76年目のニニ八

今年も2月28日がやってきた。今年は四連休の最終日。コロナ規制が一段落したこともあって、東海大のクラスから10名以上の参加を得て半日ツアーを実行した。一般からも参加申し込みがあり、Eaphetメンバーを入れて総勢17人ほどの団体となった。 公園についてまずパナイとナブのテントが(去年の2月28日直後に撤去されたと思っていたのだが)公園内の場所を替えていまだに立っているのが目に入った。
 公演内外は、いつになく静かで、ビラを配る人もいなければ、デモのデの字も見えない。パナイたちのテントも静かで人気がないので声をかけるのは遠慮した。10時の228紀念館の開館に合わせて集合時間を決めていたが、人数も多かったのでばらばらと遅れて到着する人たちもあり、全員が中に入ったのは11時も近かった。インドネシアの留学生が4人、日本の留学生が7人、アメリカ合衆国の留学生1人、台湾在住日本人1人、Eaphetメンバー4人。中文も日文もできない人たちが4人いて、展示の中文を翻訳ソフトにかけながらの見学となり、最後尾を形成した(英語による展示案内のイヤホンはこの日、故障とのこと)。 見学のタスクは「事件の加害者と被害者はそれぞれ誰なのか、展示は明確に述べているか?台湾社会はこの事件から何を学んだ、と展示は示唆しているか。」という二つの問に答えることで、加えて、展示を見て疑問に思うことを一つあげよ、というのもついていた。  昼食後、紀念館の一室を借りて、課題への答えを交換した。紀念館の部屋を借りるアイデアは一般参加の人からで、聞いてみたら意外にすんなり貸してくれた―それも無料で。担当者が東海大学の卒業生の人だったのも関係があったのだろうか。ありがたい。日文で討論する組を二つ、英語でやる組を一つ、三組に分けてまずはタスクの答えをシェア。その後、全体に報告という手順で進んだ。外省人にも被害者が出ているから、加害と被害を集団に分けて定義するのはむずかしいということは分かるけれど、蒋介石を頂点とする国民党を加害者とし本省人を被害者とするという明確な構図が見え隠れしながらもはっきりとは述べられいない、何かむずむずとするものが感じられたようだ。討論は、展示がどのような教訓というか、メッセージをこの事件から引き出しているかのところで、もやもやしていった。
 このような事件を繰り返してはならないというのがメッセージだ、という意見は当然あったが、そう言うためには1)事件がなぜおきたのかを明確に述べ、2)同じことが起きないためには、その「なぜ」を排除する必要があると、これも明確に示すか述べるかするべきではないのか、という意見もあった。曖昧な加害と被害の関係、そこでは原因や責任の追及はむしろ避けられているようにも感じられるからだ。  事件を記憶しておくことに意義があるのだ、という意見もあった。しかし、なぜ記憶しておく必要があるのか疑問だという声もあった。記憶することによって恨みを忘れないように? 

 3時に解散したが、3時はちょうど追悼式典が始まる時間だった。解散後、何人かで式典の様子を見ていた。馬英久の挨拶に続いて、台北市長の蒋萬安が挨拶に立った。彼の挨拶が始まって数分のところで、演壇の後ろから数人の抗議者が大声を挙げながら乱入。「加害者、謝れ」のシュプレヒコールを飛ばしながら、演壇に迫ったが、私服警官らしき一団に押しとどめられた。
 式典は台北市の主催なので彼が挨拶に立つことは不思議でも何でもないのだが、蒋萬安は蒋介石のひ孫にあたる人物で、ひいお爺ちゃんが行った虐殺に関して謝罪すべきだという意見は式典前から聞かれていた。抗議の人たちは10人にも満たない人数で、ラウド・スピーカーも、幟も、横断幕も持たず、ポケットから出した細い布切れに文字が書かれたものを広げて、大声を張り上げての抗議にとどまった。最初に思ったのは、これは警察の大失態ではないか、彼らはどうやって式典の背後に入れたのだろうか、ということだった。
 その場で集めた情報を総合すると、事態はこういうことだったらしい。われわれが「今回はデモもビラ配布も見られないなあ」と思ったのは、台北市長の蒋萬安がデモの許可を一切出さなかったことが原因だったらしい。自分が登壇する式典で、まわりを抗議のデモで囲まれてはたまらないというわけで、デモや抗議を禁止した。実際に乱入した人たちは、スピーカーも幟もプラカードももたない、普通の一般人として公園に入り、機を見てポケットから布を取り出して抗議に及んだ。それで警察も彼らが抗議者だとは思わなかったようなのだ。抗議者たちは、蒋萬安がデモの許可を一切出さず、警備を強化したことによって仲間が逮捕されたことにも触れていたようだ。 もし、デモと抗議の市長による「禁止」が事実だとしたら、228追悼式典が始まって以来の蛮行だ。(アウイ・カズオ記)

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