韓国ツアー参加記



1.参加決定
いつもは日本の実家に帰っているこの時期、今年はひょんなことから、時間を開けることができた。前から、協会のツアーに参加してみたいなと思っていたこと、愛聴しているラジオ番組がきっかけで今回のツアーテーマである従軍慰安婦の本を読んでいたこと、行かないか?とお誘いを受けたこと、などなどが重なり、これは、今行くしかないと思っての参加になった。
 協会のツアーに参加するのも、韓国へ行くのも初めて。強行軍というイメージのある協会のツアーに対する体力的な不安、日本と台湾以外の地に行くのはもう何年ぶりかましてや韓国語わからないしという不安。まあ、でも大ベテラン(阿川とJOY)がいっしょだから、という安心感があった。

2.行く前に…
 12月の日韓合意についてもう一度確認しておこうと調べてみた。日本のニュースなどでは、10億円を拠出して韓国政府が慰安婦に関する財団を作ることと「この問題が最終的かつ不可逆的に解決される」という言葉を何度も耳にした記憶がある。改めて政府発表を見てみると「慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」と「おわび」の言葉が入っていた。朝日新聞の吉田証言の訂正問題以降、慰安婦問題自体がなかったこととして扱われているように感じていたので、意外な気がしてしまった。また、「おわび」があえて過小に報道されていたのでは?とも思えた。
 いったい日本政府として慰安婦問題をどう捉えているのか、何か書いてあるものがないかと思って調べると、外務省のサイトの中で「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」というページを見つけた。慰安婦問題をどう捉えているかはこれを読んでもわからないが、驚いたのが、これまでの施策が全てアジア女性基金に関わることであることだった。その外務省のサイトにも書いてあるが、アジア女性基金は2007年に解散している。ページの日付は平成2610月とあるので2014年のもの。これは、アジア女性基金解散後は何もしていないと言っているようなものだ。本当にそうなのか?読み間違いではないかと何度も読み返したが、それ以外には読めない。何なのだろうと??で頭がいっぱいになった。

3. 41日(金)一日目
松山空港から金浦空港を経て、地下鉄に乗り、宿泊ホテルにチェックイン。その後、19時過ぎに集合して出かけることになった。タクシーで西大門刑務所に向かった。韓国は初めての私。金浦空港からホテルまでの間も、久しぶりの「わからない文字だらけ」感、全く知らないところに来た!という高揚感が満載。タクシーの中から外を見ると、大きい門やら歴史的建造物のようなものが見えた。ここは王朝があったんだよなあ、と感じると同時に、そう言えば私は朝鮮の歴史について何も知らない…と思った。それまでは朝鮮の歴史については知りたいとも何も思ったことはなかったことに気づいた。
西大門刑務所に到着。既に遅い時間なので、もちろん中には入れない。阿川の解説を聞きながら、周囲を参観。日本の植民地支配に抵抗した、抗日の英雄とされている人たちの写真と解説が外の柵のところにあって見えるようになっている。傾斜のある地形で山側に高い壁があった。夜だったので、なんとなく暗く、高い壁が外界とを遮断するようにそびえ立って見えた。阿川によると、慰安婦関係の博物館をそこに建てる計画もあったが反対もあってやめてしまったそうだ。英雄と慰安婦は同じ所には並べられない…ということなのらしい。
 遅い夕食を取った後、歩いてホテルまで向かう。テレビで見たことがあるショッピングセンターを目にして、ああここか…と思ったら、営業時間が朝4時までと書いてあってびっくり。夜遅いのにまだまだ賑やかだった。その後清渓川沿いを歩く。綺麗に整備されていて、私はほとんど韓国ドラマを見たことがないけれど、おそらく、よく使われているんじゃないかと思うような、“おしゃれ”な雰囲気。阿川によると、このせいで水害が発生しているという。歩いている途中で「平和市場」が見えた。衣類関係の店が集中しているとかで、そう言えば、以前「ガイアの夜明け」に出てきたのを思い出した。(アウトレットショップに出す製品をここで生産してもらっているとか。)

