フィリピン慰安婦像撤去の顛末、ガブリエラに聞く①
2018年7月10日、ケソン市内プロジェクト3のLila Pilipina Resource Centerで、ガブリエラの国際関係担当のJ.サルバドールさんに、慰安婦像(通称「ヴィーナス」)撤去のいきさつをうかがった。ガブリエラは、フィリピンの女性運動の連合体で、リラ・ピリピナもその一部というか、メンバーになっている。
以前から何度かガブリエラには連絡してきていたけれど、なかなか返事をもらえない状態が続いていた。バギオで先住民の女性運動にかかわっている知人に、ガブリエラのバギオ支部の人を紹介してもらい、その人からナショナル・オフィスに繋いでもらい、この日に会えることになった。本来はガブリエラとは別にリラ・ピリピナ(フィリピン慰安婦被害者の会)も訪問する予定だったのだけれど、同施設が今までの役割からリソースセンターへと機能を転換しようとしているため、会合の場所としてリラ・ピリピナを使わせてもらうということになった。
リラ・ピリピナの近況をちょっと補足しておくと、Lola(被害者女性)たちが高齢となり施設に出向いてくることもなくなり、この場所を慰安婦関係資料のリソースセンターに替える作業が進行中。資料のデジタル化を担当する方にも会って話を聞いた。ディレクターのリチルダさんが持病が悪化して入院中で、わたしたちがおじゃましたときは、リチルダさんの息子さんのお嫁さんという方がまず対応してくれた。ガブリエラで、リラ・ピリピナを担当しているシャロンさんにもこの日この場所で会えるはずだったのだが、当日、彼女は体調を崩して欠席。台湾から行ったEaphetのツアー一行5名と、サルバドール氏、資料のデジタル化担当のオスカー・アタデロ氏で話すことになった。
慰安婦像(通称「ヴィーナス」)は、ガブリエラが過去9年間、フィリピン各所―特に元慰安所が設置されていた場所すべてに―何らかの記念碑を設置するべく運動してきて、昨年の12月8日にようやくマニラ市の許可を得て、フィリピン国立歴史委員会によってマニラ湾に面したロハス大通りに設置された。(後になってマニラ市は許可を出していない、という説が浮上しているが、撤去を正当化する話の一つにすぎない。)日本のネットにはフィリピン国立歴史委員会(National Historical Commissions of the Philippines)が中国系団体であり、慰安婦像の背後には中国がいるといった間違った記述が散見されるが、日本でいえば文化庁だろうか、そういう国家機関だ。設置に協力した多くの団体の中には、トゥーレ基金会(Tulay Foundation)やワッツィ基金会(Wa Chi Foundation)のような中華系の団体も含まれてはいる。
トゥーレの創始者は戦中、日本軍に拘束され、慰安婦の実態も見てきた人だったそうだ。ワッツィは、中華系フィリピン人の抗日ゲリラ組織の末裔たちが作っている組織で、そこに抗日性(「反日」性?)を見ようとする人たちには見えるのだろうが、だからヴィーナスが中国の反日プロパガンダの産物だという主張は、ガブリエラだけでなくヴィーナスの設置に資金と労力を出した多くの個人や組織の思いを無視するものだ。トゥーレもワッツィもフィリピンの団体である。
12月8日という日は、日本がフィリピンに対して攻撃を開始した1945年12月8日(真珠湾攻撃の数時間後)に由来している。
設置から1か月後の2018年1月9日、日本政府の閣僚、野田聖子総務相がマラカニアン宮殿にドゥターテ大統領を訪問し、「 こうした像が唐突にできるのは残念だ」と圧力をかけた。ドゥターテはメディアに対して「日本は像を撤去してくれとは言わなかった。ただ残念だと言ったにすぎない」と語り、像は「憲法に保障された被害者とその家族の表現の自由だ」などと語った。つまり、日本の圧力には屈しない、というメッセージを出した。
