香港プロテストの現在 / 抗争と香港人


2019128日、象仔書屋にて。Oreoさん、ベッキーさん、お二人の若い“香港人”の話を聞いて香港プロテストの現在を考える会を開きました。参加者は10数人で、小さな集まりでしたが、情報のシェア、考え方のシェアという点で有意義な集まりになりました。以下、その内容をできるかぎり、しかし簡便に記録しておきます。録音テープから内容を起こしてくださった武藤氏に感謝します。(編集は阿川)

香港プロテストの現在 Oreoさんの話
HONG KONG, 2019 JUN to DEC(20196月から12月に起こったことをまとめたビデオを見る)(約12分)

この映像で紹介されているのは全部本当にあったことです。映像の中にあったように118日に周梓樂さんが亡くなって、今日はその日からちょうど一か月目にあたります。(編者注周梓樂-新界地区で不審死を遂げたデモ参加者)今回の運動では、2014年の雨傘運動のような大きな組織が主導しているわけではありません。大部分のメンバーは学生で、だいたいネット上で活動の告知をして、特別なリーダーがいるのでもなく、色々な組織や人々が参加しています。
映像の中にもあったように、8/98/11には香港空港で大きな抗議活動がありました。その時には多くの人が参加して、8/12にはもっと多くの人が空港に入った。私もその時に参加しました。空港が機能を停止し、抗議活動をたくさんの人が見て、政府が私たちの言っていることにきちんと目を向けてくれるようにすることが運動の目的でした。
香港の人はとてもいい人たちで、空港でのその日、私と同じ年の頃の男性が私のところに来て、台湾のYOYOカード(日本で言えばSuica)みたいなカードを出して「中に200元(800台湾元)残っているけど、いる?」と聞いてきた。ふだん、電車に乗るとき、そのカードを使うと記録が残って警察がそれを利用して誰がどこで抗議活動に参加したかを調べることができてしまうので、その男性は、(あなたの)自分のを使わないでこのカードを使えばいいという意味でした。私は、私より必要な人にあげてほしいと断りました。今11歳とか13歳とか本当に若い人が参加していて、そんな中学生たちのほうがそれを必要としているだろうと思ったのです。
またある夜の抗議活動の時、ある人がみんなにカードケースを配っていました。今、香港では水面下で監視システム電柱の設置がされていて、電柱のそばを通ると身分証が読み取られる仕組みになっています。その人が配っていたのは身分証のデータが読み取られるのを防止するカードケースでした。
みんな本当にいい人たちで、運動やデモのたびに支援物資を提供してくれたり、いろいろな支援をしてくれます。
最近でいうと、中文大と理工大の抗議活動がありました。これは本当に深刻だった。今、香港の高等教育機関は全て学校での授業はなくて家でネットでの授業になっています。抗議活動の現場になっている大学にいる私の友だちには特に影響がとても大きい。私も台湾で香港の状況を見てやりきれない思いです。私と同じ年の学生たちが夏休み以来、この事件に大きく影響され、普段の学生生活やアルバイトだけでなく今回の運動のことなど多くのやらなければならないことがあります。みんな私と同年代の人たち。ある人は暴動罪で訴えられ10年ぐらい刑務所に入らないといけないかもしれないんです。どうなるかは裁判所の結果が出るまではわかりませんけど。

これからもう一つ今話した大学内の抗争について映像を見てください。中で何が起こっていたのかを記録しています。https://www.youtube.com/watch?v=5QLOWPy1vu0&feature=youtu.be
この映像の中で、学生たちが警察の包囲から脱出するためにいろいろな方法を使っていますが、ある女性は地下の下水道から地上に出ようとして、細菌で皮膚がただれてしまった。その日、脱出した人たちはみんな写真を撮られたり記録を取られたりしたので、今、その人たちは警察に捕まらないようにしばらく身をひそめています。大学の中で何もしていなかった人でも、警察は暴動罪で捕まえることができます。本当に警察はなんでもやり放題。ある家族が、食事して散歩していたら集結罪で逮捕された。何をしても、二人以上であれば違法集結罪で検挙されます。今の香港では二人以上で何かをすることが何もできないんです。
映像の中に出てきた内地(編者注中国本土)の学生は故郷に戻らずに香港に残りたいと思っている。私の周りにも例があります。私の学科のある先生で、その先生の友だちの娘さんも中文大で勉強していますが、この大学抗争が起こって以降、母親はとても心配していて娘を台湾に帰らせましたが、娘さんは台湾に戻って来たくはなかった。娘さんは台湾に戻ってからも、ネット上の今回の運動の情報を載せているサイトを毎日見ているそうです。彼女は、戻ってから家を抜け出して香港へ帰ろうとして母に見つかりパスポートを取り上げられた。それでも帰りたくて新しいパスポートを作ったが、それも母に見つかり、こんなことするなら香港に行ってもう台湾に戻ってこなくていい、と言われたそうです。彼女は一人っ子なので親の心配も大きいのかもしれません。

