平和の島連帯、平和キャンプ史 -カンジョン村とEaphet



 平和の島連帯「平和キャンプ」、今年は石垣島で816日から20日の日程で行われる。平和の島連帯のピースキャンプとして第四回目となる。Eaphetは、第一回から参加してきた。ここでその歴史を簡単に紹介し、その意味を再考する。

2012年2月済州島で。カン・ミキョン氏(左)村山一兵氏(右)
 雪の済州島国際空港に初めて降り立ったのは2012年の2のはじめだった。「東アジアとアメリカ合衆国Act.4-ソウル・平澤・済州」と題して行ったスタディ・ツアーの最後の行程に済州島とそこでの海軍基地建設問題を組み込んだのだ。ちょうどこの半年前に、強制代執行が行われ、建設予定地は反対派が排除されフェンスで囲まれたところだった。

 村山一兵さんが、川崎の在日の知人のツテで、カンジョン村で女性のためのシェルターを運営するカン・ミキョン(姜美慶さんを紹介してくれた。空港に、そのミキョンさんが貸切のマイクロバスで迎えに来てくれていた。ミキョンさんとの最初の出会いだった。ミキョンさんは、カンジョン村を、済州島を、基地の村とか基地の島と考えてほしくないと考えていたのだと思う。特産の品、美しい風景、島の歴史、などを私たちに少しでも理解させようと、マイクロバスで案内してくれた。「私たちは済州島に流刑になった反逆者の子孫で、陸地(朝鮮半島)とは違う文化を持ってる」とミキョンさん。その彼女も、抗争現場に出れば「海上担当」で、泳いで、またカヤックで工事のフェンスを越えていく。

 住民は工事現場となる海岸からシャットアウトされた。フェンスの入り口から人力、材料、道具が運び込まれたら、海軍の意のままに工事は進む。カンジョン村反対派住民の唯一できることは海軍が何か搬入しようとする時に、フェンスの入り口で何とか入るのを手間取らせることだ。搬入の動きがある度に、村中にサイレンを鳴り渡らせ、参加指示の放送をする。それを聞いたら、参加者は、即座に手元の仕事を放り出し、工事現場に向う。そのサイレンは毎日のように鳴っていた。
 このとき私たちが知り合ったのはカン・ミキョンさんだけではなかった。台湾出身のEmilyさんとも初めて会った。彼女はThe Frontiersというキリスト教系の団体から最初は東ティモールに派遣されていたが、その後、南韓に移って済州島に来ている。同じ団体のソン・ガンポさん(通称ブラザー・ソン)たちとも、ここで知り合った。
展示準備
 20127月、Eaphet展示「カンジョン村の闘い:四三事件を繰り返すな」を行った。展示にあわせて朝鮮半島の戦後史を概観しつつ、そこに済州島の海軍基地問題を織り込んだ記録片(映像)も作成し、展示の際に放映、討論会を開いた。展示は東海大学、台中市の忠信市場で行った。

展示「カンジョン村の闘い:四三事件を繰り返すな」
2013、そのブラザー・ソンとEmilyほか二人の人たちがカンジョンから台湾にやってきた。Eaphet38に小さな会を開いて話を聞いた。この会について村上生沙さんが書いてくれた報告(交流会報告「南コリア済州島海軍基地と沖縄・台湾」Eaphet Newsletter No.14 日文掲載)には『「島の連帯」、小さな島同士の連繋を今後図っていきたいというソン・ カンホさんの話がありました。』と記されている。これが後の《平和の島連帯》という組織というか緩いネットワークに、そして台湾ピースキャンプに繋がって行く。

3月8日カンジョン村交流会@Eaphet
この後すぐに、2013年の43から8日まで、Eaphet南韓ツアー『平澤・大楸里・ナヌムの家・戦争と女性博物館・済州島』を行った。この旅の最後のところで再びカンジョン村を訪問したわけだが、この時点で海軍基地の工事は22%が終わったといわれていた。が、度重なる台風で工事は難航しているとも言われ、このままなら自然が基地を許さないだろうという楽観的な意見も聞かれた。

2013年の様子
 翌201472日から8日まで南韓ツアーを実施し、密陽、新古里原発を回り、済州島カンジョン村に入った。(Eaphet Newsletter No.19 日文に記事あります。)この時点で基地建設は60%予算消化と聞いた。村では、「村全体をオープン図書館にする」計画が少し進んでいて、あちこちに冷蔵庫を改造した図書置き場が設置されたりしていた。すでに補助金が大量にばらまかれているらしくビニールハウスを増設する島民、土地と家を売って引っ越した人、なども出ていたようだ。

2014年のツアーで
8月、カンジョン村で「平和の海、平和キャンプ」―前年にブラザー・ソンが台中で提案していたもの―の第一回が行われ、台湾から発表者・参加者を出してくれというので、急遽、阿川と林欣怡(現理事長)の二人が参加することになった。(台風のために釜山で足止めされ空港難民となったが、何とか済州島にたどり着いた二人だった。)キャンプは、済州島、沖縄、台湾を中心に、その他の島や地域からの参加も得て、盛況だった。このとき、沖縄のメンバーたちと話す機会を得て、それが翌年9月の沖縄、辺野古での第二回キャンプ参加へとつながっていったわけだが、沖縄キャンプの相談のために2015年の2月くらいに台湾で一度集まろうという話になった。

