シヤツ牧師、10年後のご報告です:霧社事件90周年式典
牧師、牧師が帰ってからもう2年以上になるんですね。80周年のときに、牧師が郷公所の会議で提案して実現した和解の儀式としての10月27日から数えると10年です。今年も式典に行ってきました。その報告をと思い、記すことにしました。
本題に入る前に、もう一つご報告があります。東海大学に原住民学生資源センターなるものができて(ついこの9月でしたが)、そこの第一回の講演にマヤウ・ビホさんに来てもらったのですが、第二回に私が何かやることになって、シヤツさんの本と試み、シヤツさんの考え―と私が理解するものーを紹介するような話をしました。
"なかなか死なない植民地物語ーColonial Stories Die Hard-” というようなタイトルで、感謝祭、北アメリカ植民帝国の建国物語の中に利用される先住民の話、マッカーサーがフィリピンから日本軍を追い払った物語の中に埋もれて忘れ去られたイゴロットの部隊(第66歩兵連隊)の話”と、それを掘り起こして教材にした若きイゴロット、ベティさんの話、そしてシヤツ牧師が語りなおそうとした霧社事件の話、ちょっと盛りすぎではありましたが、そんな構成で話をしました。古い物語を、新しい物語で置き換えなければ社会は変わらない、とまあ、そういう話なんです。
シヤツ牧師がしたかった新しい話、そしてなによりもそれを通して実現したかった民族の和解が今どうなっているのか、全体像は私にはつかめていません。事件の90周年式典は、10年前とは比べ物にならないほど小規模で閑散としたものでした。やり方も、シヤツさんの言う「平地の人たちのやりかた」で基本的に進行しました。10年前のさらに前に戻ってーここ数年そうだったのですがー清流の遺族中心の慰霊の儀式以上のものではありませんでした。清流の顔ぶれも少し変わって老人たちが減って中年、若年層もちらほらと見られるようになりましたが、逆に清流以外の人はほとんど来ていませんでした。桜のWDさんに会いましたが、彼だけだったかもしれません、トーダは。キリスト教関係の人の姿も見ませんでした。
10月27日の式典は、昔のように清流の遺族のためのものでよいのだーそういう合意というか割り切りがどこかであったのかもしれませんね。和解とか新たな物語の創出とかは、別のところで、というわけです。そうすれば清流の人たちの気持ちを逆なですることは避けられますから。検討会という形で敵蕃と味方蕃が話す、という企画も聞きました。でも、そうすると、和解を通した新たな物語の創出というシヤツさんのお考えは、一部のエリートたちーうーん、言い方に困りますが―の営みに任されることになって、表に見える公開の式典である10月27日からはまるで見えないものになってしまうのではないかという心配があります。それでもいいんじゃないか、とシヤツさんなら言うのではないかとも思いますが。若い人たちがこれまでのいきさつをある程度知ったうえで、一緒に新たな物語を語ろうとしてみること、そういうオープンな試みができないでしょうか。(アウイ・カズオ記)

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