カンジョン村、2017年7月



済州島国際空港 photo by Muto
 75日(火)、ソウルから空路済州島に向かった。私にとっての済州島は、阿川のビデオで何度か見た海軍基地建設反対運動。阿川のビデオと渋谷の映画館で見た四・三事件。テレビの観光CMで見る済州島。そんな感じだ。飛行機の中で阿川からの済州島ミニレクチャー。済州島は元々島送りの島だった。半島のことを「陸地」と言って区別する。海軍基地ができたあと運動が沈静化したけれど、島の西側の空軍の既存の施設を拡張して何かに使う計画があり、それに反対する人がいる…という話を聞いていた。
 南国っぽい済州島の空港からバスでカンジョン村へ。途中、ホテル群を各駅停車で停まりながら行く。ホテルは見た目どれも新しくいかにもリゾートだなあという感じ。空港の南国っぽいは、それっぽい木があったからなのだが、阿川曰く「リゾートっぽく見せるために持って来て植えた」らしい。ホテルの間には、アフリカ博物館やテディベア博物館など、謎な博物館もある。
 カンジョン村の停留所でバスを降りる。そこはリゾート地ではなく、普通に生活している普通の村に見える。建物は全体的に低く、家は1階建て。家の周りは石垣で囲まれているところが多い。
 停留所から阿川の解説とともにピースセンターまで歩き、迎えを待つ。
ピースセンター Photo by 阿川
 石垣ではなく、白地にところどころ絵が描かれた壁に囲まれたピースセンターは、立て看板があったり垂れ幕があったり周囲とはちょっと違う雰囲気を醸し出している。そんなに広くはないが、中ではそれまでの闘争やその場所のかつての風景などを撮った写真も見ることができる。ただ、今、それを見せるために展示しているというよりも、以前展示していたものをそのまま出して置いてある感じだ。(阿川がその日の夜、「ピースセンターが寂れた感じ」と言っていたのもその捨て置かれた感じからかもしれない。)
ピースセンター Photo by 阿川
 しばらくしてソンヒさんが来て、カンジョンでの宿に案内してくれた。伝統的な済州の建物で、ミリャンさんのお家「ミリャン'sゲストハウス」。人なつっこい猫のお出迎えを受けた。
ミリャンの猫ハウス Photo by 阿川
 小洒落たゲストハウスでしばし休憩し、ソンヒさん、エミリー親子と落ち合い夕食へ。(落ち合った場所はきれいな建物でそこにも「Peace Center」と書かれており、??と思ったがこの疑問は次の日に解ける。)
トルハルバンとカン・ミキョンさん Photo by 阿川
 車で10分ほどして、夕食のレストラン。カン・ミキョンさんと会う。阿川のビデオで何度も見ているので私は知った顔に感じるが初対面。自己紹介で名前を言ったら「名前の意味は?」と聞かれ、え!?意味ですか!?とどぎまぎしていると、ミキョンさんは自分の名前を説明してくれた。カン・ミキョンの、カンは平和、ミは美しい、キョンはハッピー。レストランのあるところは賑やかな通りで、ミキョンさんは「ここで私は生まれた」と嬉しそうに語っていた。夕食後、ミキョンさんの案内で滝を見に行く。
 後で調べたらガイドブックにも載っていた「天地淵瀑布」。済州島の三大滝の一つ。観光スポットになっていて済州島住民は無料だがその他は入場料が必要ということで、阿川と私の分の入場券を買って中に入る。
 中は木々に囲まれ涼しく感じる。空港での「リゾートっぽく見せるために持ってきて植えた木」発言を思い出し、ここの木は元からあったのかそれとも持ってきたものなのかどっちかなあなどと思う。途中石の像があり、エミリーの説明によれば民俗信仰の神様。後でガイドブックで見ると「トルハルバン」という名前の道祖神。大きい目は自分の内面を見るため、体の前に置かれている手は、一つは自分の体を安定させるため、もう一つは自分の心を安定させるため、だそうだ。鼻に触るといいことがあるとかで、みんなに鼻を触られ、ちょっと鼻がつぶれ気味。お土産屋さんでは溶岩石で作られたこの神様のレプリカも売られていた。済州では神様と溶岩石が大事にされていると阿川。無事に滝を見てこの日は終了。猫ハウスに戻る。



