棄民と隠蔽@蘭嶼:核廃料との戦い、現地レポート
![]() |
| 核廃棄物貯蔵庫(23棟) |
2014年8月12日、蘭嶼椰油村にある蘭嶼部落文化基金会で「棄民と隠蔽:福島の現在」を行いました。夕方7時開始で、終了したのは9時半くらいでした。島の若い人たちを中心に、10数人が聞きに来てくれました。討論が予定の時間を越えて、約1時間ありました。最初はみなさん口が重く、基金会の執行長であるSinan Mavivoさんが蘭嶼の状況と福島の状況の類似性などについてまとめた話をしてくれたのですが、そのうち、みなさんがコメントや質問を出すようになって、結局1時間ちかく討論することになりました。
| 貯蔵庫で:Sinan Mavivo(手前)さんと阿徳さん(奥) |
開始前には、Sinan Mavivoさんから「やはりみな健康被害に関心があるんです」と聞いていたけれど、話してみた感じでは健康被害について若い人々はあまり実感がないようでした。2年くらい前の調査では、高いところでは64μS/hrもの高線量が出たにも関わらず、あまり危機意識が感じられないように思いました。
| 左が台電が公開したドラム缶の腐食写真 |
他の場所で話したときと違ったのは「どうして他の場所に移住しないのか」という質問がなかったことです。話題には出たのですが、土地を離れるのはそりゃあむずかしいだろう、という反応でした。蘭嶼がまさにそうだからなのかなと思いました。蘭嶼を離れてダウの人々に生きていく道は考えられない、そういうことなのかな、と。
執行長さんはSinan Mavivoさんという。直訳するならMavivoの母(Sinan)、という意味になるようです。Mavivoというのは彼女の長男の名で、子どもが生まれるとその子の母というのが彼女の名前になる。結婚前は未婚を示す別の名があるそうです。中文名もあるのですが、彼女は決して自分からはその名を私たちに告げることがありませんでした。(ちなみに頼メイホエ―漢字は分かりませんが―さんと言う、と基金会の別の方がこっそり教えてくれました)
蘭嶼の核廃料貯蔵の歴史はみなさんもご存じかと思うので細部は割愛しますが、
▼1982年4月22日に貯蔵庫の工事が終わり、5月にはドラム缶10000本が搬入された。以来、現在までに10万本が搬入されている。
▼1997年、住民が核廃料積み下ろし港を封鎖。衝突。以来、新規の搬入なし(99年に搬入しようとしたのを住民が埠頭で阻止した)。
▼2000年、阿扁の「原住民族との新パートナーシップ」宣言。蘭嶼の核廃棄物の撤去、移動を約束した。
![]() |
| 何の防護もせず密閉されない場所で修復作業。 |
▼2002年
に実施のはずだったが、行われなかったため、全島で抗議。廃棄場事務所に侵入、占拠、火をつけて焼くと脅した。それで行政院長が謝罪にやってきて、新たに
議定書を作成。内容は、新たに二つの行政単位を作ること。一つは廃棄場移転を計画、実施する単位。もう一つは、蘭嶼のコミュニティ復興のための単位。合わ
せて2.2億元の予算もつけた。
▼蘭嶼部落文化基金会は、このとき、民進党からの200万元の寄付と、この新規予算に500万申請してもらった金で創設した。
▼ところが、翌年には上記二つの行政単位が消滅。経費申請したくても窓口が組織ごと消えてしまった。結局、初年度に申請して認可された金額だけしか使えなかった。
![]() |
| 腐食した箇所にガムテープ?? |
▼2005年に、立法院が核廃料貯蔵場の設置・管理に関する規制や条件などを定める法律を作った。それで、今後は法律に従えばいいのだから、行政院の方で監督部署は必要なしということになった。
現在の執行長は反核ということが知られていたので、2年前に就任した際、基金会が反核運動中心になってしまうのではないかと心配する声もあったそうだ。部落復興と反核とのバランスがむずかしいようです。
2007年
から腐食したドラム缶の修復が行われていますが、台電が公開している修復作業の様子と、実際の作業員が隠し撮りした作業の様子とは明らかに違っています。
実際には何の防護服もつけず、普段着姿の作業員が密閉もされていない部屋でドラム缶の腐食した場所にガムテープを巻いて黄色のペンキを塗っている…そんな
状態のようです。(古川)




コメント