霧社事件80周年:横領される物語

 霧社事件80周年紀念の式典が終わって1週間が過ぎた。―Sediq正名のときの困惑感を思い出した。
 20084月、原住民との新パートナーシップを謳った民進党政権の終焉はすでに見えていた。Sediq正名は、もう到底無理だと誰もが諦めていた。正名が決定される前の週末に、行政院長と台湾長老教会幹部との密室会議が行われ(たという噂があり)、週明けの行政院会議の席上で、院長はすでに既決の事実であるかのように第14族としてSediqが正名したことに祝いの辞を述べた。行政院はこの院長発言を追認するかっこうで―決議が行われたのどうかさえわからない―Sediqは正名を遂げた(423日)。

 一体、何がどうなったのか。これは”われわれの”正名運動の努力の結果なんだ―そう喜ぶ運動家たちに水を掛けようなどとは思わない。最後の事情がどうあれ、そうであることは間違いない。私の困惑感は、しかし、Sediqの人々が自分たちの力で正名を勝ち取った、という気持ちになれないのではないかと感じる点にあった。自分たちがこのようにねばり、主張し、団結した結果として正名を勝ち取ったのだ、と思えないのではないかという点にあった。実際、電撃的な駆け込み正名の直前、正名運動は政治的に分裂しつつさえあったし、一般のSediqの人たちの関心も失われていたと思う。それが密室での政治的な駆け引きの結果、はい、おめでとうございます、ということになった。517日、ロードフで正名感恩慶典が開かれた。例年の霧社事件記念祭よりは多数の参加があったが、広い会場(仁愛高中校庭)は一部しか埋まらず今一つ気勢の上がらない式典だった。
 はっきり言えば、”われわれSediq/Seediq/Sejeq”を立ち上げるための正名運動は、50%の勝利しか得られなかった。政治的なアイデンティティは獲得した―”われわれSediq”という内実は不透明なまま。”われわれSediq”は、どこかで政治的に横領され、台湾原住民第十四族というものが上から与えられてしまった。
 さて、その2年後である今年の霧社事件80周年祭典「愛と和平」でも、(1012日のブログに書いたように)「霧社事件を”われわれの物語”として取り戻そう」という一部の願いは、新国民党の台湾物語の内部に、上手に横領されてしまった。中華民国の旗の下に、愛と平和を愛する原住民はやっと和解できましたよ・・・。なぜ郷長は馬総統を呼んでこなくてはならなかったのか。OKOK、郷長たるもの地域の発展が第一だ、地域にはSediqだけでなく、ほかの原住民族も平地の人も住んでいる、そうした地域の発展にとって霧社事件が利用できるなら最大限に利用したい・・・それは分かる。分かるけれど、その行為は、Sediqだけでなく仁愛郷の原住民が”自分たち自身の物語”を作り出して、団結して自治区を勝ち取っていくという気勢を削ぐ結果をもたらしはしないのか。「還我自治実権」を主張する人々は、総統が帰った後、祭典会場の外で示威行動をした。彼らは「愛と和平」式典そのものに抗議するべきではなかったのか。
 自治区獲得運動もまた一般原住民の気持ちを置き去りにして、一部の政治エリートたちによる密室駆け引きによって決着するものとなってしまうなら、原住民の脱植民地化はさらにむずかしくなっていくと思う。(2010.11.5 Awil Kazuo)

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