香港の現場、香港のあの環境の中で生活していると、感じ方はずいぶん違うと思います。この運動に関与したい、何とか力になりたいと思ったりします。私の周りでは、絶望したりどうしたらいいかわからなくなって一時迷いが生じても、少し休んで、またいっしょに運動を続けていこうとする人が多いです。すでに長期にわたって運動を続けてきて、警察が諦めてないのに私たちが今諦めてどうするのか、と思うのです。
今の運動は6月の初めに始まってすでに半年になります。季節も変わった。映像を見るともう半年もたったんだと思うけど、そこで起こったことは昨日のことのように感じます。一つ一つの出来事は参加した人たちにとっては記憶にしっかり残っています。私にとっては、812日。空港で4時か5時ごろ飛行機が香港空港に着陸できなくなり晩には空港が機能を停止しました。空港にいた警察は私たちが空港を出るのを阻止して、空港の外のバス停にはたくさんの人が並んでいた。
そのとき、だいたい4時頃、A4の紙を持った人がいて、その紙には警察が6時頃入ってきて摘発を始めるから、残っている人は早く立ち退いたほうがいいと書いてあった。その人はマスクをして何も言わずその紙を見せて私たちの前を通りすぎていった。みんなにその紙が見えたはず。またしばらくして別の一人が私に言ったのは、その人は市内から空港に来たばかりで、今市内に出られる交通手段は何もない。でも警察の摘発が入るなら早く出たほうがいい、というのです。その日、空港では携帯の電波が入らなかった。電波妨害装置などがあったのかもしれません。ともかくネットで最新情報を得ることができなかったので、これらの情報が本当かうそなのかを確認することができなかった。でも、多くの人がそういう風に言うので、安全を確保するため空港を出ることにしました。私たちは集団の中で遅く出たほうでした。外に出るとバス乗り場では乗れるバスはなかった。普段なら5分ぐらい歩けば行けるバス乗り場に行くのに30分かかりました。人があふれていたから。市内に行ける車は一つもなく、みんな歩いて市内へ向かいました。
もう一つ記憶に残っているのは、雨の銅鑼灣でデモを行った日のこと。その日、一時はすごく大雨でみんな傘を持っていて、雨傘運動みたいでした。いつもは地下鉄構内から道路に出るまで5分ぐらいのところを、その日は2時間以上かかりました。人でいっぱいだった。その前に参加したデモでは参加者の数は200万だと言っていたけど、その日は200万を超えていたと思います。混雑ぶりが200万のデモの時よりひどかったから。その時のデモは民陣(編者注民間人権陣線―香港の民主団体の連合体)が警察にデモの申請をしたけれど許可が下りなかった結果「流水式」(編者注水が流れるように、場所が変わっていく)のデモになっていました。デモではなく、流水式の集会ですね。でも、やっていることはデモとあまり変わりない。15分ぐらいで歩ける道を2時間かけて歩きました。たくさんの人が周りにいっしょにいる感じでした。普段は雨の中を歩くのはみんな好きではないけれども、その時は一つの目標に向かっていたので、みんなお互いを思いやって行動しました。行く途中で、携帯の充電スポットや食べものを提供してくれる場所/人たちがいて、ネットの告知を見て来てくれる人もいました。物資をみんなに渡すために人の鎖もできました。この時に、半年の運動を経て、以前とは違う香港の人たちの団結を感じました。2014年の雨傘運動を超えるものだと感じました。
私が香港人だということを知っている先生と(編者注臺灣で)話をしたことがあるが、先生に、台湾メディアが報道する香港の様子と香港での実際の様子は違うように感じるんだけど、いったい香港人はどこから情報を得ているのかと聞かれたので、私は、ネットで、立場新聞、頻果日報などを見るといいと答えました。それから、さっきここで見た、Youtubeの香港電台とかHKGETV、香港教育電視とかもいいです。香港教育電視はYoutubeにチャンネルがあって情報を発信している。これらは大手メディアではないけれど、それぞれ違う役割を担っています。
今回の運動は、主導する組織はないけれども、社会の縮図のようで、参加者それぞれが役割を担っています。例えば、女性で体力がなかったら「見張り役」をする。周囲の状況や警察がどこにいるとかの情報発信をするわけです。勇気がある人は勇武派になる。今回の運動では「勇武派」と「和理非」(編者注「平和的、理性的、非暴力的」に自分たちの欲求を主張する人たち)があって、「和理非」は穏健な家庭があったり年齢が20代後半から30代で家庭があったりする関係で、あまり前線に立とうとはしない人たち。その人たちは、デモで学生を支援する以外に経済的に余裕があれば金銭的な支援をします。「勇武派」は写真で見るように防毒マスクなどをして前線に立つ。彼らも実は怖がっているけど、今やらなければ永遠に機会を失ってしまうかもしれないという気持ちでやっています。ある人は毎回のデモを「最後のデモ」だと思って参加していると言います。香港政府がいつ「覆面禁止法」のように、デモができないよう圧力をかけてくるかわからない。
以前林鄭月娥が「(香港には)報道の自由も、集会の自由もある」と言ったが、インドネシアの記者が右目を失明し、香港の記者が殴られたりしています。警察は記者にも暴力をふるいます。集会の自由についても、集会の許可を申請しても、申請してもしなくても、もうあまり変わらない状況になっています。警察は穏当ではない手段で参加者を隔離したり排除したりします。
以前、どちらかというと穏健な立場をとっていた私の友だちが私に聞いてきました。『なぜもう少し平和的な手段でできないのか。学生はなぜこんなに過激な手段に出るのか』と。最初の67月頃は、香港デモも平和的でした。それが、721日に地下鉄の元朗駅でヤクザの一群が棒を持って市民を殴った事件があり、妊婦さんも攻撃されました。同じようなことが8月にも起こったけど、今度は警察が暴行を行った。映像の中に自分の頭をおさえながら叫び声をあげている人がいたが、あれは警察に殴られた人です。警察があのようなことをする時に私たちはどうやって自分を守り、社会の安全を保っていくのか。自分たちで方法を考えて守っていくしかありません。今、警察は頼りにならない。警察はネットや現場で「デモ隊を殺す」と言っています。こんな人たちを警察と言えるでしょうか。
私は、中立はなんだろうと考えました。もし今回のこの運動で中立点というのを見つけたいと思うけれど、現実に起きていることを見ると、中立点というのは考えるのが非常に難しいと思う。これは私がここ数日考えたことです。香港政府側でもなく、抗議活動側でもない、と言う