4. 42日(土)二日目
「慰安婦」歴史館訪問とイ・ヨンスさんにお会いするために、テグへ向かう。行きの電車の中で、無賃乗車の嫌疑をかけられるというハプニングがあったが、無事に到着し、村山一兵さんと合流。歴史館に訪問するのは午後の予定なので、まずは、テグ近代歴史館へ行く。ソウルはいかにも大都市という感じだったが、テグはこじんまりとした落ち着いた街。
テグ近代歴史館は、元は日本の植民地時代の朝鮮殖産銀行の建物で、大雑把に言ってしまえば、台灣にある旧日本○○銀行のような石造り(に見える)の建物。今でこそそんなに大きいという感じはしないが、当時はかなりどーんと目立つ建物だったのではないかと感じた。
 昼食後、日本軍「慰安婦」歴史館へ行く。最近建てられたもので、木造の落ち着いた感じのところだった。まず、ハルモニのイ・ヨンスさんにお話を伺うことになった。
 イ・ヨンスさんは、新竹の特攻隊の慰安所に連行されたそうだ。新竹の特攻隊と言えば、元は特攻隊で出撃する兵士が最後の日を過ごした建物が、今は観光スポットになっている、というのを先学期聞いたばかりで、そのことを思い出した。話の中で、イ・ヨンスさんが歌を歌い始め、突然「書き写して!」と言われたので、慌ててペンとノートを取り書き写した。

「かんころ りりくよ たいわん はなれ きんぽきんぽの くものりこえて だれだって みおくる ひとさえなけりゃ ないてくれるわ としこはひとりよ かんころりりくよ しんちくはなれ ?? みおくるひとさえなけりゃ このこがひとりよ」

 新竹で出会った兵士から教わった歌らしい。イ・ヨンスさんは、この兵士のその後が知りたくて新竹を訪問したこともあった。この兵士はわからなかったが、その知り合いの人には会うことができたということだった。また新竹を訪問したい、とも語っていた。
連行されたときのこと、ひどい暴行を受けて今でも後遺症で痛むところがあること、最近行ったアメリカのこと、等、色々なお話を伺った。アメリカ訪問の時の写真も見せていただいた。ローマ法王に会って、その時にもらったロザリオを見せていただいた。ロザリオの話をした時のイ・ヨンスさんは本当に嬉しそうに語っていた。
12月の日韓合意について伺うと、「日韓合意は受け入れられない」ときっぱり話していた。「日本政府には謝罪をしてほしい」というイ・ヨンスさんの言葉を聞きながら、日本政府と話をしたとしても、おそらく話が噛み合わないだろうなと感じて、重い気持ちになった。
お話を伺った後で歴史館の展示を見た。1階が慰安婦問題の全体的な解説、2階がハルモニたちの紹介や今までの慰安婦関連の活動等が展示されている。2階は広めのテラスがあって、ちょっとした公演ができるようなスペースになっている。1階から2階へあがる階段の壁には、ハルモニが作ったという押し花の作品が飾られていた。
 夕方、慰安婦を題材にした映画「鬼郷」を見に行った。イ・ヨンスさんがちょうど、その映画の前に話をするというので、いっしょに行かせていただくことになったのだ。映画の前に、イ・ヨンスさんのお話、歌や踊りのパフォーマンスがあった後、映画が始まった。この映画、ネットでは「残虐な…」というような感想も見られるのだが、私が受けた印象は、主役の女の子二人も今時の可愛い感じで、映像的にも色遣いが美しく、全体としてとてもきれいにまとめた映画に見えた。ラストシーンで殺されてしまった慰安婦の少女が自分の家へ帰って家族と再会する、というのも、家に帰りたいという願いが叶えられなかった少女の思いを映画の中で叶えた、と感じられた。阿川が「ハルモニたちはこの映画をどう見たんだろう」と言っていたが、内容についてあれこれ言うよりも、映画になり、多くの人に知られる、忘れられないことのほうが重要だと思うのではないか、と私は思った。

