こころの中の戦争を終わらせる―ことば展 at 象仔書屋



 三年前、ピースボートという船の中で、あるひとの話を聞きました。そのひとは言いました。「戦争を終わらせるにはひとりひとりのこころの中の戦争を終わらせることが大切だ」と。そして、子どもたちのこころの中が、今どの国でも、戦争状態になっていると言いました。そのひとは多くの国を回って学んできた、保育園の先生でした。

 貧困や、虐待。言葉の暴力。もっとも豊かであるはずの子どもの心が、争いや憎しみ、恨みや怒りで満ちている、そのことをどうにかしたい、ひとりひとりの小さな怒りや憎しみが大きな戦争へと繋がっていくに違いないから、というそのひとの、気が遠くなるような地道で真剣な思いは、わたしのこころに深く残りました。

 東日本大震災が起きた日、わたしは臨時の教師として仕事をしていました。様々な配慮を必要とする子どもたちのクラスで午後の授業をしていた時、大きな揺れが教室を襲いました。ひっきりなしに続く余震。子どもたちを守ることで頭がいっぱいだったわたしのところに、原発事故の情報が届きました。それからというもの、学校の仕事と情報収集であっという間に24時間が過ぎ、どこからどこまでが今日なのかもわからなくなっていったのを覚えています。

 臨時の教師としての任期が終わり、わたしは原発を止めたいという思いで、様々な集会やデモに参加するようになりました。原発は原爆と同じ、どちらも命を脅かす。それはわたしが両親から教わって、ずっと感じてきたことでした。教師をしながら詩を書く仕事をしていたわたしは、情報を集め本を読み、人に会って聞き話し、そして書くということを1年、2年と続けていきました。そしてそうするうちに、世の中はなぜこんなにも社会のことに無関心なのだろう、という疑問にぶつかりました。巨大地震が襲い、原発が次々と爆発し、食べ物にも水にも放射能の影響が出ているというのに、世の中はいたって平穏、何もなかったかのように電車が走り、コンビニエンスストアは今まで通り「平和」に営業されていました。

 一方で勤めていた学校では、子どもたちが荒れ、家庭で満たされないこころの隙間を他者を攻撃することで晴らしているといった現状にぶつかりました。そして思いました。満たされないこころが、自分や自分以外の誰かや、社会のことをかんがえたり思いやったりするゆとりを奪っている、と。子どもたちだけでなく、大人たちが、人を攻撃することに日々の喜びを見出している状況を目の当たりにして、自分に何ができるのか、できることなどあるのだろうかと思うようになりました。

 家族との暮らしを守りながら、詩を書き、求められれば臨時の教師の仕事をし、社会に向けてささやかな活動を続ける、そのことについては何の疑問もありませんでしたが、こころの中に虚しい風が吹いて来るのを感じていました。そして、震災以降走り続けてきた体を休め、吹き始めたその風と向き合うために日本を離れてみよう、一切の活動を中断して、外の世界に出てみようと思ったのが、ピースボートという船に乗るきっかけでした。

 ご存知のかたも多いとは思いますが、この船はアジアの歴史問題をきっかけとして、アジアや世界で起きている紛争について現地の人たちから聞き、学び、交流するという旅を企画しているNGOの船です。「こころの中の戦争を終わらせる」という冒頭で紹介したこの言葉の他にも、わたしは多くのことをこの船で学びました。その一つが、GPPAC (ジーパック: Global Partnership for the Prevention of Armed Conflict)というNGOネットワーク「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ」という活動でした。

 わたしはこのプログラムのメンバーではありませんが、北東アジアやスリランカ、北アイルランドの問題など、様々な地域で起きている人と人との分断や対立がどこから生まれるのか、それを解決するためにはどうしたらいいのかということを考えているGPPACの活動を通して、世界各地で「対話」という努力を続けている方たちと交流することができ、そのことはわたしにとって大きな希望となりました。

 思えば教師として子どもたちと過ごすときも、詩人として詩を書くときも、わたしが大切にしたいと思ってきたのはいつも「対話」でした。ことばを使って物を見、知り、考え、整理し、ふり返り、投げかけ、伝える。社会の問題と自分自身の生きてきた道の交わる点が見つかったとき、「自分にできること」の形が少しだけ見えた気がしました。そしてそれは決して一足飛びには実現できないものであることも、一つの覚悟として生まれたような気がします。

 船を降りて3年、福島の核災難民であり、古い友人でもある上前昌子さんを通じてEaphetの皆さんに出逢うことが出来、わたしが長年日本で続けてきた「ことば展」と、今回が初めての試みとなった「詩のワークショップ」を象仔書屋さんでやらせていただくことになったのは、とても有難く、そして自然な流れだったように思います。

 今回わたしは詩のワークショップで、「詩は人をひとりぼっちにしない、とても良いもの」とお話ししました。詩を書くと、人はひとりぼっちではなくなる。なぜなら詩を書けば、その詩を読む人が現れるから。もし読んでくれる人が現れなくても、書いた自分のそばにはかならず読む自分がいる。読んだ人が書いた人の、読んだ自分が書いた自分の気持ちを知り、そうだったのか、そういう気持ちだったのかと受け止め、理解し、分かち合い、許す、そんなことができるのが詩だとお話ししました。

 こころの中の戦争を終わらせるために、わたしができることは何か。それはわたしが大事におもっている「ことば」を使って、まずは自分自身と、そして様々な場所で出会わせてもらったひとたちと、あたたかで穏やかなつながりを作る努力をしていくこと。そうおもったとき、こころに吹いていた虚しい風が、少し弱まった気がします。

 ことばは不思議です。使い方によって、「垣根」にもなり、「橋」にもなる。世界の紛争はどんどん複雑になり、その解決はボタンを押せばドアが開く自動ドアのようにはいかないけれど、わたしは小さな橋を、自分の中にも、そして自分以外の人との間にも、かけていけたらなとおもっています。

 最後になりましたが、今回台湾で、初めての海外「ことば展」を開くにあたり、お世話になったすべてのみなさんに、こころより御礼を申しあげます。ことば展と詩のワークショップという試みを通じて、みなさんのあたたかさとやさしさ、そして明るさに、たくさんの元気をいただきました。また、中文のできないわたしのために、Eaphetのメンバーのみなさんが丁寧な通訳で助けてくださったこと、そのおかげでみなさんの思いや詩に触れられたこと。すべて忘れられない体験となりました。

 またいつか、どこかで、みなさんにお会いできること、そしてみなさんの健康をこころから願っています。本当にありがとうございましました。(山田未来穂 やまだ・みきほ






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