予想通りしらっとした霧社事件82周年紀念祭
今日は霧社事件の82周年紀念日。一昨年の馬総統乱入事件、昨年の映画SeediqBaleによる乗っ取り事件に続く今年の祭典。事前に受けた印象から予想はきっとしらけるだろうというものだったけど、やっぱりしらけたムードだった。
一昨年は総統、昨年は県長と豪華なゲストがここ二年続いた(どちらも初めての登場だった)が、今年は副県長と”格下げ”になった。当初の予定では(予定表によると)9:30開始の12時終了だったのが、11時になるかならないうちに終了。
去年、儀式の中央をスヌイの人たちが占めて、映画の主題曲が流れる中でなにやらやった。どうしてスヌイなの、という私の疑問に「毎年、担当部落を替えてやるんだよ」的な説明があったのだけれど、今年はその中央の儀式集団そのものが存在せず、中央を占めたのは清流の人たちと来賓だった。何も儀式的なものはなし。清流の人たちはただそこに座って、出し物と演説を聞いて、弁当を食べて早々と遊覧バスで引き上げていった。
メディアも、来ていたのは原住民TVだけ。よほど話題に困ったのか、私にまでインタビューのカメラを向けてきた。私が「今年はいろんな部落がまったく来ていない」ことに触れると、インタビュアーの女性がカメラを止めるように指示して「そうなのよ、郷長がね・・・」と愚痴った。
紀念祭は、かつてのように清流の紀念祭に戻った感じが強い。所詮は清流の物語なのさ・・・ というムードは去年のやり方がまずかったせいだろうか。和解の原動力だったS老がほぼ引退状態に入ったためだろうか。正名運動を担い、開発反対運動や自治運動を牽引してきた長老教会の牧師たちがある種の分裂状態に入った(この話は今回は書きませんが、気になることが最近ありました)ためだろうか。和解への道がまた遠くなった。 張郷長に言わせれば、和解はすでに終わった、ということになるのだろう。そうであれば、正名のときと同じように、またSediqの民族運動は、上手にガスを抜かれてしまった気がする。(とりあえずAwil Kazuo)

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