アメリカ合衆国、法を曲げて日本のプルトニウム蓄積を援助⑧

2012年4月9日 National Security News Service(NSNS)の記事、United States Circumvented Laws to Help Japan Accumulate Tons of Plutoniumを、今、金曜日の「英語で読むかい」で読んでいます。ネットにも、この記事の全訳はないので、毎回読んだところまで(連載で)みんなで考えた訳を掲載していきます。今回はその第八回です。原文はこちら

 ケネディはペンタゴンに一人仲間がいた。アメリカ国防長官府の日本担当将校、James Auer大尉だ。彼は日本関連全般のペンタゴンで初の専門家だった。Auerは20年の海軍のキャリアの半分近くを日本で過ごした。最初は、横浜を本港とするミサイル艦隊の司令官として滞在し、後に、アメリカの海軍学校にあたる日本の学校の学生になった。日本文化に直に触れた西洋人のご多分に漏れず、Auerも日本に心酔した。彼は日本語を話し、日本文学を読み、日本の伝統芸能の歌舞伎に造詣を深めた。
 この才能は、1986年アメリカ軍官僚が、政府やエネルギー関連の省庁と日本問題で対立した時に、役に立った。文民官僚は日本を活気に満ちて国際問題、特に核エネルギーに関してパートナーになれる相手だと見ていたが、ペンタゴンの戦士たちはそんなに甘くないと考えていた。朝鮮戦争以来、アメリカの軍人が日本の背後でソビエト、中国、朝鮮を水際で防衛したおかげで日本は経済的に大いに成功した―自分たちでは汗を流さずに繁栄を手にした、という見方をアメリカ軍は日本に対して持っていた。国防省は、ワシントンのどの組織よりも日本の状況に同情していなかった。
 国防省内の最も大きな例外は親日家のAuerで、彼は日米合意がペンタゴンを無事通過できるよう働きかけるのに最適な立場にいた。1986年初め、Auerの名前がケネディの公式カレンダーに載り始めた。国防省の日本担当将校として、Auerは、プルトニウム取引に関するほぼすべてのペーパーワークと幹部級の会議に内々に関与していた。彼は、日本大使館や、影の日本国際サービス機関である五大企業のオフィスで、友人や同僚と毎週会っていた。Auerがペンタゴンの議論や作戦を日本にリークしていたかどうかは明らかではない。ペンタゴンのチーフが日米合意で最も心配していたことは、兵器級のプルトニウムと核廃棄物の莫大な海上輸送が充分に防衛されていないことだった。
 ペンタゴンはケネディと保安の問題で対立した。繰り返し提出された報告で、国防省は護衛駆逐艦以外にプルトニウム輸送を充分に守れるものはないと結論づけた。海軍での20年にわたる指揮経験を持つRichard Spearのような男たちの警告を、Lewis DunnによるACDAの分析を元にケネディと彼の同僚が却下した。日米合意が施行される以前、パナマ運河を通った唯一のプルトニウム輸送の際には海軍の小さい艦隊が安全を確保するために配備された。この輸送の実施はイラン・コントラ事件での働きが評価されたオリバー・ノースがその任にあたった。Foggy Bottom(国務省)内のケネディとDunnがほぼ全ての指揮を執った分析文書の力で、アメリカ合衆国は、数人の警察官の警備がついただけの貨物船に何百トンものプルトニウムと他の核分裂性材料を載せての公海輸送を許可する準備をした。
  Frank Gaffneyは当時米国防次官補代理だったが、輸送計画に対するペンタゴンのほぼ全面拒否の反応を覚えている。「この輸送を守る方法なんかないんだ。一体何のために軍備があるんだか…。それに日本は、この地球半周の航程の途中で誰かが本気で攻撃してきてもそれを止める意志もなければ力もない。」
  IkleとGaffneyが予想したシナリオは、低速で貧弱な防備の核輸送船で、それでは一隻の小砲艦相手でも戦えない。プルトニウム輸送船は、第二次大戦の年代物の駆逐艦や武装高速船を入手できるどんな国やテロ組織でも簡単に餌食にできるものになるだろう、というわけだ。
  ペンタゴンはプルトニウムの空輸を希望したが、この選択肢は、衝撃に耐えるはずの容器が実験で壊れて開いてしまったことで苦境に立たされた。グリーンピースはその実験結果を入手して即、メディアに渡した。それで、ペンタゴンが好んだプルトニウムと高レベル放射性廃棄物の空輸はなくなった。国防省は、日本がプルトニウムを自国の核兵器計画に使用することを心配していた。CIAを除いて、アメリカ政府のどの組織も、日本が核武装に向かうとは思っていなかった。しかし、日本が核武装するのは、国防省にとっても、他の組織にとっても“絶対に許せない問題”というわけではなかった。進行中の産業、経済、イデオロギーでの反共産主義キャンペーンにおいて、日本はアメリカのおそらく最も強力な同盟国だった。日本の軍隊は純粋に防衛的なものであり1986年には日本にはそれを使う意志はなかったが、国防省の記憶の中では日本は軍隊を持ったら手に負えない国であり続けていた。トップの将校たちの多くが軍人の家系で、父や叔父が第二次世界大戦で日本と戦っていた。国務省が日本を平和主義の経済エンジンとみなし、エネルギー省が日本を彼らが大事にしていた増殖炉の代理母とみなしているとしたら、国防省は日本を眠れる巨人と見ていた。しかし、この時、巨人はアメリカ側にいた。

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