フィリピン慰安婦像のその後
マニラのロハス大通りのヴィーナス像が撤去された事情というか顛末は、以前に書いた。この慰安婦像は2017年12月から2018年4月までの4か月間存在したことになる。その後2018年暮れに韓国の堤川市から寄贈され、カトリック教会がルソン地方ラグナ州サンペドロ市で運営している女性高齢者のための介護施設に設置された「(平和の)少女像」は2日間しか存在できなかった。2018年12月28日に設置され、撤去が12月30日という短命だった。サン・ペドロ市のエンジニアリング部門が撤去したことについてロアデス・カタキス市長は「混乱と議論を避けるため」と説明した。日本側から抗議や撤去要請などがあったかどうかについて市長は明言を避けたが、在フィリピン日本大使館は12月30日に大統領府とフィリピン外務省に対して「我が国政府の立場と相いれず極めて残念」だという申し入れ(?)を行っている。カタキス市長は、少女像が慰安婦を象徴しているとは知らなかったとしている。大統領府は、やったのは市だから市の判断でしょ、と責任逃れをしている(パネロ大統領報道官、1月3日)。
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| 撤去された少女像(まにら新聞より) |
まにら新聞の冨田すみれ子記者は、少女像がサンペドロに寄贈された経緯について、次のようにまとめている。
2017年9月、カリクスト・カタキス前市長が韓国の堤川(チェチョン)市を訪問、市内の少女像を訪れ「平和と友情の像」という理解でサンペドロ市への設置について当時の堤川市長と話し合い、協議が進められた。しかし、少女像の制作者である韓国人彫刻家のキム・ソギョンさん、ウンソンさん夫妻が像を完成させた昨年、カタキス前市長は少女像が、ソウルの日本大使館前などに設置された像と同じ物であることを知り、設置に否定的な見解を伝えた。
これに対し韓国側は「日本では慰安婦像といわれているが、韓国では『平和の少女像』と呼ばれ、全ての女性問題や暴力の被害者、平和を表現している」と説明。碑文には慰安婦問題や第二次世界大戦への言及がないまま「平和と女性のエンパワメントのための記念碑」として設置された。
像は韓国の伝統衣装を着た少女が座る隣に空席があるが、市によると、比韓の友情を表現するために、比の伝統衣装フィリピニャーナを着た比人少女像が座る予定だったという。
設置に協力した韓国のキリスト教系団体「ソルト・アンド・ライト・インターナショナル・ワールド・ミッション」によると、比人少女像も韓国でキム夫妻により作られたが、記念碑本体が先に送られ、比人少女像の発送が遅れたため、韓国人少女像だけでの設置になった。
【まにら新聞2019.1.4「混乱や議論避けるため」少女像撤去でサンペドロ市長 慰安婦「少女像」撤去について「混乱と議論避けるため」とサンペドロ市長 】
撤去された少女像が堤川に返還されるのか、どうなるのか、何も発表されていないそうだ。「比人少女像」とチョゴリを着た少女像とが並んで座ることで、両国の女性の連帯を象徴するはずだった/そういう理解を共有していた、とすれば、「発送が遅れた」だけで、しかも二日間で、撤去するというのはおかしな行為だ。しかし、考えるまでもなくあの少女像から慰安婦を切り離すことは現実的ではなく、そのことを市長も分かっていないはずはないから、「そういう理解が共有されていた」というよりも、強引にそういう理解が共有されていたことにしておこうとしたけど無理があった、ということになる。サンペドロ市側が何度か身を引こうとしたけれど堤川側が押し通したようにも見えるが、やはりフィリピン側に現場と上層部の対立/矛盾/不一致があってこういう事態を引き起こしたと思える。
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| パナイ島の慰安婦像(まにら新聞より) |
ロハス大通りの場合も、サン・ペドロの場合も、市が管理する土地/施設への記念像設置だったために、大統領府の顔色をうかがう地方自治体、地方が中央に忖度せざるを得ない体制が、二度にわたる慰安婦像の撤去をもたらした。
2月8日、「日本の過去の清算を要求する国際連帯協議会」を主宰する人権運動家、ネリア・サンチョさんの所有する土地に建てられた慰安婦像が除幕式を迎えた。場所はパナイ島カティクラン。今度は私有地だからフィリピン政府も地方自治体も手が出せないだろうとンチョさんは言うが、ガブリエラなどフィリピンの慰安婦サポート団体のそもそもの目的は慰安婦像を公共の場所に建てることだったということを考えると、これが前進なのかどうかむずかしいところだ。(Awil)



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