時の流れに生きている人々―その1(王文其さん)

11/13()午後2時に台湾の被爆者である王文其さんを取材に行ってきた。王文其さんは今年で93歳になるが甘いジュース、煙草、コーヒーが大好きで元気なおじいちゃんでした。彼は昔日本で留学した経験もあって日本語が話せるが、取材中、さんが台湾語に対する反応は日本語より速いことから彼の一番使い慣れている言語は台湾語であると感じた。
 取材先はさんの開いている中央醫院ネッシン読書会のメンバーを中心に一同約20名の人がさんの話を聞いた。
 王さんは1935―41年の間に日本で医学を勉強した。1年目には東京の語学学校で日本語を勉強した。長崎病院で婦人科の実習中に被爆された。王さんによれば、当時被爆後、3人の看護婦が彼を助けたという。彼は3ヶ月間、自分の先輩に治療を受けた。4ヶ月目に入ると日本が敗戦したので、そこにいる台湾人は台湾に返送された。王さんもその時期に船に乗って基隆まで返送された。
 台湾に戻ってきた王さんはお兄さんと両親と一緒に嘉義で暮らした。王さんは228事件にも遭った。王さんは当時、誰かに銃で6発撃たれたが、幸いのことに怪我にならなかった。以上は王さんが台湾に戻った後の話。
続いて、なぜ王さんが日本政府から被爆者への補助があるという情報を知ったのかを聞いた。彼は「何もわからなかったよ」と言う。実は王さんの「健康手帳」は王さん自身やその家族が資料をそろえて申請したのではない。「健康手帳」がもらえたのは嘉義西區戶政事務所の張主任さんが申請をやってくれたから。張主任さんはすべての資料を集めて、王さんの「健康手帳」を申請した。「健康手帳」をもらってから、日本から補助の相関資料が送られてきた。日本から送られた資料によって申請資料の準備をしたのだが、王さんの健康診断書が被爆者であると証明できないと判断されたので、補助がもらえない状態が続いている。具体的になぜ健康診断書がだめかといったら、王さんが被爆者であるという有力な証拠がないから。王さんはここ最近足の怪我をしていて、その後、日本政府の規定した病院で健康診断をした。王さんの息子さんによれば、病院方面では王さんが足の怪我が被爆の傷跡なのか、それともここ最近転んでた後の怪我なのかがはっきり判断できないため、病院は診断証明書を書いてくれないという。病院が健康診断書を書いてくれないため、日本政府に補助をもらう申請も当然できない。ただし、日本政府は依然として毎回補助申請の資料を王さんの家に送り続けている。王さんと王さんの息子さんは日本政府に玩ばれた感じがすると言っていた。
今王さん家族はもうこれ以上補助を申請する気がないと言っていた。彼らにとっては別に月に9000元の補助をもらいたいわけではなくて、気持ちの問題だと言っていた。
台湾では原爆被害者に対する支援団体がない。この間、今年の4月に日本の原爆被害者支援団体に属する弁護士が王さんを訪問にくると言っていたが、結局来なかった。その弁護士は王さんのために日本政府に訴えると言っていたようだ。もし、訴訟に勝ったら、王さんが30万元もらえるといって、そのときに10%のお金をくださいと弁護士が言っていたようだ。
最後に、201010月に韓国の支援団体が外国の被害者とともに日本政府に訴えに行くという記事が出たが、実際に王さんらに聞いたら、そのような支援団体がぜんぜん聞いたことがないし、サインもしていないと言っていた。

王さんの息子さんはすごく熱く語ってくれて、王文其さんの相関記事をコピーして協会宛に送ると言ってくれた。(黄雅芬 -代理アップロードAK

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