のは中立かもしれないですが、こんな警察の暴力を映した報道を見て、抗議者に共感する気持ち、同情する気持ちを持たないわけにはいかないでしょう。香港の抗議者たちはこんな仕打ちを受けていいはずがありません。そこを考えてほしいです。
皆さん、何か質問ありますか。

聴衆:この運動をしている人たちはどうやってこの運動を終わらせようとしているのですか。
OREO:わかりません。私たちは成功させたいですが、あまり多くを期待はできません。多くを期待すれば、成功できないでしょう。途中で諦めてやめることになるかもしれませんが、途中で終わらせたくはない。
聴衆:何か終わりの道すじや発展の方向を考えていますか。
OREO:それは我々がどうにかできることではないと思います。ただ、最近、国際社会からの関心は増えてきています。アメリカの法案が可決されたり、イタリアも中国との政治的な関係があって、何か法案の動きがあるようです。このような国際社会の状況はいいことです。香港内のことはなかなか何ともしがたいし、予測もできません。警察についても、彼らが今後どうなるかはわからない。今日も3時にデモがあるけれど、今日のは冬になって初めてのデモで、出来る限りの準備をして臨んでいます。寒さ対策とか。以前、夏には20何度の気温で放水攻撃をしてきて、多くの人が低体温症になった。今は冬になったので、しっかり準備をしておいたほうがいいですね。
今後の見通しについては、何か考えている人はいるかもしれないけど、少ないと思います。最終的な目標は「五大訴求」を全て通すことで、今一つはかなえられたと言えるけど、まだあと四つあります。今の目標はこれを達成させること。それと次世代の未来のため。
聴衆:今言われたようにアメリカなど、国際社会がすでに注視しています。若い人たちがこの半年、困難な中活動してきて、国際社会の反応を見て、前より楽になったと感じていますか。
OREO:感じています。前より多くの人が味方になって支持してくれていると感じています。
聴衆:今回の区議会選挙で、新しく議員になった人たちに時間をあげてはどうですか。私は若い人たちはちょっと焦りすぎではないかと感じています。この運動は必ず長期戦になる。数週間数か月の単位で達成できるものではない。直面しているのは世界で一番大きな独裁政権ですから。区議会議員選挙の勝利はすでにすごいこと。投票率も高い。この成果は血と涙の代償です。この成果はすごいと思うが、新しい区議会議員に何かをするチャンスを与えてはどうかと思うのです。この運動で大事なことは「勇武派」と「和理非」が協調すること。「勇武派」に休む時間をあげてはどうでしょうか。
OREO:投票が終わってから今まであまり大きい活動がなくすでに休んでいます。今日は、選挙後の再スタート。香港で多くの人が思っているのは、選挙に勝つには勝ったけれど、区議会は比較的小さい議会で、上には立法会があり、立法会は来年の9月に選挙があります。そちらの方が大きく、政策とか、もっと大きなことを決めることができる。今回の区議会の結果については、香港政府は折り込み済みなのではないかと言う人もいます。今回の区議会選挙は勝ったけれど、結局、それは今の政治制度、司法の中にあるものです。今のこの制度は安全ではないと考えています。警察についても、法令はあるけれど、彼らは法令に従わないことがよくある。政府はこのずるいシステムで勝利を得ようとしています。そして、香港市民の多くは今回の勝利で気を緩めすぎています。私の友だちの多くは、もう充分休んだと感じています。運動が始まってから何も起こらない時間がこんなに続いたことはないですから。また進み始める時です。
「勇武派」は毎日外に出てとても疲れていました。毎日外へ出て、アルバイトもあり日常生活もあり、休む時間がとても少ない。抗議活動を終えて帰ってきたら、装備を整えたり、外で汚れた装備を洗ったりしなければならなかった。
区議会選挙の結果は小さい段階的な勝利にすぎません。これを勝利と見て手を緩めていいと思う人はいないと思います。私の周りの人だけでなく、ネット上の議論でもそうです。区議会選挙の勝利は大きい勝利とは言えません。なぜなら議席にしたときに6割が民主派で4割が本土派だから。
聴衆:得票数ではそうだけれど、私の記憶に間違いがなければ、18の選挙区のうち17が民主派で
OREO:確かに表面的には大勝利かもしれないけど、ネット上の議論では勝利は大きくないという意見が多い。民主派についていうと、香港にとってよいと思える政策を民主派は棄権(棄票)してきたという経緯があります。多くの人は、民主派のことを「人血饅頭」(他人の血を利用して自分たちは利益を得ている)という。それは部分的には正しいと思います。香港に希望があるなら本土派が信じられます。民主派と親中派(建制派)に加え本土派があるけど、本土派は比較的若い人が多く、ある部分は政治の素人で卒業後に政治の世界に出てくる人たち。多くの人が言っているのは、民主派と親中派だけでなく本土派があるということ。
聴衆:勇武派の人は投票に行ったんですか。
OREO:行った人と行かなかった人がいます。なぜなら一部の人はすでにこの制度自体を信じられず、選挙は現体制の中にあって、この体制の中の選挙に投票したくないと思ったから。
聴衆2:彼らがすでにこの制度を信じていないというのなら国際社会ができることは限られている。他の民主主義国家が手を出せないときに、現体制を信じていない人たちは何を求めているのでしょうか。行き詰っている?
OREO:私は彼らではないし、彼ら一人ひとりで考え方は違うと思います。「五大訴求」が全て通ったら、香港は今の体制以外に生きる道が得られる、という点では一致していると思いますが。現体制を信じていない勇武派の中には香港独立を考えている人たちもいます。彼らの要求は「五大訴求」だけでなく、今の体制ではないもっといい体制になること。おそらく、香港独立に傾いています。67月ごろ、始まったばかりのころは、香港独立については言っていなかった。香港独立は難しいと考えていたと思います。水とか農作物の面でも。水は今多くが大陸からきている。もし香港独立を言い出したら、国際社会の支援は少なくなるという人もいます。もし香港独立を支持したらその国は中国と対立する。香港独立を唱えた場合、アメリカからの支援は立場上難しくなることは誰しも想像できると思います。だから最初は香港独立を言う人は少なかったけれど、今は、少し増えてきたように思います。今回のこの数か月の経験を通して現体制下で、五大訴求のうちの一つが通ったという成果はあるものの、大きな改革や成功を得るのは難しいと感じ始めているので。

覆面禁止法という違法な法律を林鄭月娥は通してしまいました。香港市民は普段は、地下鉄は普段は夜121時までやっていたのに、今は1011時で終わってしまう。香港全体が前と大きく違っています。香港市民が見ているもの、感じているものは前と違いますね。



