霧社事件80周年:横領される物語
霧社事件80周年紀念の式典が終わって1週間が過ぎた。―Sediq正名のときの困惑感を思い出した。
一体、何がどうなったのか。これは”われわれの”正名運動の努力の結果なんだ―そう喜ぶ運動家たちに水を掛けようなどとは思わない。最後の事情がどうあれ、そうであることは間違いない。私の困惑感は、しかし、Sediqの人々が自分たちの力で正名を勝ち取った、という気持ちになれないのではないかと感じる点にあった。自分たちがこのようにねばり、主張し、団結した結果として正名を勝ち取ったのだ、と思えないのではないかという点にあった。実際、電撃的な駆け込み正名の直前、正名運動は政治的に分裂しつつさえあったし、一般のSediqの人たちの関心も失われていたと思う。それが密室での政治的な駆け引きの結果、はい、おめでとうございます、ということになった。5月17日、ロードフで正名感恩慶典が開かれた。例年の霧社事件記念祭よりは多数の参加があったが、広い会場(仁愛高中校庭)は一部しか埋まらず今一つ気勢の上がらない式典だった。
はっきり言えば、”われわれSediq/Seediq/Sejeq”を立ち上げるための正名運動は、50%の勝利しか得られなかった。政治的なアイデンティティは獲得した―”われわれSediq”という内実は不透明なまま。”われわれSediq”は、どこかで政治的に横領され、台湾原住民第十四族というものが上から与えられてしまった。
自治区獲得運動もまた一般原住民の気持ちを置き去りにして、一部の政治エリートたちによる密室駆け引きによって決着するものとなってしまうなら、原住民の脱植民地化はさらにむずかしくなっていくと思う。(2010.11.5 Awil Kazuo)

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