アメリカ合衆国、法を曲げて日本のプルトニウム蓄積を援助③


201249日 National Security News ServiceNSNS)の記事、United States Circumvented Laws to Help Japan Accumulate Tons of Plutoniumを、今、金曜日の「英語で読むかい」で読んでいます。ネットにも、この記事の全訳はないので、毎回読んだところまで(連載で)みんなで考えた訳を掲載していきます。今回はその第三回です。原文はこちら

 194586日、エノラ・ゲイが広島に原爆を投下した。爆発は瞬時に7万人以上を殺戮、続く数週間の間にさらに何千人かの命を奪った。このニュースを聞いた仁科はアメリカ人に先を越されたことを悟った。同時に、しかし、彼は自分が開発している原爆が実現可能だということに確信をもった。仁科と彼のチームは自分たちの爆弾のテストを行うべく働いた。歴史家、ロバート・ウィルコックスや、アトランタ・ジャーナル・コンスティテューション紙の記者、デヴィッド・スネルらは、仁科たちは実験に成功したと信じている。ウィルコックスは書いている。長崎に原爆が投下された三日後の1945812日に日本はハンナムでの原爆実験に部分的に成功した、と。しかし、その時点での成功は、単なる象徴的な意味しか持たなかった。日本はそれ以上の本格的な爆弾を製造する能力もなければ、爆弾を正確にアメリカ合衆国まで届ける手段(ミサイル、長距離爆撃機など:訳者注)もなかったのだ。
 戦後、日本が再建される中、広島と長崎の原爆は、大日本帝国の野望の馬鹿さ加減の象徴であるとともに、アメリカ合衆国の日本人に対する非人道的な行いの象徴となっていった。日本人は原爆を忌み嫌った。日本のリーダーたちも同じだったが、しかし、核戦争の被害者となった経験は、核兵器の持つ戦略的な意味を評価する態度にも繋がっていった。
 戦争が終わって、何千ものアメリカ兵が日本を占領した。日本への核攻撃の後、アメリカ合衆国は核兵器への野望、その生産能力が世界に広まることを危惧した。ワシントンは、日本が以前考えられていたよりもずっと核兵器開発に近づいていたことを知った。それゆえ、日本の核兵器生産能力を破壊することは占領軍にとっては最優先事項の一つだった。国際的な核拡散防止交渉を行いながら、米占領軍は二度と計画を推進できないようにするため日本のいくつかのサイクロトロン、および原爆計画の関連施設を破壊した。米軍はF号計画の物理的な建造物を破壊することはできたが、仁科とそのチームが戦中に蓄積した膨大な知識まで消し去ることはできなかった。

日本の核計画の始まり
F号計画に携わった男たちは、その後の日本の核エネルギー計画のリーダーとなっていった。彼らにとって最初の優先事項は、日本で核研究を続けていくために必要なウラニウムを確保することだった。
 戦争と、それを終わらせた原爆は、日本人に大きなインパクトを与え、そのインパクトは持続した。日本人は広島と長崎の破壊を忌まわしいものととらえたが、日本の政府は核エネルギーに、日本が産業化したときからの足かせになってきた外国のエネルギーへの依存から脱する可能性を見ていた。
 日本の降伏によってアメリカ合衆国は太平洋の支配力を手に入れた。しかし、この支配は1949年、中国で共産党が勝利し、ソビエトが核実験に成功したことで、脅かされることになった。共産主義が太平洋においてアメリカ合衆国を脅かす中、日本はかつての敵から貴重な盟友へとその地位を変えた。
 1952年(ママ、1950年の誤り)北朝鮮軍が南へ押し寄せてきたとき、アメリカ合衆国はまったく応戦する準備がなかった。戦備も不足し、訓練も行き届いていなかった米海兵隊は釜山まで追いやられ、背水の陣を敷くことになった。その後、朝鮮戦争中に何度も核兵器の使用が検討されることになるのだが、このときその最初の要請がアメリカ合衆国軍司令官、ダグラス・マッカーサーによってハリー・トルーマン大統領に対して出された。
 その核兵器は沖縄にあった。釜山で米軍が全滅の危機に瀕していたとき、米軍のB-29は中国と朝鮮の目標をいつでも攻撃できる態勢で待機していた。その後、実際に核兵器を搭載した爆撃機が中国および北朝鮮領空を侵犯していくことになる。そうした戦闘爆撃機が一機、撃墜されている。
 朝鮮戦争は日本にとって重要な転換点だった。その三千年の歴史上最も屈辱的な敗北から7年後、日本は自分を打ち破った軍隊のための兵站基地となったのだ。日本自身の軍備は当時、ないも同然だった。東京の安売春宿に頻繁に出入りする米兵の姿と同じくらい屈辱的だったことは、日本の防衛がアメリカ合衆国の手に握られていたことだった。トルーマンが中国との間であわや核戦争突入かというゲームを展開するなか、日本はかつて自分の敗北を第二次大戦で決定づけた核爆弾というものに頼ってしか自分の防衛ができないのだということが鮮明になっていった。

注:文中、「 その三千年の歴史上最も屈辱的な敗北」というくだりは、紀元前660年に神武が”天皇”として即位した、というお話に基づいている。紀元は2672年。「日本」の意識が明治に作られた天皇神話に現在でも(あるいは朝鮮戦争時点で)立脚している、という解釈だろう。

続き →その② →その①

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