抗争と香港人 ベッキーさんの話

最初に簡単に自分のことを話すと、私は台湾と香港の両親の間に生まれて、私は台湾人であり香港人でもある。ただ、2014年の雨傘運動の時も含め私は香港の外にいて、香港へはあまり頻繁には帰っていなかったが、ただここ最近、私はどんな香港人なのかを考えるようになった。
PPTをまじえて)
今日は、今回の投票前に香港に帰って私が見たもの考えたことについて話したい。
【投票】
まず投票について。私は帰ったときに、友だちと地下鉄の元朗駅に行った。721日に暴行事件があったあの場所。ここは、その下の場所で、その日、ある若い候補者が選挙前日に広報活動をしているところ。ここでは候補者が大声で、明日の選挙は必ず行って投票してください、〇〇を持って行くのを忘れないでなどと道行く人に叫んでいた。この壁にあるのは、台湾では見ることができないものだけれども、どんな候補者がいて誰に投票すべきか候補者に関する情報などがある。それから今回、今まで何が起こってきたかを紹介する写真等も壁に貼ってある。
広報活動をしていてそれぞれの地域の人が手伝いに来ている。初選挙で何をしていいか本人も手探り状態。マイクと旗を持って、周りで友だちがビラを配る中、支援を呼び掛けている。
台湾は選挙日の前日から選挙運動ができないけれども、香港は投票日も、禁止されている場所以外では何らかの簡単な選挙運動ができる。はっきりと自分への投票を呼び掛けるのではなく、挨拶するぐらいのことはできる。これは私の家の近くの外の状況。ここに2人の候補者、男性と女性がいる。私の家は香港の18の選挙区の中で民主派候補で占められている選挙区の一つ。
投票日のことで大事なこと。みんな選挙当日どうなるか心配していて、私も何時に投票に行こうかずっと考えていたのだが、8 時半に着いて、どうなっているか見てみようと思った。そうしたら、長い行列ができていて、通りかかった老人たちが何が起こったの?バス待っているの?とか、前の選挙の時はこんなに人がいなかったなどと言っていた。私は8時半に着いて9時過ぎに投票を終えた。私の選挙区では、老人が優先的に投票所に入れることに不満が出る以外は、何事もなく過ぎた。 
私はその時に投票に行って初めて知ったのだが、香港の投票は、身分証の番号で投票用紙をもらうが、基本的には並んだ順に受け取れる。台湾の選挙では投票用紙を受け取って、記入する場所に行くときに、記入する区画にカーテンのようなものがあるが、香港にはない。なので、投票用紙を受け取って、たくさんある記入場所のどの場所で書こうか見まわすと、前の人が誰に投票したかが見えてしまう。私の選挙区はとても安定していて、候補者の一人はすでに20年も議員をしている。
投票が終わったあと、外をぶらっとしてみた。あるギャラリーがあって、そこの入り口には「投票が終わってない人は入れません」と書いてあった。ある有名な本屋でも入り口に「投票後でないと入れません」と書いてあった。

私の家の地域では投票日何事もなく投開票が行われたが、もう一つ興味深いと思ったことを紹介したい。香港の住居は高いビルが林立しているんだけれど、78月ぐらいから家の中から「時代革命」などのスローガンを叫ぶ声があった。私は選挙の34日前に帰ったが、帰ったその日もあった。選挙前2日になって、あれ?声が聞こえなくなったと思った。その夜は誰も何も叫ばなかった。選挙前日夜10自前ぐらいに突然「明日、絶対投票に行け~」と声がした。10分ぐらいあちこちから「光復香港」「時代革命」「暴徒はいない。暴政があるだけ」など叫ぶ声があった。台湾では見られな
い光景だった。前日はそんな感じだった。当日のこと。この地域は夕方ネットで発表された投票率統計によると、投票率の低い地区の一つにあげられていて、夜10時頃、「早く投票に行って~票が足りないよ~」という声がして、私は誰も相手にしないのかなと思っていたら、下のほうから「もう行ったよ~」という声がして、それは終わった。とても感動的な出来事だった。前日の光景は本当に泣きそうなほどだった。