5. 43日(日)三日目
雨が降る中、まずは、日本大使館前の慰安婦像を見に行った。阿川が何度も行っているという記憶を頼りに歩いていたのだが、なかなかたどりつけない。私は一応地図を持っていたのだが、地図に書かれている場所と阿川が言う方向となんか違う。やっと慰安婦像を見つけ、疑問が解けた。日本大使館は移転していたので、地図に書いてあるのは別のところだったのだ。
12月の日韓合意で「大使館前の慰安婦像撤去」の話があったが、「大使館がなくなったら、大使館前じゃなくなるから撤去しなくていいの???」「慰安婦像を移動するんじゃなくて、大使館を移動すればいいんだ!」などとふざけたことを考えもしたが、調べてみると、大使館を移転したのは、元の大使館を建て直すためで一時的な移転のようだった。工事が長期にわたるためか、臨時移転だとソウル日本大使館のサイトにはっきり書かれているわけではなかったが、以前のニュース記事などを見るとどうもそうらしかった。
大使館があった場所は、今は工事のための仮囲いがあり、その壁に色々なメッセージが貼られていた。慰安婦像、大騒ぎしていたのと、ソウル初日に巨大な世宗大王像を見ていたからかも知れないが、思ったより小さいと感じた。少女の像の前には花が飾られていた。像の隣には、こたつのようなものがあって、支援者たちなのだと思うが数人の若者がこたつを囲んでいた。透明のビニールテントのようなもので覆われていた。
慰安婦像に着く前に、何かの会社のビルがあって、その前にも抗議の掲示のようなものがあった。よくわからなかったが、おそらく会社の待遇改善を訴えるものなのだと思った。
 長距離バスで「ナヌムの家」に向かった。都会から郊外へとバスは進んでいった。バスを降り、昼食を取った後、タクシーでナヌムの家に行く。バスが通っていた大通りから離れ、狭い道に入って行く。家が点在し、建設中の住宅もいくつか見える場所を通り、到着。高齢の人が暮らすには交通が不便で外出が大変だろうなと思った。
 事務室に行ったが、今日はハルモニたちはみなさん外出中とのこと。まずは、別の建物の部屋でDVDを見た。ハルモニたちの証言やナヌムの家の活動などの内容で、日本語解説だった。DVDを見た後、歴史館を見学した。昨日のテグの歴史館とは違い、かなり広い。地下には慰安所の模型もあり、昨日見た「鬼郷」に出てきた慰安所とそっくりだった。というより、映画がこのナヌムの家の模型を元に作ったのだろう。
建物の前の広場には、苦しそうな表情をしているハルモニたちの胸像があった。阿川のビデオで何度も見ていたナヌムの家だったが、ハルモニたちがいない、雨まじりの天気の下で初めて自分の目で見た様子は、何か寂しさが漂っていた。

6.帰路
ほんの短い韓国滞在だった。滞在中、ホテルの近くの地下鉄の駅で選挙運動を何度か見かけた。数人の人が候補者の写真を持って立っているというだけで、最初に見たときは、あ、選挙なんだ、と思ったが、その後街の中でも選挙前という雰囲気はそんなに感じられなかった。台灣の選挙ののぼりがずらーっと並ぶ風景と比べるととても静かなものだった。
台灣のコンビニと同じぐらい、歩けばすぐあるコーヒー屋。それよりは少ないけれど、街のあちこちにあるコスメショップ。地下鉄に乗っている人を見るとなんとなくわかる、今のメイクと髪型と服の流行。慰安婦以外で感じた韓国(ソウル)の風景だ。
スーパーで買った塩をスーツケースに入れていたら空港の荷物検査にひっかかり、奥の部屋でスーツケースを開けて調べられるという最後のおまけがついて、ソウルを後にした。(武藤泰子)





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