Seediq Baleその後①
「あれは見なきゃいかない(いけない)。私なんかお父さんから聞いた話とは違うとこたくさんあるけど、嘘もあるよ、でも見るとどうしても泣くらしい。やっぱり見なきゃいかない」Lさんから夜、電話がかかってきた。(Lさんの父親はTkdayaの人だけれど、Todaにお嫁にいって、夫に先立たれた後、一人で6人の子どもたちを育ててきた。)
9月7日、清流の活動中心でSeediq Baleの前後編通しの無料の試写会があった。隣村の中原に住んでいるLさんの弟さん、Wさんも見に行った。Lさんは行かなかったけど、弟の話を聞いたそうだ。「見ると泣くらしい」というのは弟さんの話から、そう思った。「違うとこたくさん」「嘘もある」というのは、自分で埔里に一つだけある小さな映画館で前編(太陽旗)を見たときの感想。川沿いに並ぶ首を吊った女性たち、赤い布が飾りのように木からぶら下がっている・・・Wさんは何度も泣いたとLさんに話したらしい。TodaやTrukuの部落では試写会はされていない。見たければ清流まで来てくださいという案内はあったのかもしれないが、多くの人は知らないという。
「見た後で、(Todaの)青年たちには年寄りとの話し合いが必要だと思う。そうでないと、見たままを信じてしまうかもしれない。」とTodaの人達が中心で暮らすS村のP牧師は言う。「先週、(教会の長老)会議でも、この映画の影響について話し合った。Todaの人にとって心の傷が残らないようにしなくてはいけない。青年たちも知らないうちにどこかで心に傷が残るかもしれない。」P牧師は映画を評価しないわけではない。「あれを見て、Gayaや、自分達の祖先の様子を(映像で鮮明に)見ることができたことはよかった。」と。それでもTkdaya、Toda、Trukuの和解にどういう影響が出てくるのか、会議でも不安の声が上がったようだ。映画には振り回されずに和解をどうにか達成しなくては…、P牧師も含めて、映画はある種の危機感を醸造したと言えるのかもしれない。あるいはずっと存在するわだかまり(と、その反転としての和解への渇望)に風穴を開ける効果を持つのかもしれない。でも、それは両刃の剣になるのかもしれない。(Awil Kazuo)

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