【抗争と衝突の映像の外の香港】
私が今日話したいことの中心はこの部分。今回のことが始まってから、私はずっと香港に帰りたいと思っていたけれど、ずっと先送りにして11月の選挙の前になって帰ることを決めた。この間、メディアや映像を見る以外に、香港の日常はどうなっているのかと思っていた。抗議活動以外の香港の生活について知りたいと思っていた。自分の生活の中で感じたことなので少し話しにくいこともあるんだけど、やってみる。
私は家に帰って、おば(阿姨)と義理のおば(舅媽)、それから祖母に会いに行った。基本的には祖母の家に滞在していた。
おば(阿姨)とは今回の運動が始まってからネットで連絡を取っていたが、その後おばが私のフェイスブックの書き込みを見てある反応してから、私は彼女と連絡を取りたくなくなってしまった。おばは体制側で、警察を支持し抗議活動をしている人を暴徒という人だったので、何を話しても無駄だなと思ってしまった。香港へ帰っておばと会うことにしたのは、親戚だし何か話をする方法はないかと思ったからだ。元々はいい関係だった。おばとご飯を食べる約束をしたが、どこで会うかという連絡をした日はちょうど大学の衝突があった日で、その話になった。おばと話をして、なぜ私の話を聞いてくれないで自分の話ばかりするのかと私はおばに腹を立てた。香港に帰るべきではなかったのではないかとも思い始め、私はまだおばと会う心の準備ができていなかったと思った。おばは考えが固まっている人でとても話しづらい。
ご飯を食べた時の話をすると、おばは有名な店に連れて行ってくれようとした。その店は理工大の近くだった。私は理工大のニュースを見ていてとても心配していたし、大学の衝突があったところの近くでおばとご飯を食べて話をする自信がなかった。とても重い気持ちだったので、おばにそれとははっきり言わないけれど、遠回しに別の店にしないかと言った。おばは「そんなに気にする必要がある?」と言ったが、本当に私はとても気にしていて話はそれで終わった。とにかく、おばと会う約束はして、当日おばは少し理解してくれたのか別の店にしたと言った。場所は少し抗争の地域からは離れていた。食事をしながら、おばと私はそれぞれ自分と相手の立ち位置が違うことはわかっていて、二人ともなんとなく今回の運動の話題を避けていた。いいのか悪いのかはわからないが、香港に戻ってすぐ心の準備もできていないのにおばの話に対峙するのが避けられてよかったとは思う。食事のあと近くの大きいショッピングモールへ行った。おばは「このショッピングモールはリニューアルしたばかりで抗争の場所からも離れていて警察も暴徒もあまりここへは来ない」と言った。この時に少し運動のことが話に上った。私はおばのこの言葉を聞いて、もちろん認めはしないが、一方で感じたことは、今回の運動を認めてなかったり運動に何も感じない人というのが今の香港にはいて、それは理解できると思った。おばの生活は、見ているとパチンコ玉のようだと感じた。パチンコは、打たれたあと、小さな点、小さな障害物にあたる。運動を認めていない人、興味がない人にとっては、この運動はその小さな障害物みたいなもので、生活は少し影響を受けるけれどもそんなに大きなものではなく、生活は続いていく。香港の生活について心配していたけれども、日常生活は普通に続いている。私の個人的な感覚ではあるが、そう感じた。
