、古川老師から聞いたこと。元々、ソウルの慰安婦博物館は、現在ある抗日記念博物館の近くにたてられる予定もあったが、抗日の英雄と慰安婦をいっしょにするなという反対意見があって、それができなかった。一方は、日本の植民地化で抗日運動をして命を落とした人、もう一方は、日本の植民地化で軍隊に連れて行かれ悲惨な目に遭い、命を落とした/生き延びた人。何が決定的に違うのか。二つ目は昨今の、特に日韓合意以降の日本政府の発言の数々と各種の報道。「その問題はもう終わったことなのだから触れるな」と言っているように聞こえる。そのことに私は強い危機感を持っている。最初に言ったように、慰安婦問題は語りにくい。でも、語りにくいからと言って躊躇していると、忘れてほしいと思っている人の都合がいいように働いてしまう。慰安婦問題はどのような問題なのか。それをどう語っていけばいいのか。今、必要なことだと思う。

AMAの家、展示の入り口
 韓国の抗日運動と慰安婦の決定的な違いについて考えると、抗日運動はみんなの為に戦ったいわば英雄、かたや慰安婦は被害者。被害者は今でも、二次被害に遭うことがあるように、元々社会の中で偏見にさらされやすい存在なのかもしれない。歴史の英雄について忘れないように記念館や記念碑を建てることは受け入れやすい。「そういう英雄がいたからこそ今の私たちの社会があるんですよ」ということだ。台北の二二八紀念館も、二二八事件の被害者/犠牲者という面もないわけではないが、台湾の民主化運動の歴史として捉えられていて、逆に抗日記念博物館に近い位置づけであるように思う。

では、同じ戦争の被害者である、広島の原爆の被害者はどうなのか。被爆者は当初「ピカの毒がうつる」と言われたり、結婚する時に差別されるという理由などで被爆者であることが言い出せなかったことも多いと聞いている。今は、「核兵器の被害を伝える」という目的で広島の平和記念資料館は運営されているし、被爆者としての活動、被爆体験を語り継いでいく意義は核兵器反対で、社会の中では「善」として受け取られているように思う。じゃあ慰安婦問題を語り継いでいく意義は何だろうか。

 慰安婦問題を性暴力被害の問題と捉えた時、昨年日本でレイプ被害者が実名で被害を告発した事件が思い起こされる。被害者が記者会見を行った後、被害者に対するバッシングが起こった。それは記者会見の時に着ていた服装についてだったり、被害にあったとき加害者といっしょにお酒を飲みに行ったりしたことなど色々である。そんな服装をしていれば襲われる、いっしょにお酒を飲みに行けばその後何をしても構わないと思われる、だから、そんな服装をしているのが、お酒を飲みに行くのが悪い、ということだ。被害者の中でもとりわけ性暴力の被害者は、被害を受けたことが悪いことでもあるかのように言われる。それは慰安婦問題も同じで、多くの慰安婦が偏見の目で見られたり、離婚されたりしたということが、この博物館でも語られている。

 討論の時に、私がこの博物館に持つ違和感、ちょっとおしゃれな感じを出しているところが嫌だ、ということをお話した。韓国で行った博物館も、なんとなくちょっとおしゃれな感じだった。また、台北の博物館と同じように、セラピーを受ける間に作られたきれいな作品が飾られていた。女性はきれいに可愛くこじゃれてないといけないのか、と心が重くなった。「慰安所で慰安婦として汚されてしまった人たちが癒やしの時間を経てきれいに回復しました」と言っているように見えるのは、考えすぎだろうか。

 展示方法に対して私が持った違和感について、討論のときに「大きな政治問題になってしまって慰安婦の人たちのことを考えていないという反省から今のような形になったのではないか」という意見があったが、それはそうかも知れないと思った。河野談話が出たとき、アジア女性基金のことが報道されたとき、の(私が知る日本の)状況は、思い返すと今とは全然違っていた。95年のアジア女性基金設立当時は、なぜ国としてきちんと賠償しないのかという声が世の中で強くあったように思う。私自身も報道を見て何なのかと怒りを覚えた記憶がある。韓国の挺対協や台湾の婦援會も寄付を募ってのアジア女性基金からの償い金制度に反対し受取拒否を表明した。個人で受け取ろうとした人へのバッシングもあったと言う。アジア女性基金の償い金が、それぞれの国で何人の人に渡されたかを示していないが、国ごとの数を明らかにすると受け取った人に不利益を生じることがあるからという理由からだ。個人の権利を国に侵害された時、その権利侵害をどう主張するのか。恐らく個人が権利を主張しようとした場合には、周りの社会も巻き込んでいくしか方法がないだろう。慰安婦問題は個人vs.国とそれを取り巻く社会の問題とも言える。

最近になって、このアジア女性基金について書かれた本を読んだ。「この時のアジア女性基金の失敗が、慰安婦問題の解決を難しくしたのではないか。」と書かれていた。韓国でイ・ヨンスさんにお話を伺ったとき、イ・ヨンスさんの思いと日本政府の話がどうやってもかみ合いそうにないなと愕然とした記憶がある。私もアジア女性基金には反対だったが、今となっては、あの時にこころよく償い金と謝罪の手紙を受け取ってもらう環境を整えておけばよかったと思わなくもない。「そんなもの受け取っちゃっていいの!?」とみんなが言うものを受け取ってうれしい人はあまりいない。だとしたら、その失敗の責任の一端は私にもある。

この2月に日本のWAMに行った。特別展「日本人『慰安婦』の沈黙」を見るためだ。展示は公娼制度の歴史や、名乗り出た数少ない日本人元慰安婦の話、文書などに見られる日本人慰安婦についてなどがあった。最後に、日本の中学の教科書に慰安婦がどう記述されているかの展示があった。そこで初めて気づいたのだが、教科書の中でも、慰安婦の記述は、韓国人台湾人など日本が植民地化した場所でのできごととして書かれていて、日本人の慰安婦がいたことを書いてあるものはなかった。私は日本人慰安婦がいたことを知っていたし、教科書の記述もいろいろ読んできたが、特段何も感じたことはなかった。教科書の中の慰安婦の記述は、いつも植民地関連の項目の中にあった。違和感を今まで全然感じてこなかった自分をだめだなあと思った。語ることは少なくとも存在を認めること広く知らせようとすることだ。

慰安婦問題に出会ったという言い方も変かもしれないが、私の慰安婦問題との出会いは、25年ほど前になる。訴訟の為に来日していたフィリピン元慰安婦の人の話を聞く会があり、それを聞きに行った。当時大学院生で高校で非常勤で教えていたのだが、同じ高校の社会科の先生から、誘われたのだ。その先生はたぶん来日していた方々の支援をしていらしたのだと思う。今回、大学院生の方々とお話しして、私は、あの時私を誘ってくださったあの社会科の先生の年齢と同じぐらいになったのでは、と思った。慰安婦問題がどのように報道されてきてか、社会でどのように受け止められてきたか、などを25年間見てきた私にも、語れることはある。先生が私を誘ってくださったように、私も人に繋いでいかないといけない。(武藤泰子)



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