新たなラウンドアバウト(圓環) Photo by 阿川
 次の6日(水)の朝、7時から100の祈りが始まると前日に聞いていたが、その時間はまだベッドでまどろんでいた。毎日、7時から100の祈り、11時からミサ、12時から人間の鎖が定例の抗議活動として行われている。場所は、海軍基地ができて新しく作られたラウンドアバウト近く。ラウンドアバウトからの道の一つは海軍基地の正面玄関に向かっている。10時半ごろ猫ハウスを出発し11時のミサから参加した。ラウンドアバウト近くになると、垂れ幕やテント等が見える。
ムン神父 Photo by 阿川
 かつて警察隊と向かいあって衝突があった場所は、内部に基地の新しい建物ができている。道からよく見えるきれいな建物群は宿舎で、満室ではないがところどころ人が住んでいる様子が見て取れる。ミサが行われるテントはこの宿舎が見える道の反対側にある。テントの中の奥に以前の海岸の風景写真があった。グロンビと言われる溶岩石が広がっている。今は、ここら辺の道からは建物があって海は見えない。ラウンドアバウトから基地正面玄関を見ても、その奥には桟橋が見えるだけで海は見えない。海からは距離があるからか海風というか海の香りもしない。以前の風景とどれだけ違うのだろうか…などと思った。
基地の宿舎 Photo by 阿川
 ミサはムン・ジョンヒ神父の高らかな歌から始まった。参加者は10人ぐらいだろうか。ミサの内容は、神父の説教、賛美歌、何かの朗読など。ミサの心得もなく言葉もわからないのでみなさんが頭を下げているところは失礼がないように姿勢を揃えるぐらいしかできない。1時間弱でミサが終わり、次の人間の鎖に向けてラウンドアバウトまで移動。


基地正面ゲート前で人間の鎖活動Photo by 阿川
 人間の鎖は、鎖というより旗を持ってみんなで歩く感じ。ラウンドアバウトから基地の正面玄関までゆっくり歩き、正面玄関で歌に合わせて踊りながら歩き、またラウンドアバウトまで戻る。ラウンドアバウトで歌に合わせてダンスをする。参加する人はミサのときより増えた。12時からだから昼休みで参加しやすいのかなと思った。阿川は「ミサは、カトリックじゃない人は出ちゃいけないと思っているかも」と言っていた。


 行進、ダンスが終わって、サムゴリ食堂で食事。サムゴリは三叉路という意味らしい。以前の闘争拠点でグロンビに行く道のところにあり、窓から基地が見える。人間の鎖に参加した人がみんなここで食事している。THAAD現場のソンジュでもごはんを食べたけれど、ここでもごはんがあるんだ、やはり食事は大事だなあなどと思う。
 食事の後、エミリーが車で海岸近くを案内してくれるという。
サムゴリ食堂 Photo by 阿川
 最初は、基地の宗教施設が並んでいるところ。もちろん外から眺めただけだが、カトリック、プロテスタント、仏教の立派な建物が建っている。人間の鎖で基地の正面ゲートまで歩いた時も思ったのだが、基地は、大きい建物があっちにもこっちにもある。以前ナオミ・クライン著「ショック・ドクトリン」で海外の米軍基地建設を請け負ったハリバートン社の「ミニ・ハリバートン・シティ」について読んだことを思い出した。

【南韓でこれにあたるのは平澤のハンフリー基地だろう。http://english.khan.co.kr/khan_art_view.html?artid=201707121844527&code=710100#csidx6e76a1ca062d77caa5b82e0e2c9c08e】基地内にファストフードの店舗、スーパー、映画館などがある、というものだったが、この海軍基地も少し似ているところがあるのかなと思った。これを書いている今ふと、米軍基地の場合は海外だったが、なぜ韓国内の海軍基地なのに別途宗教施設を基地内に作らなければならないのか??と思う。