次は祖父について。祖父は麵の店を30年やっている。おじもその店を継いでやっている。私は帰ったとき、そこで麺を食べておじと話をした。その時にはっきりと感じたのは、おじたちは店の中で運動について話すのを好まない。政治についての話も避けて話したがらない。義理のおばは「若い人たちはどこか別のところに移民しようとか考えているの?」と聞いた。その日はあまりその話はせずに帰った。台湾に戻る前の日、義理のおばが私がいた祖母の家に来た。その時におばと少し話をした。その時におばははっきりと自分は「和理非」で、運動の中の過激な人たちについては認めていないと言った。おばは彼らの行動を全て否定しているわけではないが、運動の最前線にいる過激派の人たちの行動は認めていない。私がおばの言葉で興味深いと思ったのは、おばは二人の子ども、私のいとこ(表妹)がいる。いとこの二人はすでに社会人で、前線の勇武派の運動を支持している。おばはよく自分の子どもたちと話をしているようで、子どもたちに言っているのは、おばの考え、「和理非」の考え方も理解してほしいということ。また、両親が子どもたちを心配している気持ち、運動の前線に行かないでほしいという気持ちも尊重してほしいということ。おばの子どもの友だちの一人は大陸から来た学生で、その子の話をしてくれた。その人は香港に来るまでずっと、香港の政治は混乱していて、大陸は人を派遣して香港の騒動を収めようとしていると思っていたが、それは誤解だったと言うのだそうだ。いとこの友だちの大陸生は中文大の学生で、中文大の抗争に参加しただけでなく中文大の抗争が終わってから理工大に行ってそこの抗争にも参加した。大陸の人は香港に来て、香港の自由や民主を理解して、香港人よりさらに前線に行こうとする。この話、大陸生が運動の前線にいるという話は私にとって意外だった。
それからおばと台湾と香港の現状について話をしたが、おばは今の香港人を「ゾウウェイ」と形容した。「ゾウウェイ」とは状況が悪いと見るやそこを避けて別のところにいくというような意味だ。おばがそう言うので私は「黄色経済圏についてどう思う?」(編者注香港経済が低迷する中、反政府デモに賛同する飲食店や企業を「黄色経済圏」と称して利用する)と聞いた。おばは、自分の立場を必ず表明しなければならないというのは無理があると言った。私は個人的にはこの黄色経済圏はいいことだと思う。でも、もし自分で飲食店を経営していて自分の立場を表明できないとしたら嫌だなとも思う。おばの店のある地域は、歴史的にとても青(親中)の地域で、そこで自分の立場を表明するのはとても難しい。香港独立でも香港革命でも表明するのは難しい。もし他の人に立場の表明をさせたいのならば、よく考えなければならないことだ。自分の立場を表明するしないを選択できるようにすることがとても重要なことだ。それから、勇武派について、おばが言ったこと。私は前線にいる勇武派の立場をずっと尊重していたが、おばが言うには、一部は若すぎる。抗争は悪いことではないけれど、1112歳で、一度このような過激なやり方に慣れてしまい、ある店が態度を表明しないというだけで非難する。まだ未熟で、あまり周りも見えておらず、相手の理解や違う角度からものを見るということができない。おばが言うこのようなことは、しっかりと考えていかなければいけないことだと思う。
最後に私の祖母について。高齢の祖母は生活に人の助けが必要な状況だ。私が香港にいた一週間、多くの時間を祖母と過ごした。そこで気づいたのは、このような人にとって外の世界にはあまり思うところはなく、香港で生きていることを受け入れている。祖母を世話していて、家の中に流れる時間と外の世界に流れる時間は大きく違うと感じた。家の中での生活は、安定していて外の影響を受けない。このような状況の中にいると、外との何とも言い表しにくい差異というか、距離感を感じる。
以上が、皆さんに話したかった、日常生活について三つの違う立場のこと。

