復興ボランティア、日本加油、君が代
原住民の部落の牧師と若い人たちが東日本に行って“復興ボランティア”をした。地元の人たちとも交流して、FBには歌の交換場面がビデオでアップされた。集まった仙台の人たちが君が代を歌うのだ。台湾からわざわざ来てくれた人たちと国際交流だ、そんな気持ちが“君が代”になったのだろうか。“復興ボランティア”に行った原住民の人たちは、これが“日本”への(あるいは“被災地への”)支援なのだと思ったのだろうか。ちょうど921の直後に神戸からたくさんの救援ボランティアが南投に来たのと同じように。そうだとしたら心が痛い。今の福島の“復興”運動は、人が住むべきでない場所に人を縛りつける機能を果たしている。今必要なのは学校の建物や校庭を整備することじゃなくて、子供たちを避難させることだ。家や街を見かけ上きれいにすることじゃなくて、人の安全を確保することだ。それが「人間の論理」だとすれば、今の復興至上主義は「国家の論理」(と言って言いすぎなら地域と国の既得権層の論理と言い替えてもいい)だ。その国家の論理は、善意のボランティアをその尖兵として被曝させていく。
2年前、東日本大震災直後に私が務める大学でも学生たちが「がんばれ日本」というキャッチフレーズで支援の手紙を書いて送ったり、募金活動をしたりした。そのときに、なぜ「日本」なの?と私は聞いた。福島の原発は東京の人たちのために電気を作ってきて、そのあげくに原発が爆発して被害を受けた/在日米軍基地が沖縄に集中して、レイプ事件やヘリコプター墜落事故なので被害を受けるのは沖縄人でしょ。日本という国が周辺を犠牲にしている姿をちゃんと見ないと、みなさんが「がんばれ日本」といって送る金は被災者のためになるのかどうか分からないよ、という話をした。お金を送るなら福島県や被災者に直接届く道を考えた方がいいと思う、と。この「がんばれ日本」は、921のときの「台湾加油」というキャッチフレーズの引き写しだった。ねばってみたけれど学生諸君に私の言いたいことは伝わらなかった。台湾社会の空気が「がんばれ日本」だった。
その後、日本製品(食品)は安全ですから買ってくださいというキャンペーンが台北で複数回開かれた。風評被害を乗り越えなくてはならない、というような。台湾政府は福島を中心にいくつかの県を指定して輸入制限をしているが、汚染された食品が加工されて別の地域から入ってくることに神経をとがらせている様子はない。セシウム134と137に関して370Bq/kgから600Bq/kgに輸入基準を引き上げた。福島の状態を認識できなければ、福島から拡散していく核物質だけでなく、台湾の既存の原発(すでに使用済み核燃料でほぼ満杯の状態にある)の漏えい問題にも鈍感になる。人々がまさに鈍感になるように国家は画策しているとしか思えない。(阿川)

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