4回目の3.11
もうすぐ4回目の3.11が来る。意識しないでいようとしてもなんだか心がざわざわしてしまう。
最近、福島で住んでいた頃の夢をよく見る。それは、普段は思い出さないような以前住んでいた家の中で、なんてことない日常の生活をしているとか、家の中で探しものをしているとか、そんな夢を見ていて、「はっ」と目覚める。という事を何度か繰り返している。三月が近いからなのか、もうすぐ4年だと思う気持ちがそうさせているのかよくはわからないのだけれど、目が覚めて、なんともいえない気分でしばらくぼんやりしてしまう。
原発が爆発して4年になる、当時小学校5年生と高校2年生だった息子と娘は、中学3年生と大学3年生になった。台灣に避難移住してから三年が経過する。大きく成長した息子を見ると時間の経過を感じる反面、いつまでも時間が止まったかのような感覚もある。
先日息子の中学校の卒業式があった。三年前、不安そうな顔で入学式に座っていた息子をふと思い出した。
卒業式の校長の式辞や来賓の長い話の間、台灣に来てからのことが頭の中でぐるぐるまわっていた。思い出すとこみ上げるものがあるのだけど、ここで泣いたら校長や来賓の話に感動していると思われてしまうと思いぐっとこらえて他のことを考えなんとか自分の気持ちをごまかした。
原発爆発後、めまぐるしく生活がかわった一年を埼玉で過ごし、学校でもなじめず楽しいことなど一つもなかった。暗黒の一年だったからあまり記憶にない、と最近になってその頃のことを話すようになった息子。たぶんその時はいろいろ大変だからと私に気を使っていたのかもしれない。
私と娘と息子で台灣に来たもののビザもなくこの先の何かなど何にもわからない状態の中だったにも関わらず、三人共、台灣に着いた途端に火鍋の食べ放題に行き、日本では安心して食べれなくなっていた野菜や肉をもりもり食べれることにひたすら感動していた。
日本では食べ物、飲み物すべてを疑ってかかって常に緊張した生活をしていたので、言葉の通じない台灣に来て不安だとかいうよりも、放射能の不安から離れられた事の解放感のほうが大きかった。
だからといって放射能についての危機感がなくなったわけではなく、日本から輸入された食品や海産物にもずっと危機感をもって気をつけて来ているし、何より子どもたちが体調を崩すともしかしたら被曝の影響ではないかと常に心配をする日々は続いている。
最近、時間の経過ともに危機感や事故当初の放射能に対しての怖さがどんどん薄れていくまわりの雰囲気を痛いほど感じる。
私は、そんな中時間がたてば楽になる事があるけれども、時間が経てば経つほどじわじわと悲しみや不安や空虚感が大きくなることもあるのだということを実感している。
放射能はじわじわと身体を蝕んでいくのと同時に心にも大きな影響を与え侵食していくのだろうか?いや、放射能ではなく、核災害を起こした後の電力会社や政府の無責任ぶりに心がやられてしまうのかもしれない。
そして、周囲の無関心さがじわじわとボクシングのボディーブローのようにダメージを私に与える。
二月のはじめに一週間、日本に帰国した。免許証の更新など所用で帰国しなければならなくて一年以上ぶりの帰国だった。なんだかタイムスリップしてきたかのような気分でテレビから流れるNEWSや番組をぼんやり観てしまった。
原発から放射能が大量に飛び出し汚染が続いている現状など1ミリたりとも出ては来ない、東北復興の為か、東日本を中心に紹介するグルメ番組や旅情報、お笑いタレントが脳天気にしゃべりまくるバラエティー番組の連続。ニュース番組でもなぜかキャスターやコメンテーターに若いジャニーズのタレントやお笑いタレントが起用されていて、なんだかどうでもいいような差し障りの無いようなコメントをしゃべっている。
放射能も被曝も甲状腺癌も突然死もまるでなにもない世界が繰り広げられる。
帰国中に友人や知人に久しぶりに会った。大阪で昔一緒に働いたり和太鼓叩いたりしょっちゅう一緒にいた友人。私より年は上だけどずっと連絡もとりあってきた友人。久しぶりに会う為に行った居酒屋で、先に友人たちが来ていてすでに料理は注文されテーブルに並んでいた。テーブルの真ん中に舟盛りがドーン。他にも、いろんな種類のお魚が乗ったお寿司の盛り合わせがドーンとあり、目が点になってしまった。
「久しぶりの日本でしょ、日本食食べてないのじゃないの?食べて食べて・・。」という言葉に、多分私は顔がひきつっていたと思う。久しぶりの再会にうれしかったけどなんだかやっぱり気持ちがざわざわした。
他の場所でも会う友人や親族たち、或いは母親と話をすると私がなぜ台湾に行ったのかなぜ台湾に住んでいるのかを忘れてしまったのか、「いつ戻ってくるの?」「台湾で留学中なんでしょ?」「台湾には安全な食べ物あるの?農薬とかすごいんでしょ?日本は安全だから早く帰ってきたほうがいいよ」などなど 呆れてしまうような言葉を何度もかけられた。
原発事故から4年だ、まだ4年なのに、なにも解決していないのに、どうなってしまっているのだろう。
遠い外国の地で起きたことではない。自国で起きた大きな事故なのに、しかもまだ放射能は出続けているしなにも収束はしていないのにこの状況である。
