香港断章、2019年夏①

台胞證

 88日、香港に着いた。天安門のときには東京でニュースを見て、職場の仲間と義勇軍でも出そうかなどとのんきに対岸の火事のように見ていた記憶がある。今回、台湾の目と鼻の先で、再度天安門が起きることはがまんならないと思ったら、飛行機チケットを買っていた。台中からの飛行機は、香港へ帰る人たちが目立ち、機内放送でも「going back to Hong Kong(香港へ戻る)」という表現が頻繁に使われていた。台湾の観光客が見えない。台湾籍の人は香港に入るのに『台胞證』(台灣居民來往大陸通行證)が必要で、これは大陸側が発行するものだから個人情報も中国政府に管理されているということで、この時期、当然、渡航に際してはある種の警戒感を持たざるを得ない。

 香港イミグレでは何もなかったが、香港から深センへの入国管理では(もちろんこの時期だからこその特別な措置だろうが)男性だけが「健康申報」というラインに並ばされて、携帯電話の写真を全部チェックされるという事態がおきていた。仕事の関係で毎日香港から深センに通っている香港人が、デモに参加したと言われて(中国の入管がデモ参加者個々人を映像その他から特定していることが分かるわけだが)やはり携帯電話のチェック、数時間にわたる尋問、最後には反省文を書かされた、という話も聞いた。


掃除されないままの状態のレノン・トンネル
とにかく無事に香港に到着し、何事もなくアバディーンの宿泊先に到着。途中、反送中などのスプレー書きやポスターやら、そういうものがまったく見えない。街は人に溢れているが、《反送中》運動の気配も感じられない。木曜日だったせいもあるが、後で知るのだが、道に描いたスプレー書きも、観光客らに見えるところに貼られたポスターも、翌日には塗りつぶされ、剥がされ、きれいになっているのだ。そうでない場所もあるが、それはすぐには目につかない。夜の間に作業する人たちがいて、警察と市民との大きな衝突があっても、翌日には何事もなかったようにきれいになっている。だから私のようにフラッとやってきた観光客には抗争の跡が見えないようになっている。
道路にスプレーされた文字は翌朝には
黒塗りに(セントラル)


10,11にはいくつかのデモが予定されている。日本大使館がデモの予定をネットで書いてはいるのだが、時間がはっきりしなかったり場所が曖昧だったり、無許可のものはそもそも書いていないものが多いなどの理由であまりあてにならない。九龍のマレーシア料理屋で偶然となりに座った若い女性二人が日曜日(11日)のデモのチラシを一人がもう一人に渡していたので、それはいつどこでやるのか聞いてみた。彼女たちはチラシを一枚くれて場所を教えてくれた後、気を付けてね、と付け足した。時間ははっきりしないのだそうだ。
もらったチラシ

デモの呼びかけに集まった人々

 11日、ネット情報を頼りにデモを捜すが、最初の場所は空振りで、二番目に向かった場所では人がまだ集まり続けていた。イギリスの国旗を掲げて走り回るおじさんがいて、アメリカ国旗を振り回す青年たちがいて、レ・ミゼラブルの歌(Do you hear the people sing?)を歌いだす人たちがいて、思い思いの格好で歩く。そんな中にしっかり防備(ヘルメットにガスマスク)した青年たちの一団もいるが、ほとんどはその辺のおっちゃん、おばちゃん、兄ちゃんに姉ちゃんで、子供連れもときどきいる。防備集団はこの(合法的な)デモの後、チリジリになってゲリラ的に警察と衝突するような場面を作り出す人たちなのだろうか。全員にマスクと冷えピタ一枚が配られる。水も配られる。物資がどこからともなく運ばれてくる。

 香港の民主化運動が、一部の戦闘的な《防備》集団によってリードされている、とか、そもそも全体が過激派の運動なんだという悪質なデマを流す中国メディアや、これに追随するかのような印象操作をする日本メディアだけを見ていたら、やはり想像がつきにくいが、雨傘運動(2014年)から溜まり続け、くすぶり続けてきた「これではだめだ、香港政府は香港の人々と乖離した」感が、多くの人に浸透していることがわかる。香港の大企業とそこで働く人々が、ビジネス上の圧力を受けて香港政府支持を表明しているが、いやいややってる感がどんより立ち込めてもいるように感じられる。【阿川記】
(②に続く)


 

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