辺野古・高江へ行く

201534日、三線の日、私は沖縄県名護市辺野古にいた。ここへ来るのは六年ぶりとなる。以前来たときは見られなかった大きな検問ゲートが大浦湾へ続く道路に建設されていた。三月だというのに、少し肌寒く、今にも雨が降り出しそうなドンヨリした天気だ。私たちは午前十時前に到着したのだが、その直前にゲート前に設置されていたテントが強制撤去されたという。少しザワついた空気だった。この日は三線(サンシン)の日で、沖縄各地で三線の演奏会が催されており、辺野古でも二十名の三線演奏者が集まり演奏会が行われた。ここ数日小雨が降り続いていたため、本革製の三線を濡らさないよう臨時のテントが設置されたのだが、それが機動隊によって撤去され持ち去られたのだという。沖縄の心と平和を象徴するかのような三線の演奏を妨害したかったのではないかと勘ぐってしまう。中止にするかという声もあったそうだが、それでも時折小雨が降る中で演奏は始められた。次第に曲に合わせて基地の道路を挟んで座り込みしていた人たちもカチャーシーを踊り始める。私も見よう見まねで混ざった。基地建設が強引に進められてから激化している米軍・日本の警察・機動隊・海上保安庁・民間警備との衝突で、体を張って抵抗し、心身ともに疲弊しているだろう。それでも心の豊かさは奪われたくないかのように奏でる三線の音色に人間の強さを感じた。

沖縄県北部の名護市辺野古の大浦湾を埋め立てる新基地が建設されると発表されて以来、地元住民や県内外、海外からもたくさんの支援者がここを訪れ、座り込み、抗議行動をしている。ここ数年の選挙では全て基地建設に反対を表明した候補者が当選している。それでも政府は「粛々と」基地建設を進め、抗議行動をする市民たちを暴力でもって排除している。私は今、辺野古の問題がどう進められるかによって、今後の日本の民主主義の行く末がどうなるか、試されているように感じる。2014年台湾で起こった三一八のひまわり運動の時、日本のメディアは中国への影響を懸念しての反発だとの報道もあったが、立法院を占拠した若者たちは一貫して自分たちの行為は台湾の民主主義を守るためだと主張していた。香港のセントラル占拠も、選挙によって市民の民意が反映されるという当たり前の普通選挙を守るために若者をはじめ市民が立ち上がった行動だった。辺野古市民でもある作家の目取真俊さんがあるインタビュー[1]で、記者の――米軍のキャンプ・シュワブ前の座り込みも見ましたが、若者の姿が少ないですね。」という質問に対し、「では聞きますが、ヤマトゥはどうですか。東京で若い人が集会に大勢参加しますか。沖縄だけが、香港や台湾のように若者が燃えるはずがない。日本では国民の圧倒的多数が政治に無関心になった。大変なことが起きていても、すべて他人任せの国になってしまったのです」と答えている。私が行った時も、確かに若者もいたが、どちらかというと年配の世代が多かった。自分たちで民主主義を守るという意識が、今の日本(だけではないけれど)で生まれるのは難しいことなのだろうか。遠い場所で起こっていて、一見自分とは関係のないと思われることが、自分たちの未来や生活を変えてしまうことに危機を感じるにはどうすればいいのだろうか。ここで声を上げなくては、日本の民主主義が死んでいくのを傍観しているようなものだと思う。

台湾から済州島のカンジョン村に移り住み、現在行われている海軍基地建設に反対しているエミリー・ワンさんは済州・沖縄・台湾で孤立せずに非武装平和三角地帯を創り、連帯しようと呼びかけている。もはや一地域や一国で行われている再軍備ではないことは明らかである。アメリカ、中国、ロシア、中東、ヨーロッパと様々な地政学的で経済的で政治的な関係の中で、住民の生活や文化、環境はないがしろにされ、権力が悪用されている。
先日222日与那国島では陸自沿岸監視部隊配備の賛否を問う住民投票が行われた。結果は住民投票配備賛成が上回り、今後自衛隊基地建設が進められていくことだろう。与那国島は沖縄県とは言え、台湾本島からも百キロ程しか離れていない。国境線やパスポートがなかった時代は与那国と台湾は人物の往来が盛んであったことだろう。台湾で与那国島について聞くとそんなに近いことを知っている人があまりいないことに驚く。国境という線が距離よりも心を遠ざけているようである。その与那国と台湾は近年経済的に連帯しようという計画がでていたという。20053月に台湾との交流で島の自立を目指す「与那国・自立へのビジョン」というものを策定していた。しかし今回の投票結果を受けて、【陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備が町づくりの大きな要素となるとして「自立に係る状況が変化し、ビジョンはおのずと見直しが不可欠」】[2]となり、事実上白紙に戻ってしまった。地元住民の中でたくさんの議論が重ねられた結果なのだろうが、煽られた危機感と今だけの利権でこれからのビジョンに暗雲がかかってしまうのは本当にもったいないことだと思う。