私がおかしいのだろうか?なにか別の世界に間違って来てしまったのだろうか?という気持ちにさえなってくる。
唯一、神戸の鷹取でFMYYというコミュニティーラジオをやっている人と滞在中に会い、番組の収録に参加させてもらった。その中で一緒に番組にでていた方は阪神大震災の時もいろいろボランティアなどをされていた方だった。彼は「今まではその場所に行ってその場所で被災された人に会いその場所で考え支援などをしてきたが、福島はそれができない。放射能はその場所にいって考えるということができない。」と放送の中で語られ、まさにそうだと収録後も出演者の方とパーソナリティーの方としばらく話をしたが、今回帰国して初めて、共感して話ができる場所だった。
話の中で福島の高校生と神戸の高校生とで話をする機会があったそうだが、福島の高校生がとにかく同じように話す。その内容が「私達はガラスバッチをつけているし定期的に健康診断もしてもらえるし大丈夫だ。きちんと健康面も放射線量も測っているので安心だ。」と話すという。それを聞いて「いやいやガラスバッチつけて放射線量の管理されている事事態がおかしいのじゃないのか?」と神戸の高校生は思ったそうなのですが、みごとなくらい教育されているように感じた。と聞き、それは私の友人も福島に残っている人はそんな感じであったり特にまゆこの同級生は、同じような事をFBでも発信しているので、学生ほどすごく教育が行き届いているのではないかと思い背筋が寒くなった。
ここ1ヶ月ほど毎日のように4回目の3.11を迎えて、日本の人の多くはどうなのだろうか、と考える。
危機感はうすれ無関心の人がさらに増えたのだろうか?
避難する人は減ったのだろうか?避難や保養といったことを支援する団体は目に見えて減っているように感じる。復興に関するイベントやそれに協力する団体にはどんどん行政やいろんな関係のところからお金がでて復興支援マネーはぐるぐるまわっているように感じる。
私が以前所属していた全国規模のNPOも福島の飯舘村や他の自治体の行政とともにこどもの為にというイベントや遊び場の提供など積極的におこなっているが、放射能や被曝やこどもの健康などについては一言もださない。
こどもに関する支援をしているのなら、そこをスルーするのはおかしい、飯舘村の人が早く帰れるようになど脳天気な事をかいて発信している。汚染の現実やこどもに深刻な健康被害が出ているのについてはまるでなにもなく、目先のその時が楽しければいいといったイベントを繰り返している。
最近それが以前にましてひどくなってきているように感じる。私が以前所属していた団体に問い合わせたが、いつも同じような答えしかかえってこない。「その地に踏みとどまることを決して歓迎してはいないが、よそ者の立場上、直ちに故郷から去りなさいとも言えません。ただ、その地に子どもがいる以上、見て見ぬふりは出来ないのですよ!その場で生きている以上は。子供たちには何ら責任はありませんから」
という答えであった。やりとりをしている中で「現地にいって支援している自分からみればあなたは傍観者にすぎない」という答えも帰ってきた。現地に入ることだけが支援と考えるのなら、私は単なるブツブツ遠いところで文句を言っているおばさん。ということなのだろう。彼らの答えは一見そうだよねー と思われそうな返答かもしれないけれど私にはこの答えは納得行かない。こどものためと言うが、本当にこどもの為なのだろうか? そういいながらここに多くのギャランティが発生しており無償のボランティアではなく行政や主催者からお金をもらっている事実がある。
困難な中頑張って住んでいる人を励ましたい、こどもたちを楽しませたい。と言うが、がんばってはいけない場所でがんばれと励ます事の罪の重さを感じて欲しい。
肝心なところはよそ者だから言えない。と言う。それでも子どもたちのためにやっているのですよ。とアピールするのはすごく嫌悪感を持ってしまう。
嫌なことや残酷な現実は楽しいイベントで忘れましょう。というようなまやかしではないだろうか?
まるで、戦時中の慰問団とかわらないでは無いかとさえ思えてくる。
4年が経過すると汚染だけでなくこういったいろんなものが浮き出てくる。人間のいろんな部分が見え隠れしそういう事を目の当たりにした時にいいようのない疲労感や虚無感に襲われる。
日本に帰国中、福井の原発の再稼動の話をしても「仕方ないよね」「それで生活している人がいるし」「国が安全だといっているし」「私達が反対してもどうしようもないし」という言葉の数々。
他に放射能汚染食品の話をした時にも「仕方ないよね、気にしていたら食べるものなくなるし」「どうしようもないもの」という声を聞いた。あーこうやって仕方ないよねといい続けいつの間にか憲法も変えられ戦争の出来る国にされ気が付くと戦争になっているのではないかとぼんやり考えてなんとも言えない恐怖に襲われた帰国だった。
4年経過したが、この先まだまだ心配である。こどもたちの未来を思うと不安でたまらない。放射能汚染の恐怖はこれからが本番だと思っている。まだ序章である。舞台でいうとまだ幕が開いたばかりだと思っている。
ますますひどくなる状況に今後どう生きていけばよいのか未だにトンネルの中をふらふらと歩き続けているような気持ちからぬけ出せないでいる。(M)

コメント