埠頭 Photo by 阿川
 次は港。「ここはあまりにも変わりすぎてしまって嫌な気持ちになるので普段は近づかない」とエミリー。海軍基地が建てられたところは元々海女さんたちが仕事をしていた漁場で海軍基地ができてから海女さんたちはここで仕事ができなくなったので別の場所に移った。基地の港は民間利用もする計画があるため、将来大型クルーズ船で観光客が来た際、大型の観光バスが通れるように港の近くは道の拡張工事が進められている。今建っている建物も立ち退きや縮小を求められている。港にカナダの軍隊が休憩のために立ち寄ったことがあるが、ゴミを撒き散らして帰っていって迷惑した。
 車で海沿いを少し進むと写真で見たグロンビ(溶岩石)が見えた。海女さんの姿もある。海女さんの漁場はこちらに移ったらしい。グロンビは済州島の中心にあるハルラ山が噴火した時の溶岩が冷えて固まってできたもので、通常は急速に冷えて固まるので岩の表面はゴツゴツしている。でも基地建設で爆破されてしまったところの岩はゆっくり冷やされたもので、非常に貴重で大事にされていた。ゆっくり冷やされると表面がなめらかになって素足でも歩ける。
コンテナハウス Photo by 阿川
 海沿いから離れて畑の間の狭い道を抜けていく。両側にはみかん畑が広がる。みかんは済州の特産物できのうの夕食のレストランでも食べた。東京の実家で冬によく食べていたこぶりのみかん。こんな暑い夏の盛りにみかんなんて!とびっくりした。それはさておき、周りのみかん畑は温室も多い。温室は水をたくさん必要とするが、済州は水が豊富だからできること。また、ある程度経済的に余裕がないと温室栽培はできない。ここら辺で温室が多いということはそこそこお金に余裕がある農家が多いということだ、などとエミリーが説明してくれる。さらに進んで行ってコンテナーが並んでいる一角。これらのコンテナーは抗議活動で人が多く来ていた時に外から来た人の宿泊場所を確保するために用意されたもの。今も、人が住んで利用されている。手前の建物は中古品交換の場所で中にはたくさん古着があった。使えるけど不要になったものはここに置くことができ、あるものは何でも一つ1000ウォンで買うことができる。
 前日にエミリーと落ち合ったピースセンターに着いた。新しくきれいな建物だ。名前は「サンフランシスコ・ピース・センター」という。午前のミサで会ったムン神父やその他の人たちが朴正煕時代に逮捕されたり拘禁されたりして不当に抑圧されたことを憲法裁判所に訴え、その訴えが認められ賠償金が支払われた。その賠償金と教会への寄付金で建てられた。昨日最初に見たピースセンターは、土地を無償で借りていたがそれが今後できなくなるので、今のピースセンターの代わりに使えるようにということもあるらしい。
母子像 Photo by 阿川
増改築中の小学校 Photo by 阿川
 ピースセンターはとてもきれいで設備も充実していた。1階の入り口横には母子像がある(右写真)。阿川の説明では、ベトナム戦争の時に韓国軍に暴行を受けた女性、その結果生まれた子どもの象徴の「母子」だそうだ。(後で調べたところ、この母子像は「ベトナムピエタ」と言い、ベトナム戦争時の韓国軍の責任を問い「韓国軍による民間人虐殺犠牲者の母親と無念の死を遂げた名もない赤ちゃんたちの魂を慰めるため」のもので、慰安婦の少女像と同じ人が作ったもの。)その横には、ベトナム戦争の反対に関わった人の碑。1階の外部分はまだ企画途中だそうだ。2階の廊下ではかつて行った写真展の写真が飾られたままになっていて見ることができた。宿泊用の部屋は次の日から日本の劇団の人が泊まりに来る。ムン神父が木彫りの碑を作るための作業室。そう言えば、前のピースセンターでもミサがあったテントでもハングル文字が彫られた木版をいくつも見かけたのだがそれらはムン神父が彫ったものだそうだ。みんなの記憶に留めておいてほしい大事なところにひとつひとつ彫った木板を置いていく。太平洋戦争時の日本軍に作られた地下壕を調べた地図もあった。太平洋戦争末期、結局沖縄にアメリカが上陸したが、日本軍は済州島、台湾、沖縄の三カ所で最終決戦に向けて準備をしていたので、済州島にも地下壕がたくさん作られた。そうか、そうだろうな、でも今まで知らなかった…と反省する。ピースセンターは5階建てで低い建物が多い周囲からは一際背が高く、屋上まで行くと周囲が見渡せる。基地ができた後小学校に海軍関係の子どもが増え、軍側の要求で小学校の施設をもっといいものにするべく今改築中だそうだ(左上写真)。屋上から見たその小学校は、建物が全て取り壊されてしまっているように見える。授業は仮校舎で行っているという。施設がよくなればそれは他の子どもも使えるしいいことなんだろうけど、なんだかなあと思ってしまった。

