フィリピン慰安婦像撤去の顛末、ガブリエラに聞く②

写真は「まにら新聞」より
 この一か月後くらい(正確な日時が不明)に、奇怪な事件がおきた。ヴィーナスにつけられていた「”Filipina Comfort Women” Statue Designed By: Jonus Rocesという表題を書いた銅板に薬品のようなものがかけられ、字が読めないようにされた状態で発見されたのだ(右写真)。
 正面の「日本占領下の1942~45年に虐待を受けたフィリピン人女性犠牲者の記憶」という碑文は、タガログ語で書かれているためか損傷されず、裏側のこのプレートが傷つけられた。犯人にとって、銅板のほうが傷つけやすかったのか、タガログ語は読めなかったのか。

 「まにら新聞」によると「像周辺には昨年12月から約1カ月間は警備員が配置されていたが、最近はいなかったもよう。」とのこと。また同新聞はこれに続いて「日本大使館もこの件については知らなかったと話している。」と書いているが、それは「まにら新聞」がこの件について日本大使館に取材したことを意味している。同新聞は、大統領府、マニラ市にも同様の取材をしコメントを求めているが、結果はその誰もが「私がやったんじゃない」と言った。


突然現れたDPWHの重機(写真はまにら新聞より)
 そうして4月27日金曜日の夜10時、ロハス大通りの海岸側の歩道(ヴィーナスが設置されている場所)に二台の重機が現れた。重機はDepartment of Public Works and Highways (DPWH) というフィリピン政府機関に属している。下水システムの改良工事だと後に説明されたが、政府機関による夜になっての突然の工事に足を止めて問いただす人もいなかったらしい。(あとでメディアから、夜盗のような行為と言われてDPWHは「夜になって交通量が減るのを待って工事した。ごく普通のことだ。」と釈明している。)


 左写真は、27日の夕暮れ、数時間後に何が起きるか知らずに自分の作品の前で記念写真をとった作者のジョナス・ロセスさん(写真は「まにら新聞」より)。

 ドゥターテ大統領はダバオで会見し、以前の姿勢とは打って変わって「像はどこかほかの場所に建てたらいい。私的な場所に建てるなら問題ない。しかし、公共の場にはだめだ。…フィリピン政府としては他国を敵に回すような政策はとれない」などと述べた。

 ヴィーナス像は撤去後、ジョナス・ロセス氏のもとに返されたままで、次の場所は決まっていない。ガブリエラとしては私有地への移転は考えておらず、公共の場でなければ意味がないと強く主張している。

 右写真は、私たちが行ったときに「ここにあったのよ~」と近くで屋台を出している女性が教えてくれた場所。像があった場所には下水の上げ蓋のようなものが見える。まわりのタイルと色が少し違うくらいしか、見分ける方法はない。

 と、まあ、ここまでがメディアでおいかけることができる「顛末」なのだが、ガブリエラのサルバドール氏、アタデロ氏への取材の中で、少し裏側が見えてきたので、その話を以下に記しておく。

アジア開発銀行年次総会で
挨拶する中尾総裁
5月の初めにアジア開発銀行の年次総会が行われた。アジア開発銀行(ADB)は1966年に日本と米国が最大出資国となって創設された世界銀行アジア版みたいなもので、歴代総裁は日本人が務めてきた。本部はマニラ。この総会の前に、準備会合のようなものが数回開かれ、政府関係者、財界関係者などが準備会合に参加しているようだ。こうした準備会合に参加している財界関係者の「インサイダー証言」をサルバドール氏が教えてくれた。

 このインサイダー証言によると、ヴィーナス像撤去と新たなフィリピンへの経済支援とが抱き合わせにされた、という。具体的な金額は650億ペソだ。ただし、像はADB総会までに撤去してもらわないと、援助はむずかしい、と。これが真実かどうか私たちには確かめる術がないが、フィリピン国内でもこの話はささやかれていて、援助と引き換えに国民のプライドを売ったドゥターテという批判も聞かれるようになっているそうだ。

ボニファシオ公園内の慰安婦記念碑
ヴィーナス像は、フィリピンに建てられた最初の慰安婦記念碑ではない。最初のものは2003年にボニファシオ公園に建てられた記念碑だそうだ。私たちも知らなかったので、アタデロ氏に案内してもらった。

 碑は、公園の隅にひっそりと建っていた。アタデロ氏も、あれ、どこだっけ、と探し回らければならなかった。それほどに目立たない。だから生き延びてきた、のかもしれない。碑文にはこうある。



In memory of the victims of military sexual 第二次大戦時の軍による性奴隷被害
slavery during the second world war     者に捧ぐ

This historical marker is being offered in  この記念碑は第二次大戦時に日本
memory of the Filipina victims of Japanese 軍による性奴隷の被害を受けた
military sexual slavery during the second  フィリピン人犠牲者を忘れない
world war.                 ために建てられた。

During the Japanese occupation of the   フィリピンが日本に占領された
Philippines, approximately 1,000 women became とき、約1000人の女性
victims of military sexual slavery by the  たちが大日本帝国軍によって
Japanese Imperial Army.          性奴隷被害者にされた。

All over the country, in these “comfort   フィリピン全土の慰安所その他
stations” or sites were the institutional   の場所で日本軍による強姦と
and organized rape and abuse of women by 女性への虐待が、制度的、
the Japanese military were committed.   組織的に行われた。

Through this historical marker, a memorialization この記念碑を通して
of the history of the women victims    これらの被害女性たちを記憶し
will be achieved in the hope that this   この悲劇が二度と繰り返される
tragedy will never happen again and that ことなく、軍の性奴隷の被害
henceforth, no generation of Filipino victims に会うフィリピン人が二度と
will never be memorialized as victims of  記念されることがないことを
military sexual slavery.           祈る。

Unveiled by his honor mayor Jose L. Atienza Jr. 2003年4月22日 市長
on this 22nd day of April 2003         ホセ・アティエンサ

(原文は英語、日本語は筆者の適当な訳文なのでそのつもりで見てください)
・・・

ロハス大通りのヴィーナス像は、日本大使館にも遠くなく、ADBにもまあ遠くなく、観光地の真ん中だったので狙い撃ちされたのかもしれない。

 フィリピンには日本軍や神風特攻隊を記念する碑は400ほどあるのに、フィリピン女性の性的被害について記憶しようとする碑はこれ一つしかない。(村山さたね)

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