ぺ・ハルモニにお参りしてきました
| 入口から納骨堂までの道、延々と続く。 |
一兵さんの愛車に、林欣怡さんと二人乗せてもらって片道2時間半くらいのドライブでした。この愛車にはぺ・ハルモニも何度も乗って一兵さんに「ラジオを直した方がいい」とか、いろいろ(例の調子で)注文をつけていたそうです。そのぺ・ハルモニが乗っていただろう助手席に座って、ハルモニのことを思い出していました。
最初に会ったのがいつのことか、もう実は覚えていません。90年代の終わりのことだったようにも思う。私のことを「坊や」ってずっと言ってた。2000年代に入って、私がナヌムの家に行く理由はぺ・ハルモニも含めて数人のハルモニたちに会うためだった。ぺ・ハルモニは「証言」はしない。少なくとも私は聞いたことがない。でも、話の端々に体験したことが出てくるときがある。でも多くは語らない。日本にいた時代についても、まとまった話は聞いたことがない。一度、台湾からテレサテンのCDを持っていったら、もっとクラシックなものもっておいでよ、と叱られた。それで次には京劇みたいなのを探してもっていった。チャンゴを叩きながら、どんな曲でも歌った。それも複数のバージョン、複数の言語を駆使して。だんだん脚が思うように動かなくなった。大好きだった買い物にも行く回数が減っていった。あの兎ちゃんのぬいぐるみを付けたカバンをもって。
海印寺というのは山一つでは足りないかもしれないくらいの大きさの敷地があって、入口から 納骨堂まで遠い。納骨堂(左)は山の上の方にあった。眺めは素晴らしい。静かなところ。
気が小さくて、人見知り。度量が広くて外交的。そんな相反する面をもった人だった。クジラのように大きな心をもった人だったとも思う。
ぺ・ハルモニと最後に会ったのは、亡くなる1年ほど前だった。何となく線が細くなったようで気になっていた。ハルモニたちが人間として生きた記憶というか、慰安婦被害者という括りでは捕えられない人としての存在が、こうして薄れていくのだとしたら、それもしかたのないことなのかもしれないと思う。それでいいんだよ、とハルモニは言うかもしれない。 若いもんは若いもんでやることあるだろう、と。やること、やんなさいよ、と。はい、ハルモニに叱られないようにやることやります。でもやっぱりあの世で会ったらいつもの調子で叱られるでしょうね。
飛行機に間に合うように車を飛ばして釜山に戻りましたが、結局、台風のため飛ばず。翌日の便の空席待ちとなりました。(古川ちかし)

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