釜山の民主と日本の平和憲法
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釜山港を見下ろす山頂に1999年に完成した「民主抗争記念館」。李承晩を退陣に追い込んだ1960年の4月革命、朴正煕政権下の1979年の金泳三議員除名反対に端を発した釜馬民主抗争、そして1987年の6月抗争に代表される「民主化運動」を讃えて記念する施設だった。1982年に造成された「中央公園」の中に作られた。釜馬民主抗争の20周年を記念して建てられたもの。民主公園の対面には「忠魂塔」(主に独立運動と朝鮮戦争でなくなった軍人や警官を讃える碑)がひときわ高く堂々と聳え立つ。こちらは1983年に釜山市内の別の公園から移設されてきたというから、民主抗争記念館よりも古い。
| 民主抗争記念公園の表示 |
| 民主抗争記念館の「民主の炎」 |
民主抗争記念館が作られて後、中央公園という呼び名よりも民主公園という名で親しまれてきた。それが最近「ここは民主公園ではなく中央公園だ」という勢力が勢いをつけ、これまで「民主公園」だったバス停は「中央公園/民主公園」と、二つの名前を併記しなくてはならなくなっている。民主という名称の使用自体を疑問視するというか、もうやめようという声も小さくないらしい。その背景には、白色テロ時代の独裁者として一時は酷評された朴正煕への再評価がある。今の南韓の経済反映(?)があるのは朴正煕大統領のおかげだ、独裁強権発動していなかったら、北に飲み込まれていたか、アメリカ合衆国に飲み込まれていたか分からない。独立と反映は朴正煕に負う。そういう評価が台頭してきているのだ。そのような評価はこれまでも水面下(民主化万歳という時流に押されて表に出にくかった)で存在した。先の大統領選で朴クネの当選を阻止しようとして、若者たちが休日にも関わらず(休日の選挙では若者たちの投票率が低くなることが知られている)選挙に行こうと呼びかけた。これに危機感をもった中高年層が、締め切り時間ぎりぎりになって大挙して投票所に押し寄せた。朴クネの得票率はぎりぎりだったが、滑り込んだ。
中央公園内には光復記念館も併設されている。光復記念館と忠魂塔は親和性が高い。1999年当時は、民主抗争記念館もまたこれらと親和性を持ったのだろうと思う。すべてが釜山の現在を-南韓の現在を支えた英雄だったのだろうと思う。それが、民主抗争記念館だけが仲間はずれにされようとしているわけだ。
朴槿惠が大統領に当選したとき、なぜあの朴正煕の娘が?と意外に思った人はいただろうと思う。私自身も、独裁者朴正煕という民主化時代の常識にとらわれていたから、信じられない時代逆行に思えた。しかし、その前の李明博からすでに時代逆行していたのだ。李明博も金大中と同じように民主化の闘士という触れ込みではあったが、李はむしろ民族主義者というのが妥当だ。朴正煕との違いはその民族主義の戦略にあったにすぎない。民族主義(ナショナリズム)と民族経済の復興、それが李の路線だった。その延長線上に、民族経済を発展させた功労者としての朴正煕の再評価があり、娘の当選があった。この線上では、(偏狭なナショナリズムと対抗関係にあるような)民主化運動も、民主も不純なもの、排除すべきものとしてしか存在しない。
ひとつの時代が終焉すると、次の時代(権利者たち)は自己肯定のために、終焉した時代を悪し様に言う。あの時代は暗黒時代だったが、今、夜明けがきたのだと。そして、そういう「権力の交代」から離れた場所にいる人たちは、こうしたイデオロギーというか価値の恣意的な変化に振り回されることになる。
民主主義や、自然環境保護や、平和主義がノームだった時代が、恣意的に終焉させられ、別の何かが、今、大きく頭をもたげてきている。その別の何かは自己肯定と、終焉させなければならない時代の否定に躍起になっている。釜山の「民主」廃止と、日本の平和憲法形骸化とは、同じ流れの中にあるように思う。(阿川)

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