日本人学校に何が起きているか

228日に息子が台中日本人学校の中学部を卒業した。台中の日本人学校は台北の学校とは違い小規模である。1学年20名いたら大人数なくらいで1学年1クラスで小学部から中学部まである。私の息子は中学入学から3年間この日本人学校で過ごした。

制服もなく日本の公立の学校にくらべれば規則ばかりで締め付けられる事もなく、点数や成績であからさまに競争させられ序列化されるわけではないので比較的のんびりした雰囲気でそれに比例してかこどもたちもおおらかな雰囲気でありある意味いい環境といえる学校だった。

しかし、ここ1年でがらりと雰囲気が変化した。教員は日本から派遣されてきた教員がほとんどで、数名が現地採用の教員、3年周期で帰国しまた新しい教員が来るというシステムである。

教員がかわると雰囲気が変わるというのもあるが、何よりも気になったのは授業の内容や行事の時の偏った感じが毎年ひどくなっているように感じられること。人の問題なのか、それとも全体的な文科省などの圧力のせいでの変化なのか、よくわからないのだけれどとにかくなんだか気持ちの悪さを感じることが度々あった。

 ひとつは社会科の授業。近代史のあたりで日本が戦争をはじめた理由についての説明が「インドネシアなどアジアの国々を白人から解放するために日本が戦争に突入した」という説明をされたとうちの息子は「おかしい」「おかしい」と帰宅後もその話をして納得行かない様子だった。他にも前後になんの関連があったのか「在日のタレントは日本にたくさんいます。有名なのは◯◯さん、他にも☓☓さんも在日で、・・・」となんの意味があるのか名前をあげて、それを生徒がまじめにノートに書き写していた、という授業。

また、違う教員は学習発表会に特攻隊の劇を取り入れ、特攻隊員が書いたという手紙を生徒に朗読させ突撃の前夜を劇にして発表していた。その取り扱い方はあまりにも特攻を美化したような印象をあたえるものであり、それに付け加え、台灣とからめ台灣の人達は沢山の人が自ら日本の為に兵隊に志願し日本人と一緒にお国の為に戦いました。というセリフが劇の中に出てきていた事もあり、なんだか見ていて目眩がしそうになった。

劇の最後は、現代のこどもたちが今は平和でよかったね、と言う終わり方だった。

うちの息子がリハーサルを舞台袖で見ていて驚いたという劇。「これがやりたかったんだ」と満足そうな教員に「どうせなら軍歌でも合唱したらどうですか?」とイヤミで言った息子に「そーなんだよー軍歌うたいたかったんだよー。やっぱりそう思うだろ」と言われて、さらに驚いたそう。

 時代がさかのぼっているのだろうか。

インターネットの世界ではネトウヨと言われる人がいろんな書き込みをしていたり、街中でヘイトスピーチが頻繁に行われるようになってきている日本。学校の中でもなにかが大きく変わり始めているのだろうか?

そんな風に感じながらあと少しで卒業という時に、今度は文集の文章をぎりぎりになって管理職の一声で修正されたり書き直しを命じられたり、クラスページを差し替えられたりする事件が起こった。

うちの息子も抗議したが、担任は教頭先生がそういうから仕方ない、という返事。受験で日本に帰国している生徒にも書き直ししてほしいとメールで送ってくるという、まるでこどもに対する配慮もない強引なやり方だった。すぐに電話で事情を聞いてきた保護者と私はメールで学校に問い合わせた。

メールでのやりとりが何度かあり、教頭が中学部の国語の教員と共に説明したいと自宅までやってきたが、終始言い訳だった。書き直しの理由について、生徒たちの文章について「くだらない」と言ったと他の教員たちが話しているのにも関わらず、そんなことは言っていないの一点張り。私の息子は「革命」という言葉を消された。なぜ革命がダメなのかを聞いた所、他の生徒に悪影響がある。という返事。どう悪影響があるのかまるでわからない主張だった。

くだらないとは言ってないが、自分は教師の立場でこどもたちの為にこの文集はいろんな人が読むのでその子が後々恥をかかないようにという事で、書き直しや修正を命じた。あくまでも教育的指導だと強調していたが、こどもが自分の書きたいテーマで書いた文章で恥をかくというのはどういう状況なのか私にはさっぱりわからない。

こどもたちの感性で書いたものを大人の小賢しい上辺だけを整えるような修正を加えるのが、こどもたちの為を思ってやっていることとは到底思えない。

いったい何を恐れてこういった事をするのか?まるで戦時中ですね、と話す私に「とんでもない、そのようなことはけっしてありません、統制する気などまったくないです」とあわてていたけれど、まさにそういうことなのだろう。

それから数日後、ネットで原発問題などを取材して発信しているおしどりマコさんが記者会見で話した内容の中にこういうものがあった。「小学校6年生の男の子が、卒業文集に『大きくなったら、一生懸命勉強して、国会議員になりたい』と書こうとしました。集団的自衛権の容認や武器輸出三原則が見直されたことに言及して、『大きくなったら、国会議員になって、平和な国を作りたい』という作文を書いたんですが、公立小学校の先生から『その作文は、政治的批判を含むので、卒業文集には載せられない。書き直せ』と言われました。日本の公立学校の卒業文集に「将来、総理大臣になって平和な世の中にしたい」という事を書いたものを「政治的だ」とかの理由で書き直しさせられた。」という内容だった。

日本の学校はどうなってきているのだろう。教員はどうなってきているのだろう。

教育は怖い。かの戦争に突き進んだ時代、学校の教育は大きくこどもたちに影響を与えた。

台灣にある日本人学校と言うことで、学校の教育目標には「国際的感覚を養い」とか「国際人として」などの文字が並ぶ、が、実際どのようなものが国際的感覚なのか?と思うような内容の事が目にもつく、その落差が危うさを映し出しているようにも感じている。

そんな悪い教員ばかりではない、そんな変な教員ばかりでない、いい教員もいるしちゃんと自分はやっているという人がいる。というのは勿論わかっている。そうではなく全体の大きな流れの事が問題でありじわじわとそれが広がっていっているのであれば、注意深く見ていかなければならないのではないかと思う。(多田直海)

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