The Act of Killing (殺人という行為)
大時代な「シュール」で、「グロテスク」、「サイケ」と付け加えたくなるような映像でした。着想も面白いけれど、それを実現してしまう謎の資金力を思って、感動すべきなのか、頭をひねるべきなのか、分からない。昔のハリウッド的演出が続出するのだが、それはこの映画の主人公であるKillerアンワー・コンゴと彼の右腕による演出だと強調される。強調されること自体がこの映画の作り手の演出であり、重層的な面白さが、たしかにある。
アンワー・コンゴは1965年の「共産主義者による」スカルノ打倒クーデターを「鎮圧」した陸軍のスハルト少将の配下で、反乱者の「処刑」に直接関与したギャング(やくざ)。一人で少なくとも1000人を殺害したとされている。彼の常套手口は針金による扼殺。事件全体では50万から100万人(数百万と言う人もいる)が殺害された。
1965年から66年まで半年間続いた「共産主義者狩り」は9月30日事件とも呼ばれる。その経緯も複雑なら、経過も、犠牲者数もいまだに詳細は分かっていない。
事件は、228事件(台湾1947)、4・3事件(南コリア1948)、フク団の反乱(フィリピン1951)と続いた「反共策謀」の一つだ。まずこのあたりを復習しておこう。
1945年、日本敗戦でインドネシアは独立を宣言するが、オランダはこれを認めず、スカルノ率いるインドネシア軍とオランダ軍は激しい戦いに突入した。インドネシアに残った日本軍敗残兵の中には、インドネシア独立軍に加担するものもいたらしい(陳千武さんから経験談を聞いたことがある)。とにかく、1949年にオランダ軍を打ち破ったスカルノは、(中華系インドネシア人の排除に加えて)オランダ、イギリス、アメリカ合衆国などの外資の資産を凍結し、接収し、外資の導入を止めた。例えば1957年12月にオランダの石油プラントの国有化などだ。―これはグッドイヤー社をはじめ、「自分たちが“解放”した」戦後のアジアを食いものにしようとしていた勢力にとって大きな障害になった。インドネシアを放っておけば、東南アジア全体にこうした動きが広まってしまう。恐怖の共産化、だ。スカルノの 同盟者、Dipa Nusantara Aidit 率いる インドネシア共産党は党員 300万人という、ソビエト連邦と中国を除くと、世界最大の共産党へと成長し、その影響下にある大衆団体は1000万人近くに達していた。そのスカルノが1955年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)で議長を務めるなど影響力が無視できなくなっていた。
そこでCIAが何度もスカルノ政権転覆を図ることになった。右翼反共主義者の反乱をおこしてみたがうまくいかなかった。1958年、CIAは右翼に資金、武器、B-26爆撃機数機を供与してスカルノ政権転覆を図るも失敗(The Invisible Government, 1964, Random House)。1963年にイギリスとアメリカ合衆国が、マラヤ連邦を作りだしたのは、対スカルノ戦略のためでもあった。
9月30日事件は、共産党が(全体としては親共産党であった)インドネシア軍の幹部6名を惨殺してクーデターを企てたという(捏造された)話に始まる。軍のトップが殺害された中でスハルト少将が軍を掌握して反乱鎮圧にあたった。その配下となったヤクザ、アンワー・コンゴ(左)のような人たちが何人いたのかは分からないが、彼らは共産主義者狩りをおこない、拷問、殺戮を繰り返した。スハルトが政権をとってからは、コンゴのような人たちが国を救った英雄となり、現在に至っている。事件直後の1966年3月、力を大きくしたスハルトに、スカルノは実権を渡さざるを得なくなり、1968年にスハルトは第二代大統領に就任した。スハルトは、まさにアメリカ合衆国が望む開発独裁政治を行い、彼の支配は1997年のアジア通貨危機まで続くことになる。
歴史をおさらいしてみると、この映画の中にはアメリカ合衆国の影もCIAの影も見えないけれど、アメリカ映画に憧れるコンゴたちを通して、はるかかなたにアメリカ合衆国の存在が示唆されているとも言えるのかもしれない。しかし、アメリカ合衆国などでこの映画を見る人たちは、戦後のアジア史についておそらく無知だ。コンゴたちの殺戮の背景に自分たちの姿を見るとしても、それはキリスト教的な罪と罰、罪と贖い、そういう一般化され、文脈を抜かれた次元でしかないのではないかとも思う。
映画のクライマックス、天国に召されたコンゴが、自分が殺戮した被害者たちに赦されるという場面(右写真)。コンゴ自身の演出でこんな場面になったそうだ。間違って英雄になってしまった歴史の茶番劇をハリウッド風に歌い上げるこのシーンの狂気は、コンゴを内側から蝕む慙愧を示唆するのか。(古川ちかし)

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