2014年8月 平和キャンプ@カンジョン
次の年、2015は台湾チーム(平和の島連帯、台湾支部という組織はあとで立ち上げることになる。この時点ではEaphet2月の会合を企画、運営した)が、まず台中にカンジョンと辺野古からの参加者を迎えて、打ち合わせ+勉強会を行った。会合に先立ってまず三日間、台中で「映画祭」―三つの島の映像を見る―を行い、台中文化中心の会議室を借りてシンポジウム(「蠱惑の仮面:台湾・済州・沖縄、分断に抗して」)を行った。肝心の沖縄ピースキャンプは日程がおよそ決定。辺野古の情勢が厳しい中でのキャンプだということは分かっていたので、沖縄チームの努力にひたすら感謝。シンポは、以前から米軍基地問題について協力関係にあった劇団「海筆子」の雅紅さん、緑色公民行動聯盟の洪さん、第一回カンジョン平和キャンプにも参加した蔡焜霖さんらが加わってくれた。

2015年2月映画祭in台中
同年919日から22、沖縄辺野古で平和の島連帯、平和キャンプ第二回―沖縄ピースキャンプが開催され、Eaphetが呼びかけ人となって台湾チームを編成、総勢15名ほどの過去のスタディ・ツアー最大の人数で辺野古に行った。(Eaphet Newsletter No.21日文版参照。)スケジュールの途中で、済州島からの参加者の一人がキャンプ・シュワブのゲート前で逮捕されるという不測の事態がおきた(下写真:名護警察署前に座り込む台湾チーム)。彼が釈放されたのは、キャンプが終わって、われわれが台湾に戻った後のことだった。

 沖縄キャンプ最終日に、次回のキャンプを台湾で行うことが台湾チームの提案により決定された。カンジョンも辺野古も、地元政府(南韓・日本政府)による強引な軍事基地建設と闘うという共通性があるが、台湾にはそれが希薄だ、どうやって共通の平和への課題を描き出していったらいいか、台湾チームの悩みがここから始まった。

2015年2月シンポジウムin台中
 この時点から台湾チームは「平和の島連帯、台湾支部」となった。つまり、Eaphetとは一応別の組織になった。この台湾支部が、次の年の「平和の島連帯、平和キャンプ」を主催することになったのだ。

2015年9月沖縄平和キャンプ
 キャンプへの準備は201510月から始まった。キャンプは(いつもの北部中心ではなく)台湾南部と東部-高雄と台東-で行い、キャンプ実施前に、北部・中部・南部それぞれに機運を盛り上げるというか、宣伝も兼ねて何かの活動(映画上映、討論会、勉強会など)を行うことになった。この台湾ピースキャンプについては記憶も新しいことなので、ここで詳しい説明は省くが、参加者の一人だった石垣島のMさんが「自信はないけど、今やらないと、どんどんひどい方向に行ってしまう気がするので」と言って次回、2017年の第三回ピースキャンプの場所として石垣島を提案し、最終日のシンポジウムの後、承認された。そういう経緯で、今年は石垣島だ。


 今の沖縄のように、止めなければならないものが目の前にあるなら、しなくてはならないことは半分は「向こうからやってくる」。トラックが来るぞ、と言えば、道路に座り込めとなる。いわば受身的な行動だ。あとの半分は、向こうの出方とは直接関係なしに、自分たちが目指すものを実現するための行動で、積極的な行動と言っていいだろう。相手がいる以上、半分は受身で半分は能動となるのが当然で、それは相手も同じだ。

同上、名護警察署前で不当逮捕に抗議
 これは沖縄やカンジョンでなくとも、いわゆるブロカディア(Brockadia)に共通した性質だ。現場でとめる(ブロックする)ためには非暴力ではあっても実力行使が必要だ。しかし、実力行使したぶつかり合いは抵抗する側が疲弊する。警察力は入れ替わり立ち代わり新手を送り込んで来られるけれど、抵抗する側にそういう贅沢は(ふつー)ないわけで、とにかく肉体的、精神的、経済的に疲弊する。

 連帯の必要性はここにまずあるのだろう。実力行使の人々を孤立させないことに。その人達に替わって、交替して実力行使をするのも、後方で支援の声を上げるのも、同様に必要な行動だ。【非暴力の実力行使も、実力行使である以上、民主的な交渉手段ではないと言う人たちが少なくないようだが、それは歴史の中で培われてきた不服従という人間の権利についての認識が彼らに欠如しているからだ。なぜないかと言えば、特に今は教育の中でも、メディアでも、教えてくれないからだろう。】

 連帯の、しかし、究極的な必要性は、さまざまなブロカディアの直接的、間接的経験を通して、(眼の前で何を止めねばならないかだけではなく)何を目指さねばならないのか、という平和の目標を具体的にイメージし、作り出していくことにあるのだと思う。平和キャンプがそのような作業の助けになることを願っている。(古川ちかし)

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