山の本屋さん、松林書屋

 南投県仁愛郷に松林部落という村がある。昔の名前はAlan Pulanといい、アタイヤルの人々が住んでいた。日本時代にはイナゴ社という名前になったそうだが。霧社から萬大ダムに向かって下る山道をひたすら進むと、20分くらいで松林部落に着く。霧社も含めて、このあたりの部落は台湾電力の「城下町」で、学校や地域の催しものや祭りは台湾電力の補助金で成り立ち、会社の幟がはためく。平地の大都市、埔里まで約1時間。「山の中」で「原住民文化の色濃い」村ではない。平地の周辺にあって文字通り「周辺化」され、これといった産業も名物もない、どちらかというと「さびれた」集落だ。若者は埔里や台中に出て行って、帰っては来ない。

  松林部落に入ったすぐのところに一軒の「本屋さん」がある。チーミン・ラワさんという人が数年前に、勤めていた台中の博物館を早期退職して始めた店だ。土地は親類から借りた。建物は台中の大学のプロジェクトで建ててもらった。足りない開店資金は退職金から出した。

 チーミンさんのお父さんは平地の人だが、お母さんが松林のタイヤル人だ。若いときには、自分のルーツが母の土地にあると思わなかったけれど、年齢を重ねるに連れて、その思いが強くなった。それで原住民として国家に認定してもらうべく―身分証明書に原住民身分を書くために、さまざまな手を尽くした。簡単ではなかったようだ。

松林が日本から「イナゴ」と呼ばれた理由は、ぴょんぴょん跳ねて、いろんな場所から移動して今の場所に来た部落だからだと考え、部落の変遷を調べ、現地に行き、文献を調べ、研究した。本屋を開くことで、チーミンさんは部落に「戻り」、部落の子供たち、若者たち、大人たちに、松林部落に交流の場を作って、自分たちの文化に誇りをもってもらおうと考えた。遅かったけれど、きっぱりとした「Uターン」だった。

チーミンさんと部落を歩くと、いろいろな人が声をかけてくる。チーミンさんは子供を見つけると必ず声をかける。本屋には子供たちのための本やボードゲームなどがある。子供たちがフラッと遊びに来る。チーミンさんは彼等の相手をするけれど、何かを指導したり、本を読みなさいとか何かをやらせたりすることはない。ただ、声をかけ、遊びにきたら受け入れる。それだけのことらしい。

本屋ではときどき勉強会(中文で言うなら読書会)を開く。常連は34人。その中の一人は、松林の発展協会の理事長さんだ。理事長さんもUターン組だ。部落に戻ってきてレストランをやっているのだそうだ。松林書屋のイベントに、食べ物を提供したりもしている。チーミンさんの応援者の一人だ。数は少ないけれど応援する人たちもいて、本屋さんは生き続けている。

「私はずっとここにいるから、いつでも来てください。」チーミンさんが別れ際にこんなことを言った。ずっとここにいるから、という言葉が沁みた。(アウイ記)



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