追悼 屋嘉比収さん

 屋嘉比収さんが亡くなって二週間が経とうとしている。この二週間で、学校が始まり、風邪を引き、季節はすっかり秋っぽくなってきた。けれど、屋嘉比さんが亡くなったことを考えると、未だ実感が沸いてこない。言葉を変えれば、この部分だけ感情が麻痺してしまったかのように、うまく感じることができないでいる。泣く事もできず、うまく悲しむ事もできず、屋嘉比さんの死を文字通りにしか理解することができない。

 最後に屋嘉比さんとお会いしたのは、今から二年半以上も前のことだ。論文をどう書いていいか分からない私に、「ヒットを狙うのではなく大ファールを狙いましょう」と声をかけてくれた。修士論文を書いているとき、この言葉が、間違ってもいいから思いきり書いてみようと背中を押してくれた。屋嘉比さんの声を聞いたのは、このときが最後になった。それからはメールでのやり取りだった。
 20085月、屋嘉比さんからのメールには、体調を崩して療養に専念します、と書かれていた。急な体調の変化で私自身も驚いています、とも。それからのメールには、毎週通院しています、徐々に回復に向かっています、今日は体調が芳しくないです、とその時々の体調について、メールのどこかに書かれるようになった。
 メールでの最後のやり取りは、今年の2月。なんとか論文を提出したものの、進路がまだ決まっていないときだった。屋嘉比さんは、「謙虚な自信」を持って、「お互い、過信せず、謙虚に今できることを一歩一歩ずつすすめていきましょう」とメールに書いた。どこか自分自身にも言い聞かせているように思えた。台湾から大阪に移ることを報告したメールの返事には、「台湾でお世話になった先生方や友人たちに感謝の気持ちを忘れないようにしなければなりません。」と、誠実な屋嘉比さんらしい言葉が書き添えられていた。しかし、これが最後のメールになった。この8ヵ月後、屋嘉比さんは長い闘病生活のすえ、この世を去った。享年54歳だった。
 屋嘉比さんは病気と闘いながら、二冊の著書を出版し、三冊目の準備にも取り掛っていた。単著として『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす-記憶をいかに継承するか』(世織書房、2009)、『〈近代沖縄〉の知識人-島袋全発の軌跡』(吉川弘文館、2010年)を出版した。三冊目には、これまで新聞や雑誌に発表してきた文章、今年の5月に沖縄大学で開催された「アジアのなかで沖縄現代史を問い直す ―新崎盛暉『沖縄現代史』中国語版・韓国版刊行記念―」での報告原稿などが掲載される予定だったという(この報告原稿は中国語で読めます。『台灣社會研究第七十九期』(20109月号)をご参照ください。)また、代表的な共著として「沖縄・問いを立てるシリーズ」の『1沖縄に向き合うまなざしと方法』、『4友軍とガマ沖縄戦の記憶』(どちらも社会評論社、2008)、『沖縄の占領と日本の復興―植民地主義はいかに継続したか』(青弓社、2006)がある。この他にも、専門である思想史の枠を超えて、沖縄戦、米軍基地、東アジアなどの問題について積極的に執筆・発言をされ、また、沖縄県女性史編の編集員、読谷村史の編纂に関わるお仕事もされていた。
 沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』が出版されとき、祝賀会が沖縄で開かれた。私は参加することが出来なかったが、参加した方の話を聞くと、研究者だけではなく、屋嘉比さんと親交のあった多くの方が駆けつけたという。屋嘉比さんの誠実で明るい人柄を思わせる話だと思った。ご自身の研究を進める傍ら、人と接することを忘れず、そして、人と人を繋ぐことにも積極的だった。屋嘉比さんは、たくさんの人に信頼されていたのだと思う。
 
 私が屋嘉比さんについて書けることは、本当に少ししかない。屋嘉比さんに最初にお会いしたのは、私がまだ大学生だったころ、琉球大学で行われていた読書会だった。たった6年ほど前のことでしかない。しかし、それでも、自分なりに屋嘉比さんのことを書いておきたいと思った。屋嘉比さんのご冥福をお祈りするとともに、これからも屋嘉比さんと向き合っていきたいと思う。

(2010/10/13 冨永悠介:アップロードはAwil Kazuo)

コメント

EAPHET さんの投稿…
やかびおさむさんには私は借りがあります。(それが何なのかは勘弁してもらうとして) 先に死んでゆく人たちに、いつも大きな借りがある。返せなくなっちゃうじゃないか!と愚痴る代わりに、別の誰かに返していかなくちゃ背負いきれないけれど、返すという意味(何をすれば返すことになるか)が今ひとつ分からない。そうやってじたばたするしかないね、などと分かったようなことも言いにくい。サクラの第一班、”山の郵便屋さん”―ポホク・ナビスさんが他界したというのを昨日知った。天主教になってから聖書をトーダ語に翻訳する仕事に没頭されていたが、数年前に身体が言うことをきかず埔里(の病院に近いところ)に転居していた。彼にも借りがある。2,3回しか会って話したことはないけれど、借りがある。屋嘉比さん、ポホクさん、少しでも面識をもてたことを誇りに思います。
EAPHET さんの投稿…
名前を書き忘れました。10月17日の意見は、Awil Kazuoが書きました。失礼しました。