済州島海軍基地、観艦式をめぐる村民投票


過去の観艦式の様子
 728日、済州島カンジョン村で村民会議が招集され、そこで10月の観艦式に関する投票が行われた。


観艦式(fleet review)とは、海軍の軍事パレードにあたるもので、10月に予定されているのは韓国海軍だけでなく、国際的なパレードになる。中国の鼻先、済州島に(主に)中国けん制勢力の海軍力を集め、誇示するためにパレードを行うわけだ。こうしたパレードが、また、主に米国の軍需産業にとって、新兵器、新型戦艦装備などのセールスに重要な役割を果たすことは言うまでもない。そこに、米軍の下部組織である韓国軍が、開催場所を提供するわけだ。ソンジュのTHAADミサイル問題でも米国の言いなりになるしかなかったムン・ジェイン政権は、ここでも人々の期待を裏切ることになった。

各国の人々に対して、自国の海軍を済州島での
観艦式に参加させないよう呼びかけている。
3月に同じ村民会議で投票がすでに行われて否決された案件だが、済州島政府と新しい村議会が(村長が)これを無効として、再度村民会議にかけられることになったのだ。3月の会議に参加した80名ほどの人たちは、投票の結果、村として海軍の観艦式に反対を表明した。ムン・ジェイン政権は、今後の補助金や優遇政策をちらつかせて反対派に対する執拗な切り崩しを行い、道政府に働きかけ、村民会議に投票をやり直させるに至った。

 28日夜に行われた投票には450人ほど(通例の村民会議にこれほど多くの住民が参加することはない、という)が参加し、賛成380票、反対60票ほどで、賛成多数という結果が出た。3月の反対表明は無効化されているので、これがカンジョン村の意思として道政府および中央政府に伝えられ、村を挙げて海軍基地と観艦式に賛成し、これを歓迎することとなった…。

 カン・ドンギュン元村長らをはじめとして観艦式に反対を訴えてきた人々にとって、この意味は小さくない。基地建設が村に呼び込んだ活動家たちのうち、村の住人として今でも暮らしている人たちがいる。基地建設が生んだ村内の亀裂、太極旗を掲げた賛成派と黄色の旗を掲げた反対派、誰が反対派なのかみなが知っている。基地が完成して、海軍さんが村を闊歩するようになった今、そして村が観艦式に賛成多数で承認を出した今、反対派ははっきりと疎まれる存在になった。海軍さん子弟のために新たに改築された村の小学校には、反対派の子供たちも通っている。あの子の家は反対派なのよ、そういうことが子供たちにどういう影響を及ぼしていくことになるのか、危惧する声も上がっている。
各国の人々に対して、自国の海軍を済州島での
観艦式に参加させないよう呼びかけている。

 基地建設は、カンジョン村に大きな傷を残した。住民の同意なく、それまで掲げてきた自然保護の理念を無理やりに書き換え、軍事・民間共用だという嘘もつき、警察力と企業の金にものを言わせて基地を作った。奄美大島でも沖縄でも南西諸島でも、ほとんど同じように軍事基地が、海と島と地域社会におおきな傷をつけている/ようとしている。新しい傷をつけようとする行為を阻止することに持てる力を使い果たしてしまった人々に、阻止できなかったとき残されるのは無力感と絶望感だけか。でも、そうであっても、傷を癒していかなければ、癒せる傷ならば癒さなければ、海も島も人も死ぬ。

村民会議の知らせ
 基地ができ、海軍の兵士たちが闊歩し、小学校が大きく新しくなって最新設備がついた。兵士のためのアパートや高級マンションが立ち並んだ。済州島には第二空港建設計画も進められている。新空港で新たに6百万の観光客を呼び込めると見込んでいる。それだけの人を呼び込める公共インフラ(上下水道、ごみ処理場、など)が現在はないが、おいおい建設されていくだろう。あと5年もたてば、基地反対闘争は過去のこととなり、島は観光と軍事で経済的に潤うだろう。あの人は昔反対派だったね、でも、もういいよね、わすれよう・・・済州島の知事が言うように済州島は第二のハワイになるのかもしれない。それが「癒し」なのか。それは今までの愚行の繰り返しであり、破局に向かうモメンタムを大きくするだけではないのか。

 基地と、それが代表する軍事主義と企業主義、そして自然破壊=文明主義という傷を、海と島と人々が「やさしく包み込んで、無害化していく」(ちょうど身体の中に入り込んだ異物を、身体が何とか無害化しようとするように)ことはできるのだろうか。

 傷を癒すやり方を伝えていく―それが文化伝承の重要な面だとしたら、私たちに伝えられてきた癒しのやり方というのがあるはずだ。ないのなら今作らなくてはならない。

 台湾の第四原発工事を止めたとき、ほとんど出来上がってしまった発電所を博物館にして、後世に「こんなバカなことをしてました」という教訓にしようという話があった。今、あの話はどうなったのか。そういうことが実現したら、それは「やさしく包み込んで、無害化していく」ことなのかもしれない。しかし、もし工事が続行していたら今ごろは発電が始まっている。稼働中の原発を無害化していくことは無理だ。まず止めなければならない。OK。まずは止めた。大事なのは、できてしまったものを無害化して、つけられた傷を癒すことだが、その作業にまだ手はついていない。(阿川)

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