軍事都市化する平澤基地

基地の拡張(黄色が現在、ピンクが拡張部分)

 2月7日、平澤(ピョンテク)を再訪した。テッチュ里の人々が強制移住にあってから約6年が経過した平澤。工事は着々と進められているようだ。以前の3倍以上に拡張されることが決まっている。
24日の沖縄タイムズは、巨額の金を投じて基地を建設することに対して時代錯誤だという強い声が米議会で上がっていることを報じ、普天間基地の辺野古移設が断念される可能性を示唆した。が、しかし、ここ平澤ではまさにその巨額が基地拡張工事に投じられているようだ。
鉄条網で囲われた土地は拡張予定地。農業できない。
現在一本だけの滑走路を二本にする。(規定通りに作るなら二本の滑走路を擁する余裕はない―滑走路と滑走路の間は米軍規定では400メートルほど離れていなくてはならないそうだ―それを無視して隣接したもう一本の滑走路を作ろうとしている。)危険な弾薬庫は基地の端に置いたり、基地外に土地を確保して(現地の集落の間に)弾薬庫だけを設置したりする一方、高層マンションと見まがうばかりの米軍住宅(米軍犯罪がメディアに報じられる中、米軍は兵士とその家族を基本的には基地内の住宅に住まわせるべく、高層住宅を建設している)を建てている。基地内にまさに軍事都市をつくろうとしている。学校、病院、文化施設、ショッピング・モール、なんでもありの軍事都市。アメリカ合衆国の兵站企業がここでもぼろ儲けすることになる。
建設中の高層米兵宿舎、軍事都市の一部となる
パトリオット・ミサイルの発射台(実は移動可能なのだが、防御壁というかコンクリで格納容器を作って設置される)が並ぶ川岸では、水鳥を射撃練習に使っている。川岸に建てられた表示を見ると、害鳥駆除にご協力願います、みたいことが書かれている。戦闘機などの離着陸時に水鳥が邪魔になる。だから害鳥だ、というわけだ。水鳥の殺害にしても、ミサイル発射台の移動工事にしても、環境アセスメントなどの手続きを無視して行われている。
工事を見張り続けている現地の人も、一体どの場所で、何のための工事が行われているのか、市側(そして市民側)にはまったく分からないと言う。

前方に白っぽく見えるのがミサイル発射台。
手前の川にはたくさんの水鳥がいる。
  頻繁な、そして低空でのヘリの離発着の衝撃(音波と衝撃波)で、屋根の瓦だけでなく屋根そのものも吹き飛んだという村は、ヘリポートのすぐ脇にある。
米軍再編(韓国では米軍移設と称している)によって、南コリアに100箇所以上ある駐韓米軍施設の総司令部は平澤になり、平澤のキャンプ・ハンフリー陸軍基地の陸軍指令が、駐韓米軍の司令官となるわけだ。この人物が韓国軍の司令官でもある。近く、陸軍から空軍に、指揮権が移動するという話もあるが、その場合にはオサン空軍基地の司令が駐韓米軍と韓国軍の司令権をもつことになるのだろう。東アジア全体から見たときの“米軍の分散化”は、南コリア内では逆に基地の集中化として現れている。
Osan Air Base, Main Gate
平澤の闘争は終わった・・・そんな風に言う“平和活動家”も少なくないらしい。今は(例えば)済州島の海軍基地闘争だ、というわけだ。しかし、普天間の辺野古移設がなくなり、その分、グアムが吸収できなかった場合(フィリピンだ、オーストラリアだ、という可能性があったとしても)平澤が担わなくてはならない軍事的な機能が拡大する可能性はあるだろう。まだまだ知らされていない工事が行われ、当初の約束とはまったく違った軍事基地都市が市や市民の知らないところで出来上がっていくのかもしれない。南コリアの次回の選挙で“骨まで親米”ではないリーダーが出てくる可能性は薄いようだ。そうであれば、市民活動としてもここから正念場になるはずなのだが、“平澤の戦いは終わった”かのように言われる現状をどう考えたらいいのだろうか。
 

 
付近の住民住宅脇から見る基地内の弾薬庫
危険度の表示は最高の”1”レベル

基地村で働く女性たちは”Yankee Princess"などと称されているそうだ。議政府でも平澤でも基地村の浄化運動というのを何度もやってきた。浄化の意味は女性や業者の不法行動を取り除いて健康的な遊興場を作ることらしいけれど、米軍を引き止めるために行ったのであって、女性たちの権利のために行ったわけではない(と地域の活動家は言う)。
 北朝鮮の脅威から南コリアを守るために米軍はいたはずだ、なのに、なぜこんなに38度線から離れた平澤に拠点を移すのか・・・ 南コリア社会の中にもそんな疑問の声があがっている。


 平澤では2002年に移設計画が持ち上がった時点で、地価が5割も上昇したそうだ。しかし、国家に土地を強制収用される人たちにとってはこの値上がりは関係がない。国家が支払う補償金の額は一定だからだ。強制収容後、補償金は裁判所に預けられる。取りに行っても行かなくても、土地はもう戻ってこない。
 強制収用になる前に1坪運動で600人ほどの人が土地を買って抵抗した。605坪の土地は”平和の田んぼ”という名だったが、国にとられた補償金1億2千万ウォンから8千万を基金として2007年の10月に平澤平和センターを立ち上げた。センターでは、基地を見張り続けている。(Awil Kazuo

⇒ ビデオ「平澤の米軍基地」
米軍ヘリの衝撃波で屋根が飛んだ村の上空を今でも
ヘリが。
 
基地外に設けられた弾薬庫
ここも危険度表示は”1”レベル



コメント