 屋上で聞いたエミリーの言葉。基地が建設されてしまって、人には「もう(闘争は)終わったんじゃないの?」と言われる。でも今、まだいろいろ変わっている途中。私たちの闘争は単純に今回の海軍基地の問題だけでなく、太平洋戦争、四・三事件、ベトナム戦争を含め、この島との関わりを考えている。だからこのピースセンターも海軍基地のことだけでなく、他の戦争のことも展示してある。
美術館 Photo by 阿川
 エミリーといっしょに行った最後の場所は美術館。誰かの家?の2階にある。広い部屋の中心にあるテーブルでは館長さんと村の人が談笑中。周囲には写真や絵が展示されている。真っ赤な花の絵を見ながら、「これは済州島の花」とエミリーが説明してくれる。真っ赤な花は山茶花で、山茶花は花が開いたその一番美しい時に花がぽろっと落ちてしまうところから、四・三事件の悲惨さを連想させ済州島の花になった。花の色が赤く血を連想されることも理由の一つ。
 エミリーと別れ、近くのCoffee& Booksカフェでおいしいコーヒーをいただく。コーヒー屋のマスターはお昼にサムゴリ食堂で会った人だった。その後カンジョン村を少し離れ近くのゴクン山へと向かった。天気が良ければ遠くを広く見渡せるというが、雨模様のその日は残念ながら霧で何も見えなかった。
 「(闘争は)まだ終わっていない」「不断的改変(変わり続けている)」…。エミリーの言葉がずっと残る。港でも新しいピースセンターでも、基地ができて村が変わっていくことへの受け入れられない気持ちが感じられた。でもエミリーのそれは、「昔はよかった」的な、単に以前と変わらないでいてほしいということとは違うとも思えた。まだ工事が続いている港、港の周りの道路拡張工事、港の先の海軍客が増えたコーヒー屋、改築中の小学校、ピースセンターに無償で土地を提供していてくれていた大家さんが、別に持っていた土地があり、それを最近売った相手は海軍らしい…。エミリーが語った変化を頭の中で繰り返しながら、私もいらぬ想像をしてしまう。最後に行った美術館はとてもきれいだったのだけれどなぜあるのかちょっとわからなくて、基地建設に伴う補助金か何かで建てられたのかなあ、ピースセンターの土地が借りられなくなったのも何かあるのかなあ、みかんの温室も阿川は以前より増えたかもと言っていたけどそこも何かあるのかなあ…。
 変わることが何でも悪いわけではないのだけれど、補助金をもらったとしても悪いわけではないのだけれど、基地は建てられてしまってそれを受け入れざるを得ない部分はあるのだろうけど、何だろう…。何か徐々に侵食されて気がついたらまるっきり変わっていた…そんなことへの不安だろうか。
 3年ぶりに、基地が完成してからは初めてカンジョンに来た阿川の言ったこと。「(以前と同じような抗議活動ではなく)平和な戦略が求められる。それは戦争の戦略よりも難しい。敵もはっきりしないから。」敵がはっきりしないこと、それが不安の最大の原因かもしれない。でもそうか、敵はいるんだ。(武藤泰子

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