ついに完成!スヌイ映画プロジェクト


  プロジェクトに取りかかったのは2008年の9月だからほぼ5年も前の話になる。当時の「山プロ」(東海大学修士班のプロジェクトの一つ)メンバーと、当時の「台日地区研究」、学部の3年生30人弱。地震のときから(19999月)通っているスヌイの部落にある教会の牧師さんから「部落の年寄りたちの半生を記録したい」という要望が出発点となった。山プロと地区研究の学生たちで、年寄りたちの話を聞き、彼らが過ごしてきた半生の足跡を追い、彼らの語りを軸にそれぞれの人の半生を映像化しようという試みが始まった。
 牧師の最初の提案は年寄りだけではなくてその家族(三代までは通常同居か隣り合って住んでいる)の記録を映像に、というものだったがとりあえずまずは年寄り自身の半生から始めるということになった。教会の長老会議だけでなく、部落関係者との会議ももって、企画にゴーサインが出たのは1カ月後の2008年の10月。
 シナリオの作成にほぼ4カ月、撮影に1カ月、編集に2カ月ほどかけて、20096月、学生たちとしては作品を作り上げた。学生たちとしては学期終了までに何とか完成させなくては、ということで駆け込みでやった部分もあって、出来は荒かった。牧師との約束に合っていない部分もあった(たとえば背景音楽は、牧師は山の人、セディックの人が歌ったのを使ってほしいと言っていたのだが、学生たちの作品には彼らが好きな曲が使われていたりした)。このままでは公開できない、学生たちは卒業したり次の学年に進んでそれなりに忙しい。どうしよう。スヌイ映画プロジェクトは20101月に発足した「東亜歴史資源交流協会Eaphet」が引き継ぐことになった。5本別々に担当者をつけた。担当者は当初のシナリオ作りや撮影にも参加していた人が中心だったが、映像の受け渡しにいろいろな問題があった。そもそも使っている映像編集ソフトの違い。映像をコピーしたときに生じたパスの異同や、映像名の変更、さらには映像の劣化(開けないなど)。映像の撮り直しも含めてなんとか救えるところを救いながらの作業になった。映像の行方不明や劣化に加えて、「Sediq語の中文字幕」作成が大きなネックとなった。Eaphetメンバーも時間が潤沢にあるわけではなかった。時間があるときに山に出かけて「ここ、なんて言ってるの」と年寄り本人や部落の人に聞いた。仕事は遅々として進まなかった。20111月、「年寄り」の一人、ワリス・パワンさん逝去。葬式ではとりあえず使える映像でまとめ直した追悼映像を流した。2011年と2012年は矢のように流れた。
 20134月、牧師が「そろそろ公開しよう」と言ってきた。これまでも途中の映像や予告編などのファイルを渡してきていたのだけれど、牧師の方も忙しく、あまり催促されることもなかったのが仇となってここまで引きずってしまった。心が痛かった。牧師の言葉で「よし、これが最後のチャンスだ」と思った。自分の仕事とEaphetの活動の合間を縫って、各自奮起して5本の映像を完成させた。623日の礼拝のときに、映像プロジェクトを紹介する映像(まあ、予告編でもあるのですが、これまでの経緯を説明する短い映像)を流し、全編公開はその後の適当な金曜日に予定されることになる。Eaphet等、スヌイの外でも公開していきたい(スヌイ教会の許可があれば、ですが)。

Project Snuwil
0.Preview + history of making the five films (11 minutes)
1.Lubi Nabu (20 minutes)
2.Rabay Napay (20 minutes)
3.Ukan Watan (21 minutes)
4. Pian Cybi (16 minutes)
5. Walis Pawan (8 minutes) 

(Awil Kazuo)

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