今回、私たちを辺野古や高江に連れて行き紹介してくれた沖縄・韓国平和連帯の代表をしている豊見山さんはとてもパワフルな方で、自分と一緒に闘う仲間たちを「ステキな人ばかりなんだ!」と口癖のように褒めている。そして何度も辺野古の闘いは決して孤独ではないと強調していた。沖縄の運動を知らない人たちは、抗議しているのは一部の過激な思想の人なんだろうと敬遠してしまいがちかもしれない。本土からきた左翼だとか、もしくは中国寄りの共産主義者だとか(それが悪い意味があるとは私は思わないが)ヘイトスピーチをわざわざ沖縄まで来て行う人さえもいる。沖縄での運動と他の地域での様々な運動(反原発、反基地、反リニアなど)と少し違うと思うのが、沖縄では圧倒的に反基地の住民の方が多いのである。しかもそれは長い長い反基地闘争の歴史の中で人々の意識の中に染み込んでいるもので、外から来た私には容易に理解できるものではない気がする。
豊見山さんと「圧殺の海」の監督・藤本さんと那覇中心部の居酒屋に行った時のことだ。そのお店の店長さんは、時間がなくて自分はなかなか辺野古に行けない代わりに、真夏の炎天下の中座り込みをしている人たちのために日除けになる大きなテントを提供してくれたので、行ってみようということになったのだ。初めて行ったその店で店長さんは辺野古で運動している二人が来てくれたことをとても喜び、私たちにこっそりと色々とサービスしてくれた。まだ若い店長とスタッフで、おしゃれな店内に、沖縄のおいしい郷土料理と魚を提供している。カウンター席でこれまでの運動や今後のことなどを盛り上がって話していたのだが、ふと店長さんが隣に座っている島の外から来たらしき観光客に熱心に語りかけているのが耳に入った。「私たちうちなーんちゅは基地はいらないんですよ、基地があることでかえって沖縄の発展は阻害されるんです」という内容だった。私は何だか胸がジーンと熱くなった。毎日の忙しさの中で次第に遠い問題として片づけてしまいそうな出来事がたくさんある。実際に自分の身に危険を及ぼしているものでさえだ。しかし、世の中をより良くしていこうという行動は、生活の一部であるべきだと改めて感じた。
観光客が集まる国際通りを歩いている時だった。若い米兵らしきグループが私たちの前を歩いていた。少し先に路上で自分の書いた絵を丁寧にガラスの張った額縁に入れ売っている男性がいた。ある一人の米兵がそのガラスを不用意に踏みつけた。しかしその米兵は何事もなかったように、ちっとも気にも留めず、そのまま歩いて行ってしまった。何だかそれがまるで沖縄の置かれている状況のように見えてしまった。その時傍観していた私は「ちょっと待って!」と声を上げなくてはいけなった。
 現在ますます政府と沖縄の対立は深まり、抗議活動も激しくなっている様子を台湾から歯がゆく見ている。沖縄以外でも様々な地域で軍備が拡張され、軍事費も増大していく。ロシアと中国が米ドルを基軸通貨として使用しない経済圏を作り、中国が中心となったアジアインフラ投資銀行が開始される。そういった激変の中でものごとが繋がって起こっていることだという認識が必要なのだと思う。台湾もまた無理やりにでも変化を迫られようとしている。私たちは生活をしながらも、この激流に流されないよう声を上げていかなくてはいけないのだろう。(吉田藍)




[1] 朝日デジタル2015313日付【(インタビュー)対立の海で カヌーで移設に抗議する小説家・目取真俊さん】

[2] 琉球新報2015311日付【与那国、台湾交流見直しへ 陸自配備で自立策転換

 

コメント