故郷に想いを、夢と日本の行方

「知らぬ存ぜぬ」なんて言葉があるが、被害者になった人は被害に遭う前に実態を知ろうとせずに結果が出てから被害者になっているパターンが多いようにも思える。もちろん回避できないものもあるが。「知らなかった!なんで!!」なんて思っても現状は現実そのもの。病気も、事故も、原発も同じ。結果が出てからでは遅い。泣き寝入りする前にできることがあったのではないかと自分を叱る必要もあるのかもしれない。そう、私も自分を律するように今文字を綴っています。
私がリニアを知ったのは小学56年生の時。社会の授業でのことだった。「自分の県の山梨でなんか実験的にリニアがある。それはとても速い乗り物で、将来君達が大人になったら走ってるかも」なんて他人事のような感じだった。当時まだ社会のこと県のこと、自分の家のこと日本のこと。全てに対して興味という感覚は芽生えておらず、あって当然、平和は当たり前みたいな田舎の子供だった。都会も同じだろうか?原発の存在を知ったのもちょうどその頃で「ウランというものは再利用できて発電するにはとてもいい」なんて感じで教わった気がする。色々知ってから、「なんてぞんざいな洗脳をされていたのだろうか!」と思った。後にリニアが実家と関わるなんて、原発が世界的な人類の兵器だったなんて、リニアと原発が切れない関係になるなんて、詳しくは後述致します。10年ほど前、ネットの普及はまだまだな田舎は情報が少なく、県外に出たことのある人とそんな幼少期の話を今になって振り返ってすると「狭い世界にいた」と嘆かわしい言葉を言い合ったりすることもあるほどだ。知らなかったでは通用しない。「知らないこと、知ろうとしないことは罪である」ということを高校、大学の7年間に県外に出て学んだことになるのだろう。知らぬ間に自分の大切なものを失ってしまうこともあるのだから。情報社会な現代だが、自ら情報を探し、生き抜かなくてはいけなくなってきた。被害者になる前に、奪われる前に、涙を流す前に。大切なものを護るのに行動していく必要がある。なんて、ただ生きることにこんなも息苦しさを感じてしまう。今の日本は生きにくいと思っている人も少なくはないだろう。
 
「ふるさと」とはなんだろう。ものすごく古典的な考えだが、私は「自分の帰る場所、受け継いでいくもの、護るもの」そのものだと思って生きてきた。私の祖母の世代なんかはその集落から出たことなんて数える程しかないと口を揃えて言う人も少なくない。私は高校、大学を県外で過ごした。あまりにふるさとの開発が急ピッチに進む姿を直視出来なくて逃げるように県外にいたのだ。中学生時代は、山や田んぼ、緑を美術の授業でひたすら描いていた。その見えていた景色が見えなくなっていったのだ。その故郷を離れて7年間に沢山の事を学び、経験出来たおかげで前向きになっていけたと思う。「必ず戻って、そこで家族と生きていこう」と決意して大学で国家資格の勉強に本腰を入れ始めたちょうどその頃。リニアのルート最終案が公表された。大学4年の9月。そのほんの数年前に父の口から「リニアのルートになるかも」なんて言葉を聞いた記憶があった。その時はありえないと思ってあまり意識的に自分の中に言葉を落とし込んでいなかった。同年10月、故郷の市内でJR側からの説明会なんて形だけのイベントがあり、授業返上で前日帰郷した。そのギリギリまで勉強は手につかず必死にリニアはもちろん、電磁波問題、実験線の悲惨な被害のことを調べていた。「夢の超特急リニア」なんて謳い文句。一体誰の夢であるかを是非とも伺いたい!その夢に私のささやかで決して大きくない「実家で家族と農業をして生きていきたい」という夢はぶっ潰されるんですけど!実験線の住民なんて被害を保証されきってなくて一日中日陰の家にいるなんて人も。開発で山々の水源が枯れて動植物はもちろん、農業資源の要の水までなくなってしまった事実もある。都心は地下のルートで、人の多い街中の地下を超特急で走行するなんて地震大国がなんてむちゃくちゃな。万が一事故が起きてもリニア車内は車掌がいない無人運転で避難誘導は乗車客同士で協力し合えだなんて言ってたり。ユネスコのエコパークに指定された自然環境豊かな南アルプスに大きなトンネルの穴を空けるなんて生態系の影響が出るに決まっているじゃないですか。誰だって家に穴空いたら住み続けたくないと思いますし。しかも穴掘った残土をまた山に捨てるなんてそんなアホな。従来の新幹線の数倍以上の電気を必要とするリニアは原発再稼働の理由漬けにピッタリだから国も支援する気満々。JRのトップが原発推進はで有名ですからね。「絶対にペイしない」語尾に「なので原発再稼働して」と続くはず。JRは元々、国の鉄道だったからなかなか切っても切れない関係なもので。こんなあげてもキリがない問題を数字で誤魔化し、まずいものは綺麗な日本語というオブラートに包んで良いとこだけメデイアに公開して。そうして自分たちに不利な情報を上手く細工することに長けているから洗脳する側の大きな団体は怖いとつくづく思う。国も然り。

政治や社会問題に気を配るようになってから度々耳にするワードで「丁寧な説明、理解を得る、意見を聞く」なんていかにも綺麗な日本語の三種の神器。私なんてもう耳にタコで、このワードが聞こえた瞬間、その人物は胡散臭さ満載の人間にしか思えなくなってきてしまった。故郷の説明会もそんな感じで全く誠意が感じられなかった。終了した地域の取材に対してのJR側は「住民に理解をしていただけたと思います」ときた。逆に住民側は「不安が募るばかりで」なのに。今現在でも不安や疑問は解消されきっておらず、課題ばかり。それでも昨年末に名古屋、品川駅の開発のニュースが。用地取得交渉や残土置き場の候補地の話も進みきっていない。おかしなもんだ。こんな矛盾なんて今や珍しくない日本。いや、世界的にその傾向は強くなっているのかもしれない。


一体どこに向かっているのだろうか。故郷を大切にする意識が薄れ、戻るという選択肢を失った若者が増えて過疎化が進み、多忙な仕事や経済的な負担は増していくばかり。家族を思いやれなくなって介護需要、少子化が加速、過剰な消費と生産を繰り返した残骸は自然破壊の要因。何をそんなに一生懸命に走っているのだろうか。何を守りたいが為に犠牲を生み続けるのだろうか。世界のトップになりたいのだろうか。目的がはっきりしているのだろうか。日本は自然や神を意識して生きてきた民族でその偉大さを知っていたはず。現代でもお金で、科学技術で代用できないものは無数にあるが、本物の素晴らしさ、かけがえのなさを知っている人は今の日本には少ないのかもしれない。取り返しのきかない場所に行く前に気がついてくれる人を増やさなければ、遠くない将来また自然の大きな力で痛い目を見ることになる。失うことは簡単でもそれを取り戻したり、元に戻すことは神ではない人間では無理だと、いい加減自覚もって行くべきだ。(笠井美那)

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