第13回台湾同志遊行を契機に、LGBT運動の現在を考える
10月31日の曇った空の下、数万人が第13回の台湾同志遊行(LGBTプライド・パレード)のために集まり、台北の街を行進した。主催者の台湾同志遊行聯盟によればその数がおよそ8万人にも上った。端から見れば同性婚姻の合法化を求める運動と見紛われる。少なくとも、そのような了解はマスメディア(英文中國郵報では「Thousands march for marriage equality, equal rights」という見出しだった)、政治家ともによって促される。
パレードの前日に、民主進歩党の蔡英文党首がFacebookに、「私は結婚平等を支持しています」(我是蔡英文 我支持婚姻平權)というビデオ・メッセージを掲載した。本人こそは遊行に加わらなかったようだが、それでも民主進歩党の存在が強く感じられた。「民主撐同志」という虹色のステッカーをいたるところに見かけたし、蔡英文への支持を表明する旗を掲げる者もいた。もちろん、「同志人権」や同性婚合法化をプラカードに書いて求める参加者も少なくはなかった。実際に、その課題への関心も高い。1月16日の総選挙に向けて、立候補者の同性婚姻に対する立場に焦点を当てるウェブサイト(http://www.pridewatch.tw)を見れば、その熱心な取組みが垣間見える。
しかし、同性婚姻を合法化するだけで、性的少数者が直面する問題は解決されるほど簡単なものではない。というより、社会における性をめぐる認識や理解はいわゆる性的少数者に限った問題ではない。主催者もそのような意識を持っているようだ。言論が同性婚姻に限定されることに抵抗するかのように、今年の同志遊行の主題を「年齢不設限」/「No age limit」に設定した。
公式のホームページで、主催者はその意図を次のように説明している。「適切年齢」に達すれば人は結婚し、家庭を持つように要求される社会において、その期待に応じない人は無責任者、利己主義者と看做されてしまう、という。そのような社会規範は、一人一人の「自在な自己空間の展開」を妨げている、と*1。
具体的にこの問題提起は何を指しているかといえば、未成年に提供される情報がまず考えられる。2004年に立法された性別平等教育法は学校における性的差別の撲滅を図り、性・ジェンダーの多様性についての教育を義務付けている。しかし、2011年にキリスト教団体「真愛聯盟」は、教育省製作の小中学校向け参考書の出版に反対し、出版阻止に成功した*2。今年の5月にも、キリスト教団体に牽引される「台灣宗教團體愛護家庭大聯盟」は教育省の性的差別撲滅活動に対し反発して、「同性間性行為」を依存性の高い麻薬に喩え、伝染病よろしく病理化し、アメリカのヘート・スピーチをそのまま輸入したという風に思わせる表現で恐怖と嫌悪感を煽り立てようとした*3。
年齢的規範は一見周辺的な問題と思われるかもしれないが、社会の規範を意識し克服しようという意向はLGBT運動の基本にある。上記のような、同性間性行為に対する圧迫と差別は同性愛嫌悪の産物だが、同性愛嫌悪もまた男性として生まれた人が「男性らしく」、女性として生まれた人が「女性らしく」振舞わねばならないという固定概念=社会規範に根付いている。その大前提の下、「普通」「正常」と規定される以外の(行為をする)者は「異常」とされ、「病人」とされ、ときには「犯罪者」とされてしまう。
そのようにして、今のLGBT運動には一種の二分化が生じているように見える。既成概念の結婚制度に参加権を求める、どちらかと言えば保守的な面と、「正常」という考え方自体を覆し、社会規範を解体し、より望ましい社会形式を求めるという、よりラジカルな面も内包している。イギリスのキャメロン首相すら2011年の政党大会で、「保守党でありながら同性婚姻を支持しているのではなく、保守党だからこそ同性婚姻を支持しているのだ」と政党の新方針を提唱した*4。結婚という制度は2人の人間の、死別までの、貞操という約束に基づいた結合を法的・社会福祉的に特権化する。その意味においては限定的かつ排他的であり、互いに互いを「所有」するという意味においては物質主義と無関係でない。「経済成長」ばかりが謳われる世の中、同性婚姻が主流の支持も得て、驚くべきところは何もない。
台湾では台灣伴侶權益推動聯盟という団体(https://tapcpr.wordpress.com、2009年設立)は同性婚姻を平等実現のために求めつつも、それと同時に並列的にシビル・パートナーシップと複数人型家族を別の制度として促進している。その可能性が発揮されれば、性的差別のない社会への大事な一歩になるかもしれない。それはより「寛容」になっているからではなくて、人が「性」によって規定されなくなるからである。それこそ、「性的解放」の(まだ遠い)行き着くところなのではないだろうか。
第13回台湾同志遊行のために初めて台北に行った。初めてのプライド・パレードでもあった。大人込みの中、多様な主張を目に留めた。LGBTのBを代表する「Bi the Way」という団体、聾唖同志の認識を請う人たち、そして主題と直結する物としては、(未成年のわいせつ罪を定義する)「刑法227を排除せよ」という横断幕も。
私は参加者なのか観察者なのか、よくわからなかった。日本語を身に付けてから、移り行く帰属意識、アイデンティティの流動性についてよく考えるようになった。言語的アイデンティティ、国家的アイデンティティ、ましてや性的アイデンティティも、変って行って当然だと思えるようになった。だから、台北の有名なLGBT本屋さんに入り、台湾同志咨詢熱線協會の出版物である『親愛的爸媽,我是同志』を拾ってみたところ、その序文にあった「簡單的事實、艱難的生存」を読んで、少し引っ掛かった。私にとって、性は「簡単な事実」ではない。でも、私のもしかすると特殊的な感じ方を、アイデンティティの本質と決めつけていた可能性もある。多くの、少なくともゲイとレズビアンと自認する人にとっては、「簡単な事実」かもしれない。あるいは単純過ぎる圧迫に対しては、単純な反論しか通用しないかもしれない。見渡す限り目に入ってくる「BORN THIS WAY」というスローガンも、そのような考えに導いてくれる。
いずれにしても、それを選ぶことのできなかった性的指向を理由に、世界中の多くの人は差別と迫害を受けてき、受けつづけていることは簡単な事実である。そして、プライド・パレードも、その広範囲な支持がほとんど約束しているように思われる同性婚姻の実現も、「正常」「普通」な「異性愛者」であるプレッシャーを少し和らげ、人が性別とは関係なく、好きな人と好きなように関係を築けるような状況に貢献しているように思いたい。(トーマス・ブルック)
注釈:
1.http://twpride.org/ (中文も参考の上、英文からの要訳)
2.http://www.taipeitimes.com/News/feat/archives/2014/07/01/2003594066
3.http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2015/05/18/2003618565
4.http://www.theguardian.com/politics/2011/oct/05/david-cameron-conservative-party-speech

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