私は6月ぐらいから香港のことについて注視していて、最初は香港の映像を見て、他の人にシェアしたり、警察はなんでこんなことしてるんだなどのコメントを残したりもしていたけれど、7,8月ぐらいから、ふとそういうことをしなくなった。以前新しい投稿をしなくなり過去ログも削除したりコメントもしなくなった。私の親戚が大陸で仕事をしているのもあり、ネットでの投稿に慎重になった。8月から11月までずっと、香港に帰るか、投票に帰るか、帰れるか、また、大学抗争が激しかったこともあって、心が行ったり来たりしていた。最終的に、友だちが香港に帰ることを決めて、私も少し勇気を出して帰ろうと思った。香港に対する認識は映像とかニュースを通して抗争の場面ばかり見えるけれど、香港の日常も存在する、香港の日常部分も存在するということを信じ、香港に帰るという判断をした。香港に言論の自由も何もないということはないと考えた。香港の家に戻るバスの中で聞いた放送の中で政府批判をしていたり、運動の話をしていたりで、現状はそんなに恐ろしいものではないと感じた。

質疑応答
聴衆:話の中の阿姨(おばさん)について。区議会選挙のあとの民主派の勝利についてどういう反応をしていたか。
ベッキー:食事をした後は、おばとは連絡していない。
聴衆2:親中派の反応が知りたい。
ベッキー:私もそれは知りたいと思うが、おばは投票しなくて、その日は台湾にいた。
聴衆2:あの区議会選挙は賛成と反対との明確な対決だった。賛成か反対かの国民投票のようになっていた。
ベッキー:おばにしても、完全な親中派かというとそうでもない感じだ。おばの心の中に、香港の警察がしてること、政府がしていることもひどい、と思う気持ちがある。ちょっと矛盾した感情がある。私にとって難しいのは、おばは目上の人で、今まで関係性も非常によかったので、どうやっておばと話をするかを研究中だ。それはとても難しい。だから、今は、台湾の家庭の青か緑かの争いが理解できる。
阿川:みなさんへの質問。1989年の天安門事件のとき、私は東京にいた。天安門事件について、話はしたが、しばらくしてすぐにみんな忘れた。とても早かった。19897月、日本は経済援助をやめて、アメリカは天安門事件の経済制裁を始め、ヨーロッパもそれと同じような制裁をした。1年半後、日本は何事もなかったかのように中国への経済援助を再開。日本は経済制裁をやめた最初の国で、1992年には天皇が訪中さえした。日本は基本的に天安門事件と人権蹂躙を重要だと考えていなかったようだ。ここからが質問だが、香港の今回の運動は6月に始まったけれど、台湾では、例えば大学で学生たちが議論したり、もっと関心が集まると思っていたのだが、そうでもない。それはなぜなのか。今回の香港のできごとは、台湾にとっても大きい問題なのかそうではないのか。みんながあまり話さないことに何か理由があるのか。
聴衆3:大きい事件ではないとは思わない。確かに天安門事件の時はストライキとかがあったかもしれないが、今回の香港のことではそういうのがない。私が思うに、今フェイスブックなどではいろんな人が情報をシェアしていて心理的な負担は少なからずある。ある人は無力感を抱き、みんな非常に重大なことだと思っているけれど、みんな真剣に見ているけれど、それはネット上でだけで、実際の何か活動があるわけではない。
聴衆42020年の総統選挙に関係があるかもしれない。台湾の主要メディアが香港のことを扱う時間が非常に少ない。今主要メディアを見ているのは中年以上の人が大部分を占めるのかもしれないが、ネット上でも来年の総統選に関わるニュースが多くて、台湾での香港の扱いは少なくなっている。
阿川:じゃあ、香港問題は総統選の争点にはならないということか?
聴衆4:私の個人的な意見を言うと、香港は中国の一部で、台湾の選挙は台湾自身のこと。一部の人はそう思っている。
聴衆5:台湾は民主社会の中にいる。私たちの社会運動は、社会を変えること。でも、香港を見ると香港は民主体制にいるのではない。議論はするけれど、別の国の話。
OREO:香港は数年前は民主社会だった。この2年、特にこの数か月に警察の権力濫用とか違法なこととかが増えて、民主社会ではないと感じる。だから一部の人は、前にも話したけれど、今の体制以外のもの、今はすでに以前の香港ではなく民主社会ではなくなっているので、ほかの体制、民主社会になる体制を望んでいる。台湾と関係があるのは、もし韓国瑜が当選したら、台湾の状況も悪くなるかもしれない。
ベッキー:台湾がなぜあまり関心を向けないかという質問の直接の答えにはならないかもしれないけれど、義理のおばみたいに、普段の生活の中で今回のこと感じ取る程度が、台湾と香港では大きく違うと思う。私の祖父の麺の店のある地域の例でいうと、今、客は中国からの観光客の数が非常に多く、周りの店はドラッグストアになっている。日常生活の中で中国の人の数の多さを感じ、自分の店の前にその人たちがいて、生活の中の家とか医療とか全てにおいて中国からの移民を受け入れている感じだ。中国からの圧迫は台湾と比べると香港はあんなに小さい町、たぶん台北ぐらいだけれど、そんな小さな地域が絶え間なく中国からの圧迫を受け続けていて、その圧迫感や現実感は台湾の若い人たちが受けるものとは比べ物にならない。それが、同じものを見ている態度の大きな違いになっているのだと思う。
聴衆6:香港の食料の中国依存度は大きいという話があったが、Youtubeなどでも言われているが、中国は非合理な値段で香港に水を売っている。
OREO:水の価格は他の国と比べて高いと思う。いくらかは忘れたが、以前報道で見たことがある。その報道で言っていたのは、大陸の人は香港のことを愛国心がないとか言うが、大陸は愛国ではなく愛党。香港で愛国と言ってもしょうがない。中国は香港に対してよくないから。水の値段についても非合理で、確か数倍どころではなく、数十倍数万倍だったはず。さらに水質もあまりよくない。水が通って来る過程がとても汚く、水の中に動物のフンがあったりとか汚い水で、濾過してはいるが、値段は高い。
聴衆6:香港は資源の面で中国に依存せざるをえないという意見があるが、それは違う。第一に水。香港の水は中国から来た東江水だけれど、この東江水は確かに高くて、正確な数字はわからないが、マレーシアがシンガポールに輸出している価格の20倍だったと思う。大部分の東江水は捨てられている。なぜかというと、香港はそんな大量の水は必要としていないから。でも、契約が結ばれてしまっているので買っている。
それから香港の野菜、コメ、肉について。肉は大陸からの輸入はそんなに多くない。多くを占めているのは牛肉。鶏肉は、輸入の多くは冷凍肉で外国産が多く、冷凍肉の中の中国産の占める割合はそんなに多くない。野菜は多くを中国から輸入しているが、香港でも作っている。そして、東南アジアの他の国からも輸入しているし、果物は全世界から輸入していて、中国が大部分ではない。コメは中国自身も足りていない。香港のコメは大部分はタイからの輸入、それとオーストラリア、ベトナムなど。電気は、香港も発電しているし、中国から来ている部分もある。しかし、香港自身で十分必要な発電ができる。中国からのは必要ないし、安くもない。だから、香港が中国に依存しているというのは間違いで、逆に中国が香港に依存している。
それを表す数値があって、2019年の確か7月までの外国の中国への投資は、中国が今お金に困っているのはみんな知っていると思うが、78%は香港経由のものだ。香港がなければ78%はない。最近、アリババは香港で上場したが、なぜアリババが香港で上場したのか。中国のブラックマネーが香港経由で洗浄される。共産党がなぜずっと香港を手放さないかというと、それだ。
今の若い人は死ぬよりも中国にコントロールされるほうが怖いから死ぬのを怖がらない。
阿川:時間が来たので残念だがここまで。香港のことはまだ解決されていないので、またこのような機会を持ちたいと思う。






コメント