しかし、こうした大統領のコメントは、フィリピン国内向けのパフォーマンスにすぎなかったのかもしれない。なぜならこの三日後の12日には、ヴィーナス像設置によって生じた問題を検討する政府内の委員会が立ち上げられたからだ。ドゥターテ大統領が「東京がいくら抗議しても私は何のアクションも起こす気はない」と宣言した翌日のことだった。
この委員会は、外務省の主導で立ち上げられたことになっている。大統領はアクションを起こさないと宣言したのだから、大統領の主導でこのような委員会が立ち上げられていたら多くの人が矛盾を感じただろう。フィリピン外務省は、フィリピン国立歴史委員会がヴィーナス像を認可したとき、外務省には何の相談もなかったと文句を言い、像は「ある種の人たちの感情と人間関係を阻害するものだ」と外務大臣はメディアに語っている。本当に大統領と外務省の間に意見の違いがあったのか、それともポーズにすぎないのか、本当のところはもちろんわからない。
その5日後の1月17日、フィリピンを訪問した自民党の河井克行総裁外交特別補佐は『安倍首相のメッセージとして、『「日本はアジア女性基金を設立し、歴代首相も謝罪の手紙を出した。私とあなたが築いてきた過去最高水準の日比関係が悪化することがないようにご理解とご支持を賜りたい」と伝え』たという(『』内は河井克行氏のブログから引用)。(あるネット記事は、このときのことを『河井は「日本側は激怒している」と伝えた』と報じている。)
昨年11月のドゥターテ、トランプ首脳会談はいったい誰のおかげでできたのか、多額の経済援助が打ち切られてもいいのか、ということが『私とあなたが築いてきた過去最高水準の日比関係』の意味だったのだろう。これに対してドゥターテは「しっかりとした措置をとる」と返事した、という。つまり、この時点では態度を翻して、日本の圧力に屈したわけだ。
河井克行氏のブログによると「大統領から『しっかりとした措置を取る』との表明があった」旨の発言をしたのですが、実を言えば、大統領との間ではもっと突っ込んだやり取りがありました。今回の撤去は道路工事のためと説明されていますが、情理に篤いドゥテルテ大統領が、あの時の約束を守ってくれたものと私は信じております。」(同じく河井氏のブログから)ふーむ、手柄を自分のものにしたい河井氏の誇張もあるだろうが、ドゥターテが「憲法に保障された表現の自由」とか「被害者の権利」とかといった表向きの言辞を捨て去って、像の撤去を約束した可能性は否定できない。
一週間の間に、ドゥターテ大統領の頭の中で、憲法で保障された自由の概念が大きく変わったのか、ドゥターテ大統領も最初から像を撤去するつもりだったのだが自分が主導してやるのはまずいので像を擁護するフリをしていただけなのか、何か彼の気持ちを大きく揺るがせるようなことが起きたのか(村山さたね)・・・②に続く
以前から何度かガブリエラには連絡してきていたけれど、なかなか返事をもらえない状態が続いていた。バギオで先住民の女性運動にかかわっている知人に、ガブリエラのバギオ支部の人を紹介してもらい、その人からナショナル・オフィスに繋いでもらい、この日に会えることになった。本来はガブリエラとは別にリラ・ピリピナ(フィリピン慰安婦被害者の会)も訪問する予定だったのだけれど、同施設が今までの役割からリソースセンターへと機能を転換しようとしているため、会合の場所としてリラ・ピリピナを使わせてもらうということになった。
| アタデロ氏(左)とサルバドール氏(右) |
リラ・ピリピナの近況をちょっと補足しておくと、Lola(被害者女性)たちが高齢となり施設に出向いてくることもなくなり、この場所を慰安婦関係資料のリソースセンターに替える作業が進行中。資料のデジタル化を担当する方にも会って話を聞いた。ディレクターのリチルダさんが持病が悪化して入院中で、わたしたちがおじゃましたときは、リチルダさんの息子さんのお嫁さんという方がまず対応してくれた。ガブリエラで、リラ・ピリピナを担当しているシャロンさんにもこの日この場所で会えるはずだったのだが、当日、彼女は体調を崩して欠席。台湾から行ったEaphetのツアー一行5名と、サルバドール氏、資料のデジタル化担当のオスカー・アタデロ氏で話すことになった。
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| 2017.12.8に建ったVenus |
トゥーレの創始者は戦中、日本軍に拘束され、慰安婦の実態も見てきた人だったそうだ。ワッツィは、中華系フィリピン人の抗日ゲリラ組織の末裔たちが作っている組織で、そこに抗日性(「反日」性?)を見ようとする人たちには見えるのだろうが、だからヴィーナスが中国の反日プロパガンダの産物だという主張は、ガブリエラだけでなくヴィーナスの設置に資金と労力を出した多くの個人や組織の思いを無視するものだ。トゥーレもワッツィもフィリピンの団体である。
12月8日という日は、日本がフィリピンに対して攻撃を開始した1945年12月8日(真珠湾攻撃の数時間後)に由来している。
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| 野田総務相とドゥターテ |
しかし、こうした大統領のコメントは、フィリピン国内向けのパフォーマンスにすぎなかったのかもしれない。なぜならこの三日後の12日には、ヴィーナス像設置によって生じた問題を検討する政府内の委員会が立ち上げられたからだ。ドゥターテ大統領が「東京がいくら抗議しても私は何のアクションも起こす気はない」と宣言した翌日のことだった。
この委員会は、外務省の主導で立ち上げられたことになっている。大統領はアクションを起こさないと宣言したのだから、大統領の主導でこのような委員会が立ち上げられていたら多くの人が矛盾を感じただろう。フィリピン外務省は、フィリピン国立歴史委員会がヴィーナス像を認可したとき、外務省には何の相談もなかったと文句を言い、像は「ある種の人たちの感情と人間関係を阻害するものだ」と外務大臣はメディアに語っている。本当に大統領と外務省の間に意見の違いがあったのか、それともポーズにすぎないのか、本当のところはもちろんわからない。
その5日後の1月17日、フィリピンを訪問した自民党の河井克行総裁外交特別補佐は『安倍首相のメッセージとして、『「日本はアジア女性基金を設立し、歴代首相も謝罪の手紙を出した。私とあなたが築いてきた過去最高水準の日比関係が悪化することがないようにご理解とご支持を賜りたい」と伝え』たという(『』内は河井克行氏のブログから引用)。(あるネット記事は、このときのことを『河井は「日本側は激怒している」と伝えた』と報じている。)
昨年11月のドゥターテ、トランプ首脳会談はいったい誰のおかげでできたのか、多額の経済援助が打ち切られてもいいのか、ということが『私とあなたが築いてきた過去最高水準の日比関係』の意味だったのだろう。これに対してドゥターテは「しっかりとした措置をとる」と返事した、という。つまり、この時点では態度を翻して、日本の圧力に屈したわけだ。
河井克行氏のブログによると「大統領から『しっかりとした措置を取る』との表明があった」旨の発言をしたのですが、実を言えば、大統領との間ではもっと突っ込んだやり取りがありました。今回の撤去は道路工事のためと説明されていますが、情理に篤いドゥテルテ大統領が、あの時の約束を守ってくれたものと私は信じております。」(同じく河井氏のブログから)ふーむ、手柄を自分のものにしたい河井氏の誇張もあるだろうが、ドゥターテが「憲法に保障された表現の自由」とか「被害者の権利」とかといった表向きの言辞を捨て去って、像の撤去を約束した可能性は否定できない。
一週間の間に、ドゥターテ大統領の頭の中で、憲法で保障された自由の概念が大きく変わったのか、ドゥターテ大統領も最初から像を撤去するつもりだったのだが自分が主導してやるのはまずいので像を擁護するフリをしていただけなのか、何か彼の気持ちを大きく揺るがせるようなことが起きたのか(村山さたね)・・・②に続く



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