75年目のニニ八記念日

  今年もニニ八ツアーを実施しました。立ち上げメンバーではあるものの10年ほど臺灣を離れていて最近かえってきたY隊員、それとM隊員、プラス阿川の3名で行ってきました。東海大学の学生さん1名が参加希望だったのですが、当日の電車の予約を忘れて来られなくなったとのことでした。

 26,27,28と三日間にまたがる活動が台北市では企画されていたらしく、我々はその最後のところをちょろっと見たという感じですが、公園の外(MRT「台大医院」駅から公園内には入れず―封鎖されていた)で「第三勢力」の幟を掲げる一団を機動隊らしき警官が取り囲み、移動したり拡散したりするのを阻止していました。が、公園内は静かなもので、人もまあ少なく、警官の姿もなく、騒動らしきものは皆無。祈念館入口前のテントでは、228を題材にしたらしき演劇が上演されていて、そこにはまあまあ人が入っていました。

 バナイさんとナブさんの抗議テントに、新年のご挨拶で「最中」もっていったのですが、バナイさん不在、ナブさんが寝むそうな目で出てきてちょっと話しました。テントが前の場所―去年の場所のことですが―から動いていて、式典により近い芝生に移っていました。あれ、大丈夫なのかなとも思いましたが、前述のとおり、人もまばらで警官やSPの姿もありませんでした。ナブさんは阿川が何者か、思い出そうといろいろ記憶をたどってくれましたが、うまくいかなかったようです。ビホさん(マヤウ)の名前を出したら分かったかもしれないのですが、私も瞬間ビホさんの名前が出て来なくて、ナブさんと同じような状態だったので、最中渡してテントを後にしました。

 祈念館の展示に何か変化があるかなと、一応、一通り見たあと、Y隊員の案内で、昔楽生院の帰りなんかによく行ったという四川料理の店に行きました。そのときのタクシーの運ちゃんが私たちの車中での会話を聞いて「国民党はいんちきだ(にせもの」だ)」と急に会話に入ってきて楽しい車中会話をしたりしました。我々は第三勢力の話をしていたのですが、中に出てくる国民党という言葉に反応したようです。まだ60歳くらいの人でしたが、ミンナン人ナショナリズム的な人でした。

 午後は六張犁の受難者の墓に行きました。第一墓區、第二墓區、第三墓區、みっつとも回りましたが、日差しも強く、斜面を降りたり上ったりで、かなりへろへろになりました。以前見たときよりもある意味では荒廃が進んでいます。第三區の斜面に何か道のようなものができているのは、整備された面があることを示していますが、第一、第二は荒れるに任せている感じです。立派な石碑?みたいなものは上に通られているのですが、実際の墓地部分は関心が払われてはいないようでした。

 Y隊員は、今の大学生が228や白色テロについてどう思っているのか知りたくて来たと言っていましたが、肝心の大学生の参加がなかったので、こについては何とも分かりませんでした。

 私が担当している東海大のクラスで「ウクライナは、アフガニスタンやイラクとは違って文明化(civilized)された場所だから・・・」と発言したアメリカCBSの記者発言を「これは人種差別だと思うか」と聞いたら「地域差への言及であり人種差別とは言えない」という反応がありました。つまり、アフガニスタンやイラクは地域としてはcivilizedされていない、あるいはその程度が低く、ウクライナは違うということを「事実」として承認するというんですね。そのような承認が、アフガニスタンやイラクでの大国の武力行使によって人が死に、生活が脅かされることをも承認していくことにつながっていくわけですが、その「つながっていく」回路が見えていないというか、それに気づいていないんだなと思いました。何が228や白色テロを生み出し、それが何十年も継続することを承認させてきたのか、その結果(例えば受難者墓地)を顧みることなく、あの時代だからそんなひどいことが起きたけど、今の時代はそんなことは起きないという(根拠のない)自信?を持ってしまう。確かに228も白色テロも、さんざん人口に膾炙して―学校でも教えられ、メディアでも取り上げられていて、語りが固定化されていて、そこに何のメリットも感じられない死んだディスコースでしかないのかもしれない。(阿川記)















コメント