混迷する228事件の『今』:66年目の紀念日



 19472月末に台北を起点に始動した一連の出来事を『228事件』と呼ぶ人もいれば、『三月屠殺(虐殺)』と呼ぶ人もいる。事件は「長い間、隔てられてきた大陸の文化と、台湾の文化とが衝突した結果」なのだ、と台北228紀念館のパンフレットは解説する。

台湾現代史に最も大きな痕跡を残したともいえる228事件の背景には、第二次世界大戦後に台湾が旧政府に接収されたことで、中国大陸と台湾の長年における隔絶がもたらした文化的軋轢が表面化したことが挙げられよう。(同館パンフレット日本語版)

 文化的軋轢とは一体何だろう。ハンチントン(1996年)の『文明の衝突』)にでもあやかって、こんな言説が作られたのだろうか。台北228紀念館が作られたのはハンチントンのベストセラーが出た翌年の、1997年のことだった。ハンチントン流の物語が9112001年)以後の『テロとの戦争』でも大いに利用されてきたことを思うと、何かの関係があるのかもしれない。1990年代中ごろの国民党が、公式に228事件の存在を認めて(李登輝が中華民国総統として謝罪したのは1995年だった)紀念館を建てたわけだが、その際に事件を「文化的軋轢」に帰することによって被害・加害の関係を不明瞭にし、そして事件の背景・理由を曖昧にしたと考える人々もいるだろう。
 2010年の春から改装のため閉館していた台北228紀念館がリニューアルオープンしたのは2011年の228日だった。まるまる1年間の休館。なぜリニューアルにまるまる一年を要したのか、予算の関係もあるだろうが、事件関係者(被害家族や本省人の圧力団体)と時の政権(2008年から国民党の馬英九が政権をとり、台北市長も同じ国民党の郝龍斌)との間での意見調整に手間取ったのかもしれない。改装の結果は、予想通り、賛否両論だった。批判する人たちは「国民党寄りの展示、解説」と言い、国民党の行動を「治安維持のための政府権力の行使」と正当化している、と言う。擁護派は「事件を過去のものとしてこれからの台湾を一緒に作っていくためには、誰が悪いとか強調するべきではない」と言う。
 擁護派の言う「過去のものとして」というあたりが、アウイ(筆者)の感想でもあった。特に、事件がそれに続く白色テロへの入り口であったことが展示からは見えないのだ。つまり、現在にどのように続いていったのかが見えないのだ。過去の「終わった」事件として蓋をした、とでも言えばいいだろうか。

 今年の紀念日の直前に、228事件の被害申請が2004106日に締め切られたことは不当であり、被害の申請を無期限に延長すべきだという議論が新聞をにぎわせた(「228受難家屬 盼賠償無期限」自由時報227日)。事件は戒厳令、白色テロの下で40数年間タブーとされてきた。被害者の家族も真相を究明する手立てが奪われてきた。1987年の戒厳解除、91年の憲法臨時条款の解除以後、徐々にタブーが壊れたけれど、その時点から初めて肉親の死や失踪の真相を究明することは容易でない場合もある。賠償請求期間を無限にしろ、という要求は「過去のもの、終わったこと」などと言わせないぞ、という抗議でもある。

 馬総統は、今年の228紀念日を契機として事件の再調査を行うよう中央研究院に指令した。そのきっかけとなったのは『高雄の屠殺人』と蔑称される彭孟緝(元高雄の国民党軍司令官)の息子、彭蔭剛(彼自身、現政権の要職にある)が馬総統に「父の汚名をはらしてほしい」という手紙(221日)を出したことだと言われている。民進党はこれに対して「馬政権がさらに歴史を捻じ曲げようとする試みを許してはならない」と反発している。馬政権が去年の7月に、高校教科書の台湾史を中国史の一部に組入れ直したことは記憶に新しいから、この民進党の『危惧』も理由がないとは言えない。

 228日、私は「核電零」(原発ゼロ)と書かれたTシャツを着て平和公園(式典会場)に入った。228紀念館の見学ツアーをすることが目的だった。平和公園の周りは機動隊の車両で取り囲まれ、公園内も制服、私服の警官、SPがやたらと目についた。SPらしき人物(黒の上下で耳に蛇腹のイヤホンをしているので一目瞭然)が私のTシャツに目を付けたらしく、ずっと目で追ってくる。私の方を見ながら何やら無線で連絡も入れているのが分かる。要注意人物としてしっかり登録されたようだ。反原発=反国民党=台湾独立派の過激派、といった構図が出来上がっていることを想像もさせた。公園の外では「台湾独立」などの旗を掲げたデモ隊が機動隊に足止めを食わされている。デモ隊の人数よりも機動隊と警官の方が圧倒的に多い。この日、私と一緒に見学ツアーに参加した人たちに『台湾の現在』がちらっと見えた。

 同じこの日の夕方、学生たちやNGOが合同で『共生音樂會』というのを催した。こちらは国民党主導の紀念祭に(暗に)対抗する意図もあったのかもしれないが、表立っての対抗言説は聞かれなかったようだ。ストレートで、かつ説得力のある対抗言説が存在しない、という点に問題の複雑さがあるのかもしれない。
 被害者家族にとって、白黒(加害・被害)をはっきりさせようとしない政府の態度は批判の対象となる。閔南人の運動という色彩が濃い『台湾独立派』にとっては、228事件は外来政権である国民党を攻撃する格好のネタであり、簡単には手放さない。『共生音樂會』に参入した学生たちやNGOは、しかし、そのどちらの主張にも納得はいかないだろう。228事件の被害者は閔南人のエリートだけではないし、外省人も客家人も原住民も犠牲になっている。そういうことが今なら分かる。国民党を外来政権だと言い、外省人を台湾人と認めないと言うのは今の若者には通らない理屈だ。
じゃあ、228事件について『今』何をどうしたらいいのか。そこが分からなくなっているのだ。(